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ヨブ記23章1-7節

2016年10月30日 09時35分37秒 | 聖書


23:3 「ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい。
23:4 私は御前に訴えを並べたて、ことばの限り討論したい。
23:5 私は神が答えることばを知り、私に言われることが何であるかを悟りたい。」



 ヨブは、人との議論の中では、自分の苦しみの理由を知ることができないので、彼は神と論議をしたいと語っています。

しかし、どこに行って神に会うことができるのかわからないので、その論議もおぼつかないと言います。

神様は霊ですので人の目には見えませんし、また目を持ってみることができません。

従って、神様と論議をする時には、神様の方から彼に語ってくださるのでなければ、彼は神と語ることができません。

ですから、どこに行ったら語り合えるのかというのです。

彼にとっては、神のみが真に自分の苦しみの理由を知り、またそれを告げることができるお方であると知っています。

ですから彼は、鹿が谷川の水を慕いあえぐように、生ける神を慕っているのです。

彼にとっては、神がすべてであったのです。

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