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澤田四郎作

(読書)
さわだしろさく

民俗学者・医学博士(1899〜1971)

略歴

明治32年(1889)奈良県生まれ。奈良県郡山中学校・第六高等学校を経て、大正10年(1921)東京帝国大学医学部に入学、細菌学を専攻。このころ、石神信仰の研究に熱中し、千葉・茨城・山梨・神奈川の近村を歩く。また考古学者の森本六爾をたずね、三輪善之助・坪井良平・榧本亀治郎・谷川盤雄等の「考古学研究会」に参加する。同じころ、奈良の高田十郎・田村吉永のすすめで柳田國男に個人雑誌をおくり、柳田との交流をはじめる。大正15年(1926)東京帝国大学医学部卒業、同大医学部小児科教室に入局し、小児科学を研究。昭和2年(1927)砧村の柳田國男邸を訪問、これをきっかけにして民俗学を生涯のライフワークに位置づけ調査・研究にはげむ。昭和5年(1930)医学博士の号を受ける。
昭和6年(1931)大阪市西成区に小児科医を開業。休暇をみて近畿地方を中心に精力的に民俗調査をおこなう。昭和9年(1934)柳田國男のすすめにより、宮本常一・小谷方明・桜田勝徳・鈴木東一・岩倉市郎らとともに「大阪民俗談話会」を発足させ、会長に就任。また昭和11年(1936)には、京都帝国大学民俗学会・兵庫県民俗研究会との合同による「近畿民俗学会」が結成され、その会長に就任する。昭和16年(1941)応召により満州に駐屯、各地の陸軍病院で勤務。昭和22年(1947)シベリアでの抑留生活を終えて帰国。昭和24年(1949)に近畿民俗学会を再開し、毎月一回の例会を欠かさず続け、亡くなるまで会長をつとめた。なお、澤田の自宅は民俗学の研究集会にもたびたび利用され、柳田國男・渋沢敬三など多くの民俗学者が寄寓した。
昭和46年(1971)5月18日逝去。享年71歳。

おもな著作

『日本生殖器崇拝概論』(1921)
『無花果』(1925)
『ふるさと』(1931)
『大和昔譚』(1931)
『五倍子雑筆』(13冊:1934〜1954)
『阿波木頭民俗誌』(共著:1958)
『大和の民俗』(共著:1959)
『大阪府の民俗1・2』(共著:1963・64)
『山でのことを忘れたか』(1969)

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