2017年9月3日、異星人エロヒムとのコンタクト(テレパシー交信)ラエル氏のお話:沖縄
今日の、エロヒムとのコンタクトはみちお。
その後、マイトレーヤ・ラエルは、次のように話されました。
愛してます。
今朝は、とても重要なことを一つ話したいと思います。
それは、執着しない、ということです。
執着というのは、何でしょうか?
何かを完全に必要とするときです。
何かを、、または誰かを、、それは愛ではないです。
愛とは、執着の反対です。
何かに執着しているときは、それが物であっても人であっても、自分のために、それから何かを得ようとすることです。
愛するときは、あなたが愛する人が幸せになってほしいと願うんです。
この違いは、わかりますね。
執着というのは、私は私を幸せにしてもらいたいので、あなたが欲しいんです。
愛とは、あなたを幸せにさせたいんです。
私と一緒で、または私が居なくても、、それが愛です。
執着とは、悲しいことに、今日の世界に、これが満ち溢れています。
それは、文化や教育や政治によって造られています。すべてにおいて。
たくさんのことに執着することができますが、家に執着する人もいれば、、それは悪いです。
ホームレスでいて、幸せでいることもできます。
20個の家を持っていて、そしてとても落ち込むこともできます。
ですから、何か所有することによって、自分を幸せにするわけではないんです。
物や誰か、、それは幸せではないんです。
執着しないこと、、執着しないことです、、それは、自分の幸せは、自分の中から来るということに気が付くことです。
唯一、自分の中からのみ来ると。
好きな家を持つこともできますし、問題ないです。でもそれを必要としません。
私の家は大好き、と言いますが、、私のお庭が好き、、この帽子が好き、、でもそれを必要とはしていません。
突然、風によって帽子が飛んでいったとしても、私の幸せは同じです。
私は家を持っていませんが、今住んでいる家が火事で燃えたとしても、私の幸せは同じです。
ホームレスでいたとしても。
私が若い頃、パリの街の道で寝ていましたが、幸せでした。
その時以上に幸せな時はなかったです。
何も所有しないで、そして自由でいること、、あなたが所有するものが、あなたを所有してしまうわけです。
みなさんは、お金持ちのたくさんの人々を知っていますが、たくさんの車、たくさんの家を所有していて、たくさんの会社を持っていて、でも彼らには、人生がないわけです。
本当にたくさんの時間を使って、家やガールフレンドを持ち続けるために、頑張りますけれども、彼らは、最終的には幸せではないんです。
そして、現在の文明というのは、さらに、そうなんです、、なぜでしょうか?
なぜなら、ほとんどの人は、彼らが何かを買うときに、それを現金で買っているわけではなくて、クレジットで買っているわけです。
銀行からお金を借りているわけです。それを30年かけて返済しているわけですね。
彼らは、奴隷です。銀行によって、このようになっています。
毎月、何らかのお金を返していて、突然、私は仕事を止めて旅をします、と言えないわけです。
毎月、払わなければいけないのです、、車のために、、家のために、、所有しているすべてのためにです。
自由というのはないんです。
幸せはないです。
彼らは、奴隷です。
銀行からお金を借りて家を買った時は、国によっては、銀行にローンで支払う家の金額が、金利で2倍になってしまいます。
銀行にお金を返しているときに、またはクレジット会社に、何千人の人たちが自分の給料から返しているわけです。
ですから、自分が所有しているものが、自分自身を所有しているわけです。
本当の奴隷なのです。
頑張って働いて、歳を取った時には、最終的に家の支払いを終えて、そして死にます。(笑)
頑張って働いて、人生を楽しんでいません。
ですから、執着しないこと。家は必要ではありません。
自分自身が外でホームレスでいることを、想像してみます。
人々はホームレスになることを本当に恐れますが、そして政府も、それについて恐怖を与えるわけです。
そして、もっと人々を奴隷化して、恐れを与えるわけです。
ホームレスにならないように。
だから何でしょうか?あなたは、ホームレスでいると本当に幸せになります。
