「いちばん堪えたのは、ロリコン呼ばわりされたことです。例の『保育園落ちた、日本死ね!』以来、賃金問題はクローズアップされるようになりましたけど……、問題ってそれだけじゃないと思います」

 こう語るのは、ある“男性保育士”である。

 彼は数年前にインタビューさせていただいた方で、30代だった当時は一般企業に勤務されていた。ご自身のキャリアについて語っていただく中で、「保育士だった」ことを明かしてくれたのだ。そのときは辞めた理由を「賃金の問題」としていたが、今回、改めて連絡してお話を伺うことにした。

 そこで彼がしきりに訴えたのが、「男性保育士」への保護者のまなざしだった。

 ロリコン――。もし、保育士という仕事に就いているだけで、そんな風に見られたら……、誰だってショックを受ける。世間は女性への“偏見”には敏感だが、男性へのそれは「何ごともなかった」ようにスルーする。いや、正確にいうと、そういった苦悩を口に出来る男性も少なければ、苦しむ声を取り上げる場も滅多にない。

 そこで今回は、「保育現場の男性問題のリアル」を取り上げようと思う。

 はい、そうです。いわゆる「男性問題」です。毎度毎度でありますが、男性問題といっても、何も私の男関係のいざこざではありませぬ。男性問題とは、「男性差別」と呼ばれることもある男性への“イメージ”から生じる問題です。あしからず(苦笑)。

「僕、そんなに危険人物に思われているのかなぁ」

 「最近は少しづつ男性保育士への理解も進んできたかなぁ、とは思いますけど、私のときはとにかくひどかった。親戚が幼稚園を経営していたので、高校のときから保育士になりたいと思うようになりました。周りからは『給料が低いぞ』とずいぶん脅されましたけど、若い時って生活についてのリアリティーがなくて。『仕事はカネじゃない』なんて理想論丸出しだったんですよね」

 「卒業と同時に近所の保育園に採用が決まり、そこで働くことになりました。職場で男性は私だけです。女性の職場だということは重々承知していたので、そのこと自体は気になりませんでした。ただ、更衣室とかロッカーとか男性用というのがなかったので、困りましたけど。まぁ、それも慣れればなんとかなったし、何よりも子どもたちが私になついてくれたので楽しかったです。ええ、本当に楽しかったんですよ」

 「でも、辞めた。……私がインタビューさせていただいたときは、確か、2年で辞めたとおっしゃっていましたよね?」(河合)

 「はい、そうです。初めて自分の仕事に疑問を持ったきっかけは、保護者の方からのクレームでした。おむつ交換の場に、男である私がいるのが嫌だと。女のお子さんの保護者が言ってきたんです。保育士になる前から、そういった問題があると聞いていたし、中にはプールに一緒に入れたくないと言われ辞めた人もいるという話を聞いたこともあって。なので、『来たか?』って感じでした。ただ、実際に自分が言われると、かなりショックなわけです。僕、そんなに危険人物に思われているのかなぁ、と」

「ええ、転職して良かったです。全く後悔してません」

 「それまでは転職とか一切考えたことがなかったんですが、なんとなく考えるようになりました。ひとつ不安になるといろんなことが不安になってきて。保育士の仕事ってキャリアの展望が見えないんですね。例えば、学校の先生だったら、教頭になるとか校長になるとかありますよね。でも、保育士は良い意味でフラットなので、20代だろうと、40代だろうと一介の保育士でしかない。男が一生する仕事なのか?と疑問を抱くようになってしまいました」

 「変な話ですけど、悩むようになってから賃金が低いことも気になるようになりました。20万円もなかったですから。やはり先のことを考えると、これじゃ結婚もできない。公立の保育士なら、地方公務員なので年功で賃金が上がります。でも、非常に狭き門で採用も極めて少ない」

 「もし公立だったら、辞めなかったかも?」(河合)

 「う~ん……、どうですかね。私の場合は、転職を考え始めてたときに、ヘビー級のパンチをくらう事件がありましたから、何とも言えません。………ロリコンだって。そう。保護者の中で、ロリコンだとウワサになってると園長から聞いたんです。いや~、これはかなり堪えました。ロリコンですよ。な、なんで?って感じで。人格否定された気分でした。自分がどんなにがんばっても、結局はそんな風にしか見られていないのかと思うと、悔しくて仕方がなかった」

 「『ああ、もういいや』って辞めてしまいました。ただ、辞めた自分が言うのもなんですけど、男性保育士は貴重な存在だし、もっと増えたほうがいい。まぁ、いろいろな意味で。でも、保護者の偏見はきついので、それに耐えるほどの情熱を捧げることができるか?というと正直、疑問です。そもそも、保育士って一生働ける仕事になってないんです。賃金もそうですけど、私のようにキャリアパスが見えなくて不安になる人もいるでしょう」

 「今、改めて振り返って、転職して、良かったなと思いますか?」(河合)

