写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

平 成

2019年01月13日 | 随想

「新しい元号は『へいせい』であります」。1989年1月7日、14時36分。小渕恵三官房長官が記者会見室で、「平成」と墨で書かれた生乾きの2文字を掲げた。・・・・日経ニュースなこの日の書き出しである。

この記事には、「記者団から平成元年を迎えた心境を問われた竹下登首相は「平静です」と語った。」という一文もあるが、・・・・こんなアホなコメントを記事に入れる必要があった理由っちゃぁ何なん?

 

「平成」の名前の由来は、Wikipediaの「出典」などによれば、『史記』の五帝本紀第一(舜帝)の中にある「(内かに外る)」と、『書経』大禹謨の「(地かに天)」からで「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味である、とされている。

 

『書経』(尚書)原文を見てみると、大禹謨(たいうぼ)の箇所に、「地平天成」に続いて、「水土治むるを平と曰う。言うこころは、水土旣に平らぎて萬物以て成り遂ぐることを得たり。」とあるのが見える。

「平」とは水土(水と土。川と土地。自然。風土)が治まることをいう、とのこと。自然(洪水)が治まって初めて万物、農耕(天)がうまくいく、という意味であろうか。

は、その人格の高さから「大禹」と称されるが、黄河の治水(平)で功を成し、その後も仁政を施し、「夏」王朝の祖となったとされる。

 

かてて加えて、五帝本紀第一(舜帝)の原文をみてみよう。

昔高陽氏有才子八人。世得其利、謂之八愷。高辛氏有才子八人。世謂之八元。此十六族者、世濟其美、不隕其名至於堯。堯未能舉。舜舉八愷、使主后土、以揆百事。莫不時序。舉八元、使布五教于四方。父義、母慈、兄友、弟恭、子孝、内平外成。

昔、高陽氏に才子八人あり。世、その利を得う、これを八愷という。高辛氏に才子八人あり。世、これを八元という。この十六族の者、世々その美を済なし、その名を隕(おと)さずして堯に至る。堯、いまだ挙ぐることあたわず。舜、八愷を挙げ、后土を主(つかさど)らしめ、もって百事を揆(はか)る。時に序(つい)でざるはなし。八元を挙げ、五教を四方に布(し)かしむ。父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝、内平らかに外なる。

う~ん、日本語にされた訳を見てても、まだ、何を言わんとしているのかよくわからぬ。が、こちらのサイトなら、まだ少し理解できそう。

昔、高陽氏に才子が八人いた。世、その利を受けこれを八愷という。高辛氏に才子が八人いた。世、これを八元という。この十六族は、世に美をなし、その名をおとしめず、堯に至る。堯はいまだこれらの者を用いることができなかった。舜は八愷を用い、后土(こうど)を司どらせ、百事をはかどらせると、時(農業の時)の秩序がおかしくなることはなくなった。八元を用い、五教を四方に広めさせた。父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝。かくて、内平らかにして外成る。

・・・だいぶ、わかるようになってきた。

つまり、舜は、時を管理し、農を整え、次いで、五教(治政の原則)を広めた、ということ、もう少しくだけて言えば、季節をきちんと表す暦(カレンダー)を整備して農耕の振興に寄与し、政治的な管理制度を周知した、というところか。この時代、まだ法律という観念も制度もないはずである。

カレンダーくらい・・・・などと言うなかれ。まだ四季の移り変わりも原因が不明だった時代のことである。今の時代の価値観で歴史的な事案を判断してはならない。そんなことをしていては、武士の時代は銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)の違反者だらけになっちまう。ナンセンスな話だが、隣の国ではそれが今でもまかり通っているというOINK。まぁ、慰安婦とか徴用工とかいうのは被害者ビジネスのネタでしかない、という気違い沙汰な訳だが。

 

