マーヴェリック・ヴィニャーレスとは、
スペイン・カタルーニャ州ジローナ県フィゲーレス出身のオートバイレーサーである。
1995年1月12日生まれ。
2011年よりMotoGP125ccクラスへの参戦を始め、2013年にmoto3クラスチャンピオン、
2014年にmoto2クラス年間ランキング3位。
2015年と2016年はスズキワークスから最大排気量クラスに参戦した。
2017年と2018年はヤマハワークスから最大排気量クラスに参戦した。
2019年と2020年もヤマハワークスから継続参戦した。
2021年もヤマハワークスから継続参戦したが、チームとの折り合いが悪くなりシーズン途中で離脱。2021年第13戦アラゴンGPからはアプリリアワークスに移籍する。
ゼッケン12を2018年11月のバレンシアテストから使用し始めた。
子供の頃はモトクロス(凹凸のある土の路面をジャンプして走る競技)をしていて、
そのとき付けていたゼッケンは12番か100番だった。なぜ12番かというと、誕生日が1月12日なので。
子供の頃の画像はこちら。
何らかの選手権に参加するとき、既に12番が他の選手に使われていたので25番を付けた。
モトクロスで25番を付けて速く走っているライダーがいたので、敬意を表して25番を使うことにした。
その「25番を付けていたモトクロスの速いライダー」は、イヴァン・セルヴァンテスか
マーヴィン・マスキンじゃないか、と本人がここで語っている。
2009年と2010年はスペイン選手権(CEV)125ccクラスに参戦したが、このとき25番を付けている。
2011年はMotoGP125ccクラスに移ったが、このときもゼッケン12番は他の選手に使われていた。
しょうがないので25番を継続して使うことにした。
そんな調子でずっと25番を使い続けてきたが、2018年シーズン途中に「心機一転しよう」と思い立ち
2018年11月のバレンシアテストからゼッケン12番に戻した。
「12番を付けていた頃の僕はすごく小さかったんです。Conti cup(スペインの子供向け選手権)
に出てたんですけど、その頃の僕はライバルをなぎ倒して勝ちまくってたんです。
そのことを思い出すためにも12番を選んだんです」とも語っている。
「それに・・・12番を付けてマルク・マルケスに勝ったこともあるんですよね。それも理由の1つです」
とも語っていて、それを聞いたマルク・マルケスが「そんな昔のこと憶えてないよ」と言っている。
※この項の情報源はこちらとこちらとこちら。
ゼッケンは赤文字を好んでいる。それが確定したのは2013年である。
2009年、2010年は白文字。2011年と2012年は黒文字。2013年は赤文字でチャンピオン獲得。
2014年はスポンサーLos40(スペインのラジオ局)の要望通り虹色の40番。
2015年、2016年、2017年、2018年と最大排気量クラスでは全て赤文字にしている。
ゼッケンやヘルメットに小さな星がある。
この星は、映画「トップガン」の影響である。トップガンのタイトルにも星がある。
ヘルメットはAraiヘルメットと契約している。
ライダースーツは2011年から現在までアルパインスターズと契約している。
アルパインスターズは1963年にアルプス山脈の麓で創業した。そこにはエーデルワイスが生えていた。
エーデルワイスは星のような花で、イタリア語でstelle alpine(アルプスの星)と言う。
それを英語にしたのがAlpine starsで、これが会社名になった。
このため、アルパインスターズのロゴに星が入っている。
星が入っているメーカーだからアルパインスターズと契約した・・・のだろうか。
誰かマーヴェリックに質問してみてほしい。
父親のアンヘル・ヴィニャーレスが映画「トップガン」の主人公マーヴェリックをみて格好いいと思い、
息子にその名前を付けた。
ここで余談ながらマーヴェリック(Maverick)という言葉について述べておきたい。
スペイン語圏の人や日本人には格好いい響きに聞こえる。
しかし英語圏、とりわけ米国の人たちにはかなり格好悪く感じるのである。
19世紀のアメリカ・テキサス州にサミュエル・マーヴェリックという人がやってきて、
優れた働きで政治家として成功、資産も増えて、牧場を手に入れた。
あるとき彼に借金を返しに来た人がいて、金は払えないが牛なら出せる、と牛400頭を差し出した。
サミュエルは牛を受け取ったが、そのときは牧場経営に興味が無く、牛をほったらかしていた。
400頭だった牛は繁殖して数が増え、近くの牧場に入りこむようになったが、
サミュエルの牛であることがすぐ分かった。
他の牧場主は必ず牛に焼き印を押していたが、サミュエルは牛に焼き印を押さなかったのである。
サミュエルは牛に焼き印を押すことを奨められたが「みんなが焼き印を押しているなかで自分だけ
焼き印を押さないんだから、それでいいじゃないか」と面倒くさそうに拒否してしまう。
焼き印のない牛が牧場に入りこんでウロチョロしているのを見ると
「ああ、あの面倒くさがりのマーヴェリックさんとこの牛か」で通じるようになり、
次第に焼き印がなくフラフラ彷徨っている牛をマーヴェリックと呼ぶようになった。
もちろん、「マーヴェリックさんは牛をしっかり管理しない、しょうがねえ人だ」
