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詩篇18篇46-50節

2017年02月27日 06時40分17秒 | 聖書


18:46 主は生きておられる。ほむべきかな。わが岩。あがむべきかな。わが救いの神。



多くの経験を通してダビデが知ったこと、それは主は生きておられるということでした。

神がおられるということと、そのお方が生きておられるということとは違います。

生きておられるとは、生きて働いておられる方であるということです。

世界の歴史と関わり、人の歴史と関わっておられるのみではなくて、一人一人の人生と関わってくださるお方であるということです。

彼はそのことを、自分が受けた経験から多くを知りました。

それは、自分が罪を犯した時には、怒りを持たれて、その悔い改めを要求し、また自分が苦しみと困難に陥って絶望の中で主に寄り頼んだ時、主は寄り頼む自分に助けを与え、逃れの道を示してくださり、助けてくださった。

その一つ一つを顧みると、真に主は、憐れみと恵みに富みたもう、生きたお方であられることを知ったのです。

そして主は、今この私たちにも、日常の生活の中で、生きて働いてくださっているのです。


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