 「ええ、良かったです。全く後悔はしてません。仕事の選択って、難しいですね。なってみないとわからないことって、本当にありますから。夢や希望、やる気だけじゃどうにもならない壁がある。なぜ、小学校の教師が男性でも何も言われないのに、保育士だとロリコンと言われてしまうのか。それだけ保育士の社会的地位が、低いってことですよね。何度も言いますけど、将来的には男性保育士が普通に活躍できるようになればいいなと思っています。賃金も重要ですけど、やっぱり保護者の理解はものすごく大切だと思います。すみません。なんかもう当事者じゃなくなっているのに、勝手なことばかり言って。本当、すみません。こんなので役に立つのかなぁ……」

 以上が、彼が話してくれた内容です。

男だと「ロリコン」、オネエだと「気持ち悪い」

 保護者の理解――。この一言がもつ意味は、非常に大きい。

 以前、「男性問題」に関する記事(「私は“オネエ”じゃないの!」 黒一点の彼らが抱える「男性問題」の深淵)で、本当はバリバリの男性が“オネエのふり”をしていたことを書いた。だが、保育士だと“オネエのふり”をすることも許されないのだと彼は教えてくれた。

 保護者に「気持ち悪い」と言われてしまうのだそうだ。

 男性保育士に関する文献や調査は極めて少ないのだが、限られた情報の中にも保護者の偏見は取り上げられている。

 「トイレ、更衣室、休憩室」「おむつ交換の場にいて欲しくない」「プールは一緒に入ってほしくない」、女性の保育士と食事をしただけで「子どもの教育に悪い」、母親の相談にのっただけで「○○さんとあやしい」など、保護者からのクレームを受けるケースが報告されているのである。

 う~ん。これって何なのだろう……。子どもを心配する保護者の方の気持ちが、わからないわけでもないけど、偏見の「まなざし」は、社会が作り出した無意識の圧力だ。その圧力にさらされる息苦しさは、偏見のまなざしを感じている人にしかわからない。まなざしを注いでいる人たちには、そこに地獄が存在することすらわからない。だから余計にややこしい。それほどまでに根が深い問題なのだ。

 最近はドラマの影響などもあり男性保育士は急増したとされているが、就業率は24.0%で(2010年度)、女性の42.0%に比べ、かなり低い(保育士事務登録センターと国勢調査のデータからhoikusi.bizが算出)。つまり、何らかの理由で仕事に就かない、もしくは離職してしまったケースが高いのである。

 海外では男性保育士採用の際に、性犯罪歴等に関する公的な書類の提出を義務付けるケースもあるとされている。目的は「子どもの安全の確保」。性悪説に基づく制度ではあるが、もし、そういった書類が「偏見のまなざし」の抑止につながるのであれば、日本でも議論する価値はおおいにある。

女性社会における「男性活躍」のさらなる難しさ

 もちろん男性保育士に期待する保護者もいるし、体育の指導や、運動・遊びの技能を子どもに習得させて欲しいというニーズもある。

 ただ、これまた微妙な問題で、男性=身体能力が高い、男性=運動好き、男性=外で遊ぶのが得意 というのも、ある意味偏見。「男性だから出来て当たり前」というまなざしも、プレッシャーなのだ。

 なぜ、女性の場合には「お茶を入れる」のを求めるだけでセクハラになるのに、男性の場合は「男らしさ」を求める声が、「期待」になってしまうのか。

 女性であれば「そりゃ。問題だ!」と周りも騒ぐが、男性の場合は「まぁ、上手くやれよ」と諭されるのがオチ。女性が男性社会に飛び込む以上に、女性社会に男性が溶け込むのは難しい。本当に、難しい。

 そもそも育児問題は「女性だけの問題じゃない」と誰もが口を揃えるのだから、保育士だって、性別に関係なく、ひとりの「保育士」として温かく受け入れるべき。件の男性のように、「保育士に憧れて、実際になる男性」がいるわけだから、保育士不足を解消の手立てにもなるはずだ。

 男性保育士が「市民権」を得れば、イクメンや主夫だって生きやすくなるかもしれない。……もったいない。本当、実にもったいない。「もったいない」という言葉以外、気の利いた言葉が出てこないくらい、もったいない話だ。

男性保育士が「寿退職」するのも当たり前

 「これじゃ結婚もできない」と男性は嘆いていたが、実際、私立の保育園では、「これでは家族を養えない」と結婚を機に「寿退職」する男性保育士が多いとされている。

 例えば、私立の保育士の平均月給は約21万円。一方、公立保育士は30万円程度となる。初任給はほぼ同じだが、公立は地方公務員になるので年功序列が適用され、40代では10万円程度、50代では2倍近くに給与差は拡大する。

 おそらくこういった賃金の差が関係しているのだろう。公立に勤める保育士の平均年齢は37歳だが、私立は31歳と若く、30 歳以下の保育士が半数以上の57%を占める。

*上記のデータは、内閣府国民生活局物価政策課に設置された「保育サービス価格に関する研究会」の報告書より抜粋

 「だったら、公立の保育園をもっと増やせばいいのでは?」。そう思われる方もいるかもしれない。

 残念ながら、保育園もその他の業種同様に民営化が進められているので、公立の保育園の“チケット”はプレミア級。この先、公立は次第に減り、保育士の待遇は私立が基準になっていくと考えられるのである。