という雰囲気があったのである。
「面倒くさがりの親父に放置されている可哀想な牛」を哀れんでマーヴェリックと呼ぶのである。
こうして、マーヴェリック(Maverick)という言葉が一般的な英単語になっていった。
マーヴェリックという言葉を「一匹狼」と勇ましい言葉に訳すこともあるが、これはあまり正確ではない。
原義から考えれば「所有者に放置されている可哀想な牛」となり「捨て子」「孤児」「みなしご」
「実力者の父親に振り向いてもらえない見捨てられた子ども」という意味になる。
非常にイメージが悪い言葉なのである。
実際に、映画「トップガン」で主人公が「マーヴェリックです」と自己紹介すると、
「ひどい名前だねえ・・・」「親に嫌われてるの?」と呆れられる、そういうシーンがある。
こういうイメージ最悪の名前を名乗っているのがあの美形俳優トム・クルーズだから、たまらない。
爽やかなイケメン美形俳優トム・クルーズが戦闘機パイロットという超エリートの役を演じるときに、
自信満々のドヤ顔で、「マーヴェリック(親に見捨てられた捨て子)です」というのである。
だから映画「トップガン」はアメリカ人にとってはコミカルで笑える感じの映画になっているのである。
ちなみに主人公マーヴェリックの相棒は髭を生やした長身の格好いい人なのだが、
この人の名前がグース(Goose)である。 Gooseというのも「馬鹿、マヌケ」という酷い意味がある。
「マーヴェリックとグース、(艦長室に)入りなさい!」と艦長に呼ばれるシーンがあるが、米国人には
「捨て子とマヌケ、(艦長室に)入りなさい!」と聞こえる。
聞くだけでずっこけてしまう感じのシーンなのだ。
とても転倒が少なく、堅実に走りきる事で有名である。
こちらのページで、2015年から2018年までの年間転倒数を確認できる。
最大排気量クラスのルーキーイヤーでさえ僅か8回で、これはとても少ない。
2017年にヤマハワークス入りしてからチーフメカのラモン・フォルカダに言われ続けてきたのは
「ヤマハのマシンはホルヘ・ロレンソの乗り方が一番合う。だからロレンソの走りを真似ろ」だった。
こちらの記事でもそう言われている。
MotoGPの中で最も技巧派のライダーというと、ヤマハ時代のホルヘ・ロレンソとなるだろう。
強すぎないブレーキング、タイヤを酷使しない、マシンを動かさない、走行ラインが毎周全く同じ・・・
こういった諸特徴のあるロレンソは、まさしく技巧派の筆頭格なのである。
ところが、マーヴェリックにはロレンソの走りを真似するのが無理だった。
こちらの記事でもこんな風に語っている。
「2017年にライディングスタイルを変えようとしたが、それで調子が悪くなった。
もう自分のライディングスタイルを変えたくない。そうすると、自分の真髄を失ってしまう。
僕はこのライディングスタイルでここまでステップアップしてきたんだ」
マーヴェリックはホルヘ・ロレンソほどの技巧派ではない、とみていいだろう。
マーヴェリックは「ブレーキングを遅いタイミングで強くかけるのが僕の強みだ」とここで語っていて、
ブレーキングが弱めだったヤマハ時代のホルヘ・ロレンソとはちょっと違う。
「他ライダーを無理矢理押しのけて強引にパッシング」というシーンがほとんど見られず、
綺麗に上手にクリーンに抜いていく。
2011年の125ccクラス時代から、彼がパッシングで他ライダーに甚大な迷惑をかけたシーンは
ちょっと思い出せない。
マルク・マルケスは2015年のマレーシアGPまでは強引なパッシングがわりと目立つライダーだったが、
マーヴェリック・ヴィニャーレスはかなり若い頃から強引なパッシングとはほぼ無縁のライダーである。
MotoGP有識者が口を揃えて指摘するのは「マーヴェリックはマシンを起こすのが素早い」である。
コーナー出口でマシンを起こす作業が素早く、MotoGP最大排気量クラスでもトップクラスとされる。
コーナーをクルッと回ってから、コーナー出口でアクセルを開けて加速していくのだが、
そのときマシンが垂直であればより効果的に加速できる。
肉体をストイックに鍛え上げる「フィジカルお化け」「フィジカルモンスター」である。
彼のSNSを見てみると、腹筋ポコポコの見事な肉体が観察できる。
画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6、画像7、画像8
壁を駆け上がる動画がある。まさしくフィジカルお化け。
こうした肉体の強さが、先述のようなマシンを起こす速さにつながっているのであろう。
コーナーリングをしている最中に、外側の足をステップバーから外すことがある。
こちらの動画をみるとよく分かる。
先行するアレイシ・エスパルガロが左足でグッとステップバーを踏んでいるが、
マーヴェリックは左足をステップバーから外している。
これはリアタイヤを滑らせてマシンの向きを変えるためにやっているらしい。
青木宣篤さんも「本当に信じられない」ととここやここで驚嘆しつつコメントしている。
足がぴょこんと飛びだしているようで、見ていて面白い。動画1、動画2
2014年のmoto2クラスで、チャンピオンを獲得したティト・ラバトが、しばしばコーナーリング中に