もちろん、みなさんがホームレスになるべき、と言っているわけではないです。(笑)
自分の家が好きなら、それはいいです。
でもそれに執着しないでください。何にも、執着はしないでください。誰にも執着はしないでください。
誰かを愛すことはできますが、それは美しいことですが、、私は彼女を愛していますが、彼女が私から去っていたら、自殺してしまいます、と。
たくさんの歌が、そういうことを歌っています。
たくさんの映画がそういうことを描いています。ドラマで、、嫉妬とか彼女や彼氏を失うことの恐ろしさや怒り、、そういうことを与えています。
これが執着です。
執着しないということ、それは愛です。
私は、みなさんを必要としません。でもみなさんのことを愛しています。
私は、みなさんのことを幸せに出来るなら、私は本当に幸せです。
でも誰かがみなさんをもっと幸せにしてくれるなら、どうぞ行ってください。
これが愛です。そしてみなさんは執着していない、ということです。
執着とは、愛ではないです。それはエゴです。
私は、あなたが私を幸せにすることを必要とする、ということです。
私は、私を幸せにするのに誰も必要としません。
私の幸せは、私自身から来ています。
この執着をしないという感覚を、朝、瞑想するときに、あなたの幸せを破壊するものは何もないです。
永遠にその状態でいるんです。同じレベルでいるんです。
誰もこの幸せ以上にあなたを幸せにできませんし、、幸せとは、ここに100%の幸せがあって、または0です。
バイナリ(binary)システムと言います、0か1ということです。
50%だけ幸せということはありません。90%だけ幸せだということもありえません。
幸せ!か、そうでないかといことだけです。
ですから、幸せに到達すると、執着しないことによって、あなたの幸せは、いつも同じです。
それ以上にはなれませんし、何もこれ以上に幸せにしてくれるものはないんです。
幸せは、100%なのか、または0なわけです。
それを感じてください。
あなたが瞑想するときに、この自由をあなたは感じて、執着しないことによって。
そして、一つである感覚を感じるんです。
執着しない、そして、すべてのものと一つであることを感じるんです。
無限と一つであることを感じるんです。
執着をすべて破壊していかなければいけません。
みんなから、、お父さん、お母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、、に執着しない。
私のお婆さんを好きですけれども、彼女を訪ねるたびに、彼女はすごい歳を取っているのでこれが最後かもしれない、というふうに訪ねるんです。
でも、そのあと20年生きましたけども、いつも私は驚いていました。ああまだ生きているんだ、と。(笑)
そして一緒に笑っていました。さよならを言うたびに、あなたは80歳だし、90歳の時にもそうでしたけれども、もうこれが最後かもしれないというふうにお互いに笑いながら、さよならを言っていたんです。
そして彼女が亡くなるときは、もう涙は1滴も出ていませんでした。
もう20年も待っていましたから、(笑)最終的に99歳になって、亡くなりました。本当に素晴らしいことです。
感情は無いです。恋しいということも無いです。なぜなら、彼女が生きているときに、私のすべての愛を与えましたので。
もちろん、愛を充分に与えなくて、愛しているというフリだけしていれば、その人が死ぬときに、気分が悪くなるんです。
もっと愛を与えれば良かった、彼女の事が恋しい、寂しい、と。生きているうちに、あなたの100%の愛を与えてください。そして執着をしないんです。
みなさんを見ているときに、私の前にある、美しいみなさんの目をみるときに、それをいつも思います。
来週の日曜日には、みなさんの中の1人は、居なくなる可能性もあります。
歳を取っていても若くても、そんなことは関係ないです。
人によっては25歳で、事故やまたは心臓発作で死にます。
ですから、私は準備が出来ています。みなさんを失くす準備が出来ています。
ですから、みなさんの目を見るときに、私は本当に愛すことになります。なぜなら、これが最後かもしれませんので。それで執着しないんです。
私にも、同じようにしてください。