 奇しくも、民主、共産、維新、生活、社民の5野党が、保育施設で働く保育士や事務員に加え、幼稚園の教諭らの賃金も平均で1人につき、月5万円引き上げる保育士処遇改善法案を衆院に提出した。対する与党案は「4%増」。月額わずか8000円程度だ。

 当然ながら賃金の問題は男性だけの問題ではない。しかしながら、非正規の賃金の低さは、「男性が結婚しない(できない)理由」に挙げられるのに、保育士(介護士も)に対してはそれほど問題視されない。たとえ男性保育士が保育士全体の5%程度とマイノリティだとしても、人材不足だの少子化だのアレコレ騒ぐのであれば、全産業との差=11万円を基準に議論されないのは、おかしな話だ

賃金だけの問題ではない

 それにたとえ賃金が多少上がったとしても、

 「保育士の仕事ってキャリアの展望が見ない」

 という件の男性のこの一言は、今後の保育士のあり方を考える上で極めて重要である。

 働いていれば誰だって自分の能力を高めたいし、誰だって成長したい。

・もっと自分の能力が発揮できる仕事がしたい
・もっと他人から認められる仕事がしたい
・もっと稼げる仕事がしたい

と、年を重ねれば重ねるほど、成長欲求は高まっていく。

 キャリアパスが見えなければ、「こんなことをしていて、将来はあるのだろうか」と、再び暗闇の中に追い込まれる。

 今就いている仕事が持続可能で、その仕事とともに自己も成長できる状況に置かれて初めて、自立心と自尊心が高まり、自分の足でしっかり歩こうという気持ちが喚起される。

 日常に「働く」という行為があると忘れてしまいがちだが、「働く」という行為は、人間の生きる力を根底から支えていると言っても過言ではない。

 「仕事=労働」がもつ、「潜在的影響(latent consequences)」(=1日の時間配分、自尊心、他人を敬う気持ち、身体及び精神的活動、技術の使用、能力発揮の機会、自由裁量、他人との接触、社会的地位など)が、心を元気にし、人に生きる力を与えるのだ。

 それは、「生きていていいんだよ」というメッセージでもある。

保育士不足と「男性問題」の前に横たわる共通の課題

 待機児童問題にスポットが当たり、保育士の「量」だけが取り沙汰されがちだが、長く働ける施策が必要不可欠。それは保育の「質」を高めることでもあり、結果的に「量」の確保につながっていくのではあるまいか。

 そもそも「保育士」は、子どもの将来に影響を与える、極めて重要な仕事だ。

 体操、音楽、美術、英語、幼児教育、発達心理学、児童心理学などの知識やスキルは、保育の現場で大いに役立つ。

 保育士のキャリアパスに、そういった専門性を身につけられる機会、それに応じた昇給制度などを、もっともっと議論し、実行に移すことも大切なんじゃないのか。

 と同時に、これらの専門性も持った人たちが、「保育士」として活躍できる仕組みも作ればいい。

 実際、保育士の100%配置が求められていない認可外保育施設のなかには、保育士以外の職員を交えた職員配置によって、利用者の高い評価を得ている事例も認められている。

 ……こうやって改めて「保育士の仕事」を男性問題として紐解いていくと、問題山積で。賃金の問題だけではないことがわかる。そして、改めて、保護者との問題の重たさも痛感させられた。

 保育園、学校、介護施設などのヒューマンサービスの現場では、関わる“人(子ども、高齢者)”の家族との関係性が、ときにストレスになり、ときに大きな支えとなる。家族との信頼関係があるからこそ、難しい問題を乗り越えることだってできる。できることなら保護者は最強の「保育士の応援団」でいてほしい。

 憎むべき相手がいるとやたらと盛り上がるけど、「ロリコン」呼ばわりされ傷ついている人がいることも忘れないでほしい。そして、きれいごとと笑われるかもしれないけど、自戒も込めて、こんな時代だからこそ心の“のりしろ”を大切にしたい。

この本は現代の競争社会を『生き勝つ』ためのミドル世代への一冊です。

というわけで、このたび、「○●●●」となりました!

さて、………「○●●●」の答えは何でしょう?

はい、みなさま、考えましたね!
これです!これが「考える力を鍛える『穴あけ勉強法』」です!

何を隠そう、これは私が高校生のときに生み出し、ずっと実践している独学法です。
気象予報士も、博士号も、NS時代の名物企画も、日経のコラムも、すべて穴をあけ(=知識のアメーバー化)、考える力(=アナロジー)を駆使し、キャリアを築いてきました。

「学び直したい!」
「新商品を考えたい!」
「資格を取りたい!」
「セカンドキャリアを考えている!」

といった方たちに私のささやかな経験から培ってきた“穴をあけて”考える、という方法論を書いた一冊です。

ぜひ、手に取ってみてください!

考える力を鍛える「穴あけ」勉強法: 難関資格・東大大学院も一発合格できた!

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