外側の足をステップから外していた。それを見てマーヴェリックも真似したようである。
ヴァレンティーノ・ロッシはマシンを倒しこみながらブレーキングして、
コーナーの進入でスルスルッとインに入ってパッシングするのが得意中の得意である。
セパン・インターナショナルサーキットの9コーナーで、そういうシーンが多く見られる。
こういう、マシンを傾けてブレーキングする行為はフロントタイヤを酷使する傾向があり、
フロントタイヤにちょっと厳しい乗り方である。しかしパッシングのためには極めて有効なので、
ヴァレンティーノが最大の武器にしている。
一方でマーヴェリックは、マシンを倒しこみながらブレーキングするのをあまり好まない。
マシンを倒す前に、マシンが垂直になっている状態のときに、ブレーキングをしてしまう。
こういう乗り方はフロントタイヤを酷使しないのでフロントタイヤが長持ちしやすい。
レース後半になって強い走りができるというわけである。
こちらの記事でも「僕はタイヤを温存するのが得意です」と語っている。
セッティング能力は今ひとつのようであり、チームメイトのセッティングを丸パクリしているとか、
チーフメカに頼り切りであるとか、そういう噂が根強い。
かつてマルコ・シモンチェリが「最大排気量クラスでは電話帳みたいな取扱説明書を渡されて大変だ」
と言っていて、 セッティング能力を高めるのは難しいのだが、頑張ってほしい。
ル・マンブガッティサーキットでの成績が良い。
2011年にデビュー4戦目にして初表彰台・初優勝をかっさらっていったのもここだった。
このときは「最終ラップで狭っ苦しい最終コーナーで鮮やかに抜いてゴール」という離れ技を決めた。
抜いた相手はこの年にチャンピオンになったニコラス・テロルで、簡単に抜ける相手ではない。
2016年には最大排気量クラスでの初表彰台を手に入れている。
2017年はヴァレンティーノ・ロッシとの最終ラップバトルを制し、勝利。
ロッシとの最終ラップバトルを制して優勝した人は世界中見渡してもわずかしかいない。
マーヴェリック・ヴィニャーレスはその中に列する栄誉に浴することになった。
ブルノサーキットが苦手な様子である。2017年にやっと初めて表彰台に上った。
ブルノサーキットはしっかりセッティングを出せないと苦しいサーキットであり、
セッティング能力が飛び抜けて高いわけではない彼にとっては鬼門なのである。
また、本人はヘレスサーキットが苦手だとここで語っている。
2011年に16歳で125ccクラスに参戦開始。
Avintia Racingに所属してアプリリアの2スト125ccマシンを駆り、デビュー4戦目で初勝利、
デビューイヤーでシーズン4勝という衝撃的な成績を収めた。
この年のチームのオーナーは、なんとあのパリス・ヒルトンで、度々サーキットを訪れていた。
綺麗で華やかで超金持ちでマスコミに追い回される大スターであるパリス・ヒルトンと、
16歳の高校球児みたいな芋臭いマーヴェリックとの対比が非常に面白かった。
こちらの動画では、サーキットを訪問したパリス・ヒルトンがマーヴェリックに声をかけている。
パリス・ヒルトンは2011年シーズン限りでこのチームから撤退したが、
マーヴェリックは同じチームに留まった。
2012年はmoto3初年度で、Avintia RacingはFTRのシャーシとホンダのエンジンを選択した。
ところがこのホンダエンジンがあまり強くなく、ライバルチームのKTMのマシンに後れを取ってしまう。
レプソルホンダの「中本修平(元HRC副社長)」の欄で記述したように、ホンダはドルナの意向を汲んで
安価なエンジンを作ったが、KTMは「高くても速いマシン」を勝手に作っていた。
moto3初年度はホンダとKTMのマシンに格差があった。
マーヴェリックは奮闘し、サマーブレイク前の第9戦まで5勝を挙げ、9ポイント差のランク2位につける。
しかしサマーブレイクが空けてからは勝てなくなる。
インディアナポリスでは2位走行中の最終ラップ15コーナーで痛恨の転倒、ノーポイント。
ブルノサーキットでは4位。ミサノサーキットでは5位。
ランキング1位のコルテセとは46ポイント差が付いてしまう。
特にミサノサーキットでは10コーナー立ち上がってからの区間でどうにもマシンが伸びなかった。
そして迎えたモーターランド・アラゴンのアラゴンGP。
決勝レース直前のサイティングラップでなんとホンダのエンジンが故障してしまう。
結局レースをあきらめ、マシンを支えずに立ち去る。立ち去るときに後ろ足でマシンに蹴りを入れた。
このマシンにはレプソル(Repsol)のロゴがしっかり入っていた。
案の定、翌年からマーヴェリックはレプソルの支援を受けられなくなった。
日本GPでは2位に入るものの、その次のマレーシアGPで突如「チームとの契約を破棄する!」と言い、
父親のアンヘル・ヴィニャーレスと共に飛行機に飛び乗ってスペインに帰国してしまった。
このときのマーヴェリックの表向きの声明は「チームの仕事が悪すぎる。他のホンダマシンよりも遅い。
こんなチームとは一緒に仕事できない」というものだった。
しかし実際は、Avintia Racingの監督とマーヴェリックの個人マネージャーを兼務している
リカルド・ホヴェが、速いKTMマシンを走らせている他のチームからのオファーを