「地(地かに天る)」と願って命名された「平成」の世を、未曾有の東日本大震災が襲い、「内(内かに外る)」と願ってはみたものの、スタートした年の4月には一般消費税という天下の酷税が導入(下記に詳細)されたがために、『ジャパン アズ ナンバーワンとまで言われていた国力が落ちるところまで落ちるという没落の目にあい、それに合わせて周辺国が狼藉を働くようになってきた。まさにアイロニーの極致といって良いだろう。

考えてみれば、太平記という戦乱の世の物語や、藤原氏全盛期に書かれたのが源氏物語、という事例も歴史の中には結構多くあるように、後世の人たちは、たぶん、天変地異が多かったがため、それに加えて、愚政が続けられたがために、鎮魂の意を込めて「平成」と名付けられたのだろう・・・などと解釈するかもしれない。何しろ、この国はいまだに「言霊」が横行しているのだから。

 

本当は、「平成」という言葉の意味するところは、「国も人も、その内部が穏やかであれば、それは外に形となって現れる」ということであり、まずは「自分を修める」ことで、社会の形成に寄与し、国の発展と平和に貢献していくということ、国で言えば、国民生活や国内産業が豊かで幸せになるよう国内政治を充実させ、外交面・軍事面で国際平和に貢献していく、ということなのである。まずは自分、というところがミソである。一燈照隅・萬燈遍照に通じる。

 


一般消費税が、如何に「日本」という国を破壊したか、「消費増税、やれば日本は即終了」~「平らに成った30年」を忘れるな、という高橋洋一氏のサイトを見れば愕然とさせられる。「平成の間、日本の経済成長だけがらにった」、というのである。

 

平成元年に導入された消費税は3%で出発したが、ときはバブルの真っ最中。影響はほとんどなく、納税者の負担感もなく浮かれていたところに、1991年バブル崩壊。それでも何とか回復しかかっていた1997年に、あろうことか、橋本内閣が財政再建と構造改革を標榜して、時期としては最悪のときに最悪の判断である5%増税に踏み切った。

この増税が、以後、数十年にわたって影響し続けることとなる。歴史的に見ても、絶対にやってはいけない増税だった。今後も、「失われた十年」がどんどん続いていくのだろう・・・・。

世界各国が順調にGDPをのばし続けていく中で、日本だけが足踏み状態のままだった。それまで、日本のGDPは、ドイツ・イギリス・フランスを足した額よりも大きかったのだが、いつのまにか追いつかれそうにまでなってきている。

 

それでも、チャンスはアベノミクスの成功で、何とか希望の光が見えてきた・・・・と思っていたら、2014年に、またしても、やってはならない増税に踏み切ってしまった。このときも、増税していなければデフレの解消、税収の増加、社会保障の充実、国土強靱化などがスムーズに実施できていくはずだった。

またしても、最悪のタイミングで最悪の選択をしてしまった訳だ。


 

 

(どれを見ても、「平」らに「成」っております。)


消費税という罰金みたいについてくる税制は、アメリカにはない。(米国には消費税(付加価値税)がないなぜ米国は付加価値税を導入していないか

アメリカは高額納税者が誇りをもって社会に還元し、多くの寄付をし、ベンチャー育成に熱心なお国柄である。買えば罰金、動けば罰金、といったような税制はアメリカには受け入れられない。若者を奮い立たせるアメリカン・ドリームというのは、税制がその一翼を担っている訳だ。

翻って、日本の若人には、頑張れば報われるどころか罰金が待っている、という夢も引きずり下ろされているような状況なので、結婚にも子育てにも、クルマにもマイホームにも、一歩引いて冷めたままトシだけを重ねていく。

日本の政府機関や報道機関は、いつもはアメリカ礼賛のくせに、この消費税(付加価値税)のときだけは、アメリカを話題に出さず、ヨーロッパの真似をせよ、と騒ぎ立てる。

 

平成とは、未曾有の大震災と風水害に見舞われた上に、消費税の導入とともに、日本を奈落の底まで落ちぶれさせた時代だったと、これが後世の歴史家の一致した見方になるだろう。・・・・黄河の治水が、とんでもなく崇高だったと思えてきた。