第24回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞(日刊スポーツ新聞社主催、石原裕次郎記念館協賛)が5日決定し、新藤兼人監督(99)が作品、監督賞の2冠を達成した。

 99歳。日本最年長の映画監督・新藤兼人監督は、2冠獲得の一報に相好を崩した。監督賞は95年の「午後の遺言状」以来16年ぶりで、「監督をやっている限りうれしい」と喜んだ。「一枚のハガキ」は98歳で撮影し「映画人生最後の作品」と公言。それだけに喜びも大きく、「実際、最後になると思いますけど、それだから(賞を)もらったんじゃないか。審査員にお礼を言いたいです」と笑った。

 「一枚のハガキ」は、新藤監督が軍に召集された実話を基に脚本を書いた。掃除部隊として奈良の天理教宿舎を掃除した後、くじ引きで100人中60人がマニラに行くことになり、マニラ行きが決まった兵士が、手にした妻からのハガキにはこう書いてあった。

 「今日はお祭りですがあなたがいらっしゃらないので何の風情もありません

 友子」

 ハガキを日本に残る主人公に渡し、「君が生きて帰ったら、妻に『戦死しても霊魂になってお前を守る』と僕が言っていたと伝えてくれ」と頼むシーンが、物語のカギになる。

 新藤監督は6人の生き残りとして終戦を迎えた。51年に「愛妻物語」で監督デビューしたが、「94人の犠牲の上に自分がいる」と思い続けてきた。「戦争とは何か」をテーマに映画をつくってきたが、「なかなか出し切れなくてムズムズしていた」中、その思いすべてを「一枚のハガキ」に込めた。終戦から66年。戦争映画を製作する監督にも戦争経験者はほぼいなくなった中、新藤監督は「私がつくったのは本当の話。だから、たくさんの人に見てもらえたと思う」と力を込めた。【村上幸将】

 ◆新藤兼人(しんどう・かねと)本名・兼登。1912年(明45)4月22日、広島県生まれ。34年に新興キネマ現像部に入り溝口健二監督に師事。44年に松竹に移籍。同年4月に軍に召集され終戦は宝塚海軍航空隊で迎えた。50年に近代映画協会を設立。60年の「裸の島」がモスクワ国際映画祭グランプリ、95年の「午後の遺言状」が日本アカデミー賞最優秀作品賞など受賞。02年に文化勲章受章。