握りつぶしていたことに不信感を抱いていたのだ。
このときはリカルド・ホヴェを擁護する声も多く、個人マネージャーであるがやはりチーム監督なので、
他所のチームからの良いオファーを握りつぶしたくもなるだろう・・・というものだった。
マーヴェリックに同情する声も多く、「遅いホンダであと2年走るなんて、可哀想だ」というものだった。
マーヴェリックとリカルド・ホヴェは1ヶ月前に2013年と2014年シーズンの契約を結んでいたのである。
その後どうなったかというと、マーヴェリックが雇った弁護士パコ・サンチェスがマーヴェリックに
「とりあえずチームに謝罪して残りの2戦を出走しなさい。それをしないと契約違反で面倒なことになる。
2013年と2014年の契約を取り消すのはなんとかなる」と言い渡し、マーヴェリックも従った。
パコ・サンチェスはMotoGPでのゴタゴタを解決する経験が豊富な弁護士で、今回も仲介に入って
うまーく調整し、マーヴェリックの2013年と2014年の契約を取り消すことに成功した。
マーヴェリックほどの才能に声がかからないはずがなく、KTMマシンを擁するTeam Calvoと契約できた。
ただこのチームは資金力がメチャクチャ高いというわけでもない平均的なプライベートチームだった。
ルイス・サロムのKTMワークスや、アレックス・リンスのTeam Monlau(資金力が高いことで有名。
ワークスチーム並みに高額な部品を買い込む。KTM使用)に比べるとマシンの完成度が少し低く、
直線で後れを取ることが多かった。
マーヴェリックは直線で遅いマシンで懸命に食い下がり、毎レースで表彰台圏内を確保する。
しかしながらルイス・サロムとアレックス・リンスが速く、じりじりとポイント差が離れていった。
第15戦終了時点でのランキングはこの通り。
ランキング1位 | ルイス・サロム | 7勝 | ポイント300 | |
ランキング2位 | アレックス・リンス | 6勝 | ポイント295 | 首位とは5ポイント差 |
ランキング3位 | マーヴェリック | 2勝 | ポイント278 | 首位とは22ポイント差 |
この時点で残り2戦、マーヴェリックは絶体絶命の窮地に立たされた。
迎えた第16戦、ツインリンクもてぎで行われた日本GP。
天気は快晴で、路面温度27度とまずまず高く、風も全く吹いていない。波乱なく終わりそうである。
ところがなんと1周目、V字でルイス・サロムにイサック・ヴィニャーレスが突っ込んでしまう。
ルイス・サロムは転倒し、最後尾30位まで順位を落とした。
ちなみにイサック・ヴィニャーレスはマーヴェリックの従兄弟であり、一瞬、
「マーヴェリックのためにわざと・・・」と誰もが考えただろうが、
イサックの転びっぷりが凄まじいので誰もそう言わなくなった。
ファステストラップを連発し懸命に追い上げたルイス・サロムは4コーナーで再び転倒、すべてが終わる。
レースはマーヴェリックとアレックス・リンス、そしてアレックス・マルケスの3人が争う形になった。
アレックス・マルケスはこの時点でキャリア未勝利であり、興奮気味に攻めまくってくる。
それに苛ついたアレックス・リンスが90度コーナーを過ぎた後に振り返って
「何してくるんだ!」とハンドジェスチャーを送る。
そしてなんと、残り5周の16周目、最終コーナーでアレックス・リンスがハイサイド転倒してしまう。
ランキング1位と2位のライダーが揃って転倒する大波乱のレースとなった。
最終ラップでマーヴェリックもミスし、アレックス・マルケスが先頭に立ち、そのまま押し切って優勝。
これでランキングはこのようになった。
ランキング1位 | ルイス・サロム | ポイント300 | |
ランキング2位 | マーヴェリック | ポイント298 | 首位とは2ポイント差 |
ランキング3位 | アレックス・リンス | ポイント295 | 首位とは5ポイント差 |
最終戦バレンシアGPは歴史的な1戦となり、最終周の最終コーナーで勝負を決めたマーヴェリックが
見事チャンピオンに輝いた。
そのときのドキュメント動画はこちら。緊迫の最終戦となっている。
2014年はチャンピオンチームのPons Racingに誘われ、ルーキーイヤーにして4勝を挙げた。
このときの様子を、チームオーナーのシト・ポンス(1988~1989年250ccクラスチャンピオン)は
このように語っている。
「マーヴェリックは集中力が高く、自分がなんのためにサーキットへ来ているかを良く理解していた」
「マーヴェリックは自分の仕事をやり遂げることしか考えていなかった」
このあと、「それに引き換えアレックス・リンスときたら・・・」と続くのだが、これはまあ省略しよう。
弱冠20歳で最大排気量クラスに移ったマーヴェリックは、初戦から第10戦までポイントを獲得し続けた。
これも最大排気量クラスのルーキーとしては異例のことであった。
ヴァレンティーノ・ロッシ、加藤大治郎、ケーシー・ストーナー、ホルヘ・ロレンソ、マルク・マルケス、
など、最大排気量クラスのルーキーは転倒しまくるものだが、マーヴェリックはほとんど転ばない。
2016年のシーズン始めにはヤマハから声がかかり、スズキも懸命に引き止めようとしたが、
ヤマハ移籍を決める。
