カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

奇跡は再現が難しい   ハドソン川の奇跡

2017-03-19 | 映画

ハドソン川の奇跡/クイント・イーストウッド監督

 離陸直後に鳥の群れに突入してしまい、エンジンが停止。引き返して着陸せざるを得なくなるが、それも間に合わないと判断。仕方なくハドソン川に胴体着陸をすることになる。有名な事件だから結論は皆知っているが、見事着陸を成功させることができたことと、その後の救出が奇跡的に早かったために、真冬のニューヨークでのことながら、乗客155人すべて無事であったという物語。当然ながらパイロットは一躍英雄視されることになる。ところが事故を検証すると、パイロットの判断は誤っており、かえって乗客を危険に巻き込んだのではないかという疑惑が持ち上がって…。
 プロ意識が高く自信もあるベテラン・パイロットが、自ら信じた判断を疑われながら、時の人となって戸惑い悩む日々を坦々と描いている。事件そのものを追うドキュメンタリーのような側面もあるが、事件の正当性を明らかにするサスペンスが基調である。調べる方も仕事だが、何か最初から機長に疑いの目を向けているようにも感じる。そのことに傷つきながらも、潔白をどのように証明したらいいのだろうか。
 あまりにも有名な話なので、大方の筋は誰でも知っているはずだ。僕は事前に種類の違うドキュメンタリーを2つ以上は観たようにも思う。ニュースでも繰り返し詳細の報道があったはずだ。当然米国では凄まじく話題になっただろうが、そういう題材を、また映画でどのように料理するのか。これは、制作側としてはそれなりに難しい作業だったのではあるまいか。役者が演じているのは当然だが、モデルの人はちゃんと生きて有名だ。誰がどのような行動をとったというようなことも詳しく報道されていたはずで、それをいったい誰がどのように演じるのかというのも、ほとんどの人は知っていたのではあるまいか。
 しかしながら、これがなかなか見られる作品になっている。正直言って緊張感が途切れないし、ドキュメンタリーでは分からない映画としてのリアリティのようなものがある。映画だから作り物でいいのだが、あんがい本物の人物より映画の人物像の方がそれらしく思う人も多いのではないか。そうして改めてこの奇跡的な事故に、これらの人たちが立ち会ったからこそ、奇跡として成り立ったのだということがよく分かる。運というのは、そこで何かをやるべき人が揃わなければ、成り立たないことなのかもしれない。
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