りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

広島平和記念公園。

2009-11-17 | Weblog
愕然とした。

先日、とあるTVの報道番組で原爆投下前の広島の町を
CGで再現するプロジェクトを進めている田辺雅章さん
(広島で映像制作会社経営)を取材していた。
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/02abom/cg/cg.html

田辺さんはCG制作の過程でとある米国人に会ったそうだ。
その米国人は田辺さんにこう言った。

「何はともあれ、原爆が落ちた場所が公園でよかったですね」

この米国人は、広島平和記念公園が被爆前からそこにあったと
思っていたのである。
たぶん、この米国人に悪意はなかったのだろう。
むしろ、彼にとって最大限の善意のつもりだったのかもしれない。
しかし、僕が最も驚いたのは、この言葉から察するに、大半の
欧米人が上記のように思い込んでいるかもしれないことだった。

当たり前だが、広島平和記念公園は、原爆が落ちる前にはなかった。
そこには、「中島町」という町があった。
単なる町ではない。広島有数の繁華街だった。
そのには、人が住み、働き、子どもたちが路地で遊んでいた。

そこには「普通の生活」が、あったのだ。

それが一発の爆弾で、消された。
一瞬で、消された。
人も街も生活も、すべて消されたのだ。

田辺さんの実家は、今の原爆ドームのすぐ隣にあったそうだ。
あの日、母と1歳の弟を一瞬のうちに、亡くした。
今も、あの原爆ドームのそばに2人の遺骨は埋まったままなの