イギリスGPでは低い路面温度に他ライダーが苦しむなかレース序盤からかっ飛ばし、ぶっちぎって優勝。
スズキがドライのレースで優勝したのは16年ぶりのことだった。
ちなみに、スズキにはマシンを蹴るライダーがかつて2人在籍していた。
1993年のTTサーキット・アッセンでジョン・コシンスキーがマシンをキック。解雇された。
2006年のロサイル・インターナショナルサーキットでジョン・ホプキンスがマシンをキック。
マーヴェリックもマシンを蹴った前科があるので関係者が心配したが、無事に2シーズンを終えた。
2017年はシーズン序盤で3勝を上げるが、しだいにマシン開発が迷走し、徐々に成績を落とした。
2018年も引き続きマシンの開発が上手く進まなかった。
2017年ドイツGPから2018年日本GPまで、ヤマハワークスは25連敗を喫した。
これはヤマハがMotoGPに参戦した歴史の中で最長の記録である。
それまでの記録は1997~1998年の22連敗だった。
このときよく聞かれたのが「加速するときにリアタイヤがグリップせず、スピンする」というものだった。
これの原因がさっぱり分からず、エンジンなのか車体なのか電子制御なのか、色々言われていた。
ところが2018年タイGPのあたりからヤマハワークスの2台が好調を取り戻し始め、
2018年オーストラリアGPでとうとうマーヴェリックが優勝し連敗に終止符を打った。
ただ、25連敗もしたわりにはロッシもマーヴェリックもポイントをしっかり獲得しており、
2018年のランキングはロッシ3位、マーヴェリック4位である。
ヤマハは弱いのか強いのか、関係者一同が首をかしげることになった。
マーヴェリックは一言で言ってしまえば直情的な性格である。彼のエピソードを紹介していこう。
まず真っ先に挙げなければならない特徴がこちら。
調子が良いときのマーヴェリックはパァッと明るい表情になり、自信満々、眼差しも強気、血色良く、
口元には余裕の笑みがこぼれ、誰がどう見ても「ああ、調子が良いんだなぁ・・・」と分かる。
画像1、画像2、画像3、画像4 こういう、「調子の良いときのマーヴェリック画像集」は
簡単に作ることができる。
調子が悪くなると欲求不満がモロに顔に出て、ふてくされたような表情になる。カメラを向けられても
一切反応しなくなり、誰がどう見ても「ああ、調子が悪いんだなぁ・・・」と分かる。
表情をちょっと見るだけで調子の良し悪しが分かるので、とても分かりやすい。
たまにマシンにパンチを浴びせることがある。
こちらの動画では、派手にバイクをばちこーんと叩いている。
この2017年バレンシアGPは、予選13位決勝12位で、どちらもシーズン最悪だった。
あまりの調子の悪さに、怒りがマシンに向かったのだ。
こちらの動画でも、バイクにパンチを2連打している。(何か嫌なことがあったのだろう)
こちらの動画でも、軽くであるがマシンパンチ。
こちらの動画は、2012年オランダGP(moto3クラス)の最終ラップの最終シケインでパッシングし、
見事な勝利を収めた直後に、喜びのあまりマシンにパンチを浴びせている様子が映っている。
勝とうが負けようが、マーヴェリックのマシンはパンチを浴びる運命にあるのであった。
調子が悪くなるとチーム批判を始めるのがマーヴェリックの特徴である。
現在所属しているのがヤマハワークスで、この会社は優しいのか甘いのか寛容なのか忍耐力があるのか、
ライダーがチーム批判してもあまり止めようとしない。
マーヴェリックの口からチーム批判の言葉が出るのが近年のMotoGPの風物詩である。
そうしたマーヴェリックの言葉をMotorsport.comというニュースサイトがせっせと記事をするのを
見た人は多いだろう。(あのニュースサイトは舌戦や舌禍を取り上げるのが得意なのである)
「失望した。目標を見失ったし、マシンの感触は極めて悪い。アジア遠征シリーズなんてさっさと終わってほしい。モチベーションもゼロだし、期待もゼロだ」
「スズキワークスにいたときの方がチームとコミュニケーションが取れた」
「2018年は『ホンダやドゥカティに乗っていたらどうだったか』との思いが頭の中を駆け巡っていた」
「うちのチームは雨のバイクを作り上げることができていない」
「上手く走れない理由はヤマハに聞いてくださいよ」
マーヴェリックくん!まあまあちょっと落ち着いて、と言ってあげなければならない。
ちなみに、アジアラウンドなんてさっさと終われ発言をしたのが2018年9月なのだが、
そのわりにはアジアラウンドの4戦を必死に走り、好結果を残していた。
タイGPで6戦ぶりに表彰台獲得、オーストラリアGPで1年5ヶ月ぶりに優勝して感涙、
マレーシアGPも4位獲得。
マーヴェリックの言葉は話半分に聞かねばならない。
マシンにパンチを浴びせる、チーム批判をやらかす、でマーヴェリックのことを過激な男だと
思う方は多いだろう。
そんな過激なライダーなら、レースでも過激に振る舞うのかというと、これが全く正反対である。
レースにおけるマーヴェリックはとにかく堅実に振る舞い、自分の限界をきっちり理性的に見極め、
攻めすぎず、しっかり自制し、常に冷静に判断し、転倒が少ない。
これがあのチーム批判ばかりの舌禍男か、と思えるほどにしっかりしていて、まことに落ち着いている。