日曜日に最後に、みなさんの前でスピーチしているのかもしれません。誰にもわかりません。
私に執着しないでください。
私が死ぬ日に泣かないでください。私はどこかで、とても幸せでいますから。(笑)私が死んで泣いていたら、鼻で笑っていますから。(笑)
私の歌を歌って、踊って、祝ってください。
これが執着しない、ということです。
何にも執着しないようにしてください。
そして、愛を与えてください。
私の100%の愛を、あなたに与えます。
あなたが私に愛を与えてくれるなら、私は受け取ります。楽しみます。でも、あなたを必要とはしていません。
そして、あなたも私を必要としていません。
すべてに執着しないようにしてください。私にも執着しない、エロヒムにも執着しない。
あるラエリアンは、エロヒムを神様のように思う人もいます。
地球上で、死んだ後に再生されるために、良いことを行っていたりします。それは良くないです。
何かを期待して、取り引きのために良い行いをするのは良くないです。
これは執着です。
良い人でいてください、、愛を与えてください、、そのあとに、何か賞を貰うためではないです。
ただ、与える喜びのためにやってください。
あとで、永遠の生命を得るとしたら、、それは可能性もあるし、、私たちは値するかもしれませんし、しないかもしれません。
そんなことは気にしません。今に幸せでいるんです。
今、幸せであれば、それが永遠でもそうではなくても、関係ありません。
あなたが本当に幸せなとき、ああ、これが永遠に維持できるかなと、その未来について恐れを持ち始めるんです。
この幸せで居続けられるかな、と。(笑)そうすると、幸せは無くなってしまいます。
覚えておいてください、幸せというのは、未来について、または過去について考えるものではないです。
幸せはいつですか?「Now !」そうなんです、今です。
みなさん猫になってください。(猫の鳴き声のように)「Now !」これが幸せです。
何にも執着しないでください。自分自身の身体にも執着しないでください。
私たちは死にますが、自分自身の身体に執着していれば、死ぬことが怖いわけです。
死というのは、恐怖なわけです。自分自身の身体に執着していればです。
でも、この身体に執着していなければ、そんなことは気にしません。
私たちは無限で、、無限に帰りますから、、塵から来て、塵に帰ります。
先週の日曜日に話しましたね、私たちは海であって、その海にまた戻るわけです。
ですから、死というのは、小さいエゴが消えていくものなのです。
この幻想に執着しないでください。
私たちは永遠で、、そして無限です。
ですから、永遠ではないこの身体は、100年前は存在していませんでしたし、100年後も存在しないんです。
ですから楽しむ必要があります、今です。これは一定不変ではないわけです。
何も永遠なものはないんです。
これもブッダの美しい教えです。執着しないこと、そして一定不変ではないことです。
自分の身体も含めて。
でも、自分の身体を愛してください。自分の身体を楽しんでください。たくさんの愛を自分に与えてください。執着しないで。
唯一、執着できるものは、無限です。
なぜなら、あなた自身が無限ですから、無限から何もあなたを切り離すものはないんです。
ですから、それに執着していてください。それから分離することは無理ですから。(笑)
反対に、この執着を感じることによって、もっと幸せを感じますし、一つである感覚を感じるんです。
あなたが宇宙の中にいるわけではなくて、あなた自身が宇宙なんです。
無限の中のある部分に居るわけではなくて、あなた自身が無限なんです。
ですから、それであることに執着していいわけです。
なぜなら、それは止まることはありませんので。
家を無くしても、ボーイフレンドを失くしても、預言者を亡くしても、それで無限をまったく無くすことはありませんので、楽しんでください。
そして2つ目は、愛です、本当の愛です。
与えること、愛すことに執着してください。
愛を貰うためではないんです。これは、毒です。
愛を与えることに執着してください。
(死ぬ直前の)最後の一息までです。
なぜなら無限は、、あなた自身がそうでありますし、無限ですし、そして愛でもありますから。(拍手)