第八十五回芥川賞(昭和五十六年上半期)の受賞作品です。
作者は、父吉行エイスケ、兄淳之介、姉和子という芸術家一家に育って、受賞した時点ですでに詩人としては世に認められた存在でした。
九年間一緒に暮らした愛猫「雲」に死なれた、今でいうペットロス状態が回復していく様子を、鋭い感性と確かな散文とで描いた小品です。
作者の分身と思われる主人公、「猫の殺人」という連載を書いている老女性詩人G、手作りのぬいぐるみを売る店「竜太」の主人で霊感のある美しい女性志野の三人を中心にした、主に「竜太」を舞台にしてほぼ女性だけで構成された作品は、嫌世、嫌男性感が漂う不思議な世界です。
「小さな貴婦人」というのは、「竜太」に置かれていた非売品の猫のぬいぐるみで、志野が留守中に店員が誤って主人公に売ってしまったものです。
実はGも内心欲しがっていたもので、主人公に「小さな貴婦人」が売られた(Gは知りません)ことにより、三人の関係に小さな葛藤が生まれます。
いろいろな小さなエピソードを経て、「小さな貴婦人」は次第に主人公のペットロスを癒していきます。
「雲」が死んだ時にできたこめかみにできた茶色のしみが薄れていたことに主人公が気付くラストが鮮やかです。
作中作の「猫の殺人」は断片しか書かれていませんが、猫の王女を主人公としたメルフェンのようで、実世界の部分と共鳴して、作品全体が童話のような小説なような散文詩のような不思議な雰囲気を醸し出しています。
最近は出版を意識した長い作品にばかり賞が与えられますが、本来の芥川賞は、このような今までにない新しい短編に与えられるべき賞なのです(芥川龍之介の作品のようなイメージです)。
商業出版に向いた作品には、直木賞が用意されているのです(直木三十五の作品のようなイメージと言っても知っている人は少ないでしょうが)。
ところで、この時の選考委員はそうそうたる顔ぶれで、「小さな貴婦人」は最終投票で七対三と賛成が多くて賞を勝ち得ます。
賛成票を投じたのは、安岡章太郎、丸谷才一、吉行淳之介(作者の十五歳年上の実兄で、芥川賞初の兄妹受賞と当時話題になりました)、中村光夫、遠藤周作、井上靖、瀧井孝作。
反対したのは、大江健三郎、丹羽文雄、開高健。
選評の文章に、それぞれの文学観がうかがえて興味深いです。
小さな貴婦人(新潮文庫) | |
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