レースでしっかり自制心を働かせるので、その反動が出て、レースの外で舌禍を巻き起こす・・・
そのように見て良いのではないだろうか。
マーヴェリックは最大排気量クラスのチャンピオン候補ライダーにしては珍しく、2位や3位でも
満足して笑みを浮かべるタイプの人間である。
マルク・マルケスや2009年以前のホルヘ・ロレンソは典型的な「1位じゃないとダメ。2位は負け」の
タイプで、2位になると半端じゃないほど悔しがる。
ホルヘ・ロレンソに対してはウィルコ・ズィーレンベルグというコーチが2010年頃に何度も
「1位じゃなくても良いんだ。2位を集めればチャンピオンになれる」と言い聞かせ、
やっと性格が矯正され、1位を狙って突進していく癖が直った。
マルクやホルヘはそういうタイプで、闘争心の塊といった感じなのだが、マーヴェリックはちょっと違う。
マーヴェリックは2位や3位になってもわりとしっかり満足するタイプであり、パルクフェルメで
悔しそうな表情をしない。moto3時代はルイス・サロムやアレックス・リンスに速さで敵わず
3位に甘んじるケースが多かったが、そういうときでもパルクフェルメでニコニコ笑って満足していた。
2015年のインタビューで、自分の欠点は何か、と問われたマーヴェリックは「闘争心がないところ」
と答えていた。これは、2位や3位でも満足することを示している。
もちろん、2位や3位を積み重ねれば巨大なポイントになり十分にチャンピオンを狙える。
ゆえに、マーヴェリックが2位3位で満足することは、決して非難されることでもない。
そういう気の持ち方もありうると言えよう。
最近でも、2018年バレンシアGPで予選最速のポールポジションを獲得したのに、
「決勝ではトップ7に入ればいい」というコメントを残していた。
もっと強気になって優勝を狙っていかんかい、と言いたくなる人も多いだろうが、
こういう目標設定をするのがマーヴェリック流なのである。
マーヴェリックが穏便でない感情をむき出しにしてライバル視しているのは、マルク・マルケスである。
1歳11ヶ月年上のマルクに対し、マーヴェリックが一方的に敵対心を露わにしている。
2人は子供の頃から同じレースをしていて、勝つのはだいたいマルクで、マーヴェリックはそのたびに
号泣していたという。その頃の恨み辛みが今もマーヴェリックの心に残っている。
2015年の日本GPの時のインタビューでは
「やっとマルク・マルケスと同じ土俵に立てた。ここまで長かったよ」とコメント。
2017年ドイツGPの予選中、2コーナーをマーヴェリックが走っている最中に、マルクにぶつけられた。
そのあとコース上でマーヴェリックがマルクにかけよって抗議したので、関係者一同に戦慄が走った。
直後のインタビューでもマーヴェリックは怒りが収まらない。
「あれは、わざとやってないとは考えられない。絶対にわざとだ」
「マルケスはコーナーを曲がろうとせず、僕のバイクを止めようとしてきた」とまくし立てた後、
「限界点がどこにあるのか、今や明らかになった」
「予選が行われる状況の中で、僕がやらなきゃならないときには、やってやる」
「マルケスは僕のことを探すだろうが、僕を見つけられないだろうね」と何とも不穏なことを言う。
遠回しに婉曲に表現しているが、要するに、場合によってはマルケスに仕返しをする、
マルケスを転倒あるいはコースオフさせてやる、という意味に取れるだろう。何とも過激な発言である。
これに対してマルク・マルケスは平謝りしている。
2018年アメリカズGPの予選中、14コーナー付近でマルク・マルケスがスロー走行し、
マーヴェリックの邪魔をした。何度も振り返って手を挙げて怒りを表現するマーヴェリック。
パルクフェルメで平謝りするマルクに対し怒りが収まらないマーヴェリック。
途中で灰色のセーターを着たドルナのスタッフが「これは止めないとマズい」と感じたのか、
手の平をマーヴェリックに向けつつ2人の間に割って入っている。
いつもこんな調子なので、表彰台でシャンパンファイトの時間になっても2人は一切触れ合わない。
こちらの画像は真ん中に女性がいるので緊張緩和している。
マーヴェリックのSNSにはトレーニングに励む姿がたびたび上がっている。
モトクロス(凹凸のある土の路面をジャンプしながら走る競技)が好き。
見事な跳躍を披露する動画が多い。動画1、動画2、動画3、動画4、動画5、動画6
マーヴェリックの地元はジローナ県フィゲーレス、現在の住所はアンドラ公国。
どちらもピレネー山脈の近くにあり、冬になると雪がしっかり積もる。
このためスキーが得意である。画像1、画像2
スノーボードも大好き。画像1、画像2
自転車も好んでいる。彼の家があるアンドラ公国は山岳地帯なので自転車トレーニングにぴったり。
画像1、画像2、画像3
自転車で走っていたら羊の集団に出くわしたらしい。
ジムでトレーニングを積むことが多い。
ベンチプレスなどのような筋トレは好まず、いろんな動作をすることを好む。
鉄棒、吊り輪、トランポリン、ロープ、といろんなことをする。
また、バランスボールに乗って体幹を鍛えることも熱心である。画像1、画像2、画像3、画像4
音楽を流して色んなことをして、飽きないように工夫している。画像1、画像2、画像3、画像4
スペインのエナジードリンク。2011年から2013年までのスポンサー。
トライアスロンの大会のメインスポンサーをしていたこともある。
オーストリアのエナジードリンク。2014年から2016年まで。
アメリカのエナジードリンク。ヤマハワークスはモンスターエナジーの支援を受けているため、
2017年のヤマハワークス移籍と同時に個人スポンサーも切り替わった。
こちらの画像では、現在のスポンサーに気遣って、レッドブルを消している。
アメリカのサングラスメーカー。こちらはCMの動画。やっぱりジムでトレーニングしている。
アメリカのハンバーガー・チェーン店。
マーヴェリック・ヴィニャーレスの愛称は、Maverickを略したMack(マック)である。
マクドナルドは「マック・デリバリー」と称して配達サービスを行っていたので、
こういうCMが作られることになった。こんな配達員がいたら面白すぎる。
バルセロナの街角にもこんな看板がある。
1999年から2002年まで宇井陽一がデルビから参戦していたが、そのときのチーム監督だった。
2008年から2012年までマーヴェリックのマネージャーを務めていた。
より良いチームからのオファーを握りつぶしていたとマーヴェリック側に不審に思われ、解任された。
オファーを握りつぶしてライダー側に教えない癖があったようで、アレイシ・エスパルガロも
「僕もリカルド・ホヴェに同じことされたことがあるんだよ」とTwitterで喋っている。
公式Twitterアカウントがある。現在はスペインでテレビ解説をしている。
名門プライベートチームのアジョ・モータースポーツを率いる。
2014年からマーヴェリックのマネージャーを務めるようになった。2人の2ショット写真は多い。
実直な人物として有名で、ライダーをシーズン途中に解雇することをしない。
ジャック・ミラーもアキ・アジョを個人マネージャーとしていた。この縁でジャックとマーヴェリックは
仲良くなった。2014年から2015年程度まで、同じモーターホームでサーキットへ通っていた。
こちらが、そのモーターホームの画像である。
アキ・アジョはフィンランドに家があり、冬は凍り付いた湖をバイクで走るアイスレースをする。
マーヴェリックもアイスレースに誘われている。画像1、画像2、画像3
こちらでは、アキ・アジョの息子のニクラス・アジョとトレーニングしている。
2016年4月、ヤマハワークスとの移籍交渉をしている最中にマーヴェリックによって解任された。
2016年4月から現在に至るまで、マーヴェリックのマネージャーを務めている。
2012年シーズン終盤にチームと諍いを起こしたとき、マーヴェリックとチームの仲介をした弁護士。
弁護士というと、スーツをビシッと着こなして颯爽としている、というイメージがある。
ところがパコ・サンチェスはいつもラフな服装で、とても弁護士に見えない。
マスコミに向かってベラベラ喋ることでも有名で、移籍シーズンになると彼へのインタビューが増える。
マーヴェリックもマスコミに向かってベラベラ喋ることが大好きなので、似たもの同士惹かれたのだろう。
最大排気量クラスのレース中はいつもマーヴェリックのピットにおり、立って観戦している。
マーヴェリックが表彰台に上ると、パルクフェルメに駆け寄っている。
2019年シーズンからはジョアン・ミルが最大排気量クラスに参戦する。
ジョアン・ミルも、パコ・サンチェスが手塩にかけて育てたライダーである。
パコ・サンチェスはどっちのピットに行くのだろうか・・・
マーヴェリックの父親。マーヴェリック8歳の時のこの動画で出てくる。
2012年シーズン終盤に、マーヴェリックが「こんなチームで走れるか!チームを離脱する!」と
息巻いたとき、アンヘルは「そうだ!そうだ!」と同調していた。
マーヴェリックが直情的な人間に育ったのはアンヘルの影響があるだろう。
マーヴェリックの従兄弟。マーヴェリックから見て1年2ヶ月年上。
マーヴェリックの父親の姓はViñales、母親の姓はRuiz。
イサックの父親の姓はViñales、母親の姓はMares。
ゆえに両者は、父親が兄弟であるタイプの従兄弟である。
こちらの記事によると、イサックとマーヴェリックは幼少時からいつもバイクで競争していたという。
イサックの存在こそがマーヴェリックがバイクにはまったきっかけだったようである。
2人が揃ってmoto3に参戦するときには、マーヴェリックの方が速く走れるようになっていた。
そこで、しばしばマーヴェリックがイサックに親切にしていた。
予選においてマーヴェリックがイサックの前に出て、イサックに走り方を教えてあげていた。
英語版Wikipediaあり。moto3時代はしばしば表彰台に上がる強豪ライダーだった。
両者の2ショット写真がいくつかある。画像1、画像2、画像3
2015年から2016年までのマーヴェリックのSNSには、シベリアンハスキーがたびたび映っていた。
その名前はIceという。
真っ白な小さい子犬の頃から飼っていた。画像1、画像2
巨大化していくIce。体毛も灰色が増える。画像1、画像2、画像3
家の中、それもベッドの中にまで連れ込んで溺愛していた。画像1、画像2、画像3、画像4
自分の顔との比較画像を作られ、「似てるね!」と御満悦なコメントをするマーヴェリック。
ところが、2017年になった途端、マーヴェリックのSNSからIceの姿が消えた。
「もしかしてIceは天に召されたのかな・・・」「なんと気の毒なことに・・・」とファンたちはざわめいた。
実はIceは、キアラ・フォンタネージ(イタリアのモトクロス女性選手。2012年から2018年まで
モトクロス女子世界選手権を7連覇している。イタリア語Wikipediaあり)の飼い犬であり、
キアラの実家で飼われていた。
キアラの実家はイタリア・パルマ近郊にあり、マーヴェリックはそこにしばしば行って同棲していた。
2017年1月に2人が別れたので、マーヴェリックのSNSに出てこなくなったというわけである。
キアラのSNSにはIceがしばしば映っている。画像1、画像2、画像3
Ice専用のInstagramアカウントもある。
キアラに未練はないがIceには未練があるマーヴェリックは、裁判を起こしてIceを奪還しようと
考えたらしいが、いまだ裁判には至っていない模様。
マーヴェリックとキアラが付き合い始めたのが2015年秋で、その頃に記念としてIceを飼い始めた。
飼い始めたときのIceは真っ白な子犬で、マーヴェリックはIceの成長とともに時を過ごした。
このためIceのことが忘れられなくなってしまった。
「同棲カップルがペットを飼う」というのをしてしまうと、別れるときに耐えがたき苦しみを味わう。
そのことはGoogle検索しても出てくるのだが、マーヴェリックは実体験してしまったのだった。
2017年1月に飼い始めたのが、茶色のラブラドール・レトリバーである。
こちらの名前はMinnie(ミニー)という。
散歩へ連れて行ったり家の中で飼ったりと寵愛している。 画像1、画像2、画像3、画像4
Minnieのヘルメットを作ってもらい喜ぶマーヴェリック 画像1、画像2
Minnieは雪が大好きなのか、雪が降ると興奮する。
そのためしばしばスキー場へMinnieを連れていっている。画像1、画像2
2015年アラゴンGPの前のイベントで、戦闘機に乗せてもらったことがある。 画像1、画像2、画像3
名前の元ネタが戦闘機パイロットで、さらにその元ネタが牛なので、牛のワッペンを付けた。
乗ったのはFA-18戦闘機で、最初はちょっと嘔吐気味になったという。
この場所にあるサラゴサ空軍基地から、この場所にあるサーキットまで、95kmを10分で飛行した。
イノシシが好みのデザイン。
2013年moto3クラス最終戦でもヘルメット後頭部にイノシシが描かれている。
2017年アラゴンGPではイノシシのヘルメットを被った。画像1、画像2
秋葉原に出没してお茶目な写真を撮ることがある。
2013年がこれ、2015年がこれ。これはいつなのか分からないが秋葉原なのは間違いないだろう。
「クレヨンしんちゃん」が好きなアニメと語っている。※同作品はスペインで大人気である
2018年10月の日本GP後に明治神宮へ参拝した。その直後のオーストラリアGPで見事優勝した。
2018年オーストラリアGP直前に「勝ったら頭を丸める」と宣言したため、約束通り坊主になった。
画像1、画像2
アレイシ・エスパルガロとはかつてスズキワークスでチームメイトだったから仲が良い。
アレイシの弟ポルとマルク・マルケスが仲が悪く、またマーヴェリックとマルク・マルケスも仲が悪い。
「敵の敵は味方」ということか、アレイシとマーヴェリックは一緒に映ることが多い。
また、自転車トレーニングという共通の趣味があるのも大きいだろう。
画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
ジャック・ミラーとはかつてモーターホームを共有していたほどで、とても仲が良い。
2018年アラゴンGPでは、マーヴェリックのマシンが故障したので、ジャックが押してあげていた。
MotoGPライダーには「レースの前はホテル・サーキット・空港にしか行かない」という修行僧タイプと、
「レースの前は近くの街へ行って買い物や外食を楽しむ」という遊び人タイプがいる。
マーヴェリック・ヴィニャーレスは前者であり、ジャック・ミラーは後者だという。
パリス・ヒルトンの胸をチラ見したのを激写されたことがある。
カタルーニャ州出身者なのでFCバルセロナのファンかというとそうでもない。
地元のジローナFCのイベントに出席したことがある。
「until:2018-12-1 from:mvkoficial12」といった文字列で検索すればよい。
「until:2016-12-1 from:mvkoficial12」といった文字列で検索しても、上手くいかない。
なぜなら、2018年11月にTwitterのアカウントを変えたからである。
「until:2016-11-1 from:maverickmack25」といった文字列で検索すればよい。
かつてのアカウント名を入力すればうまくいく。
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最終更新:2024/05/25(土) 15:00
最終更新:2024/05/25(土) 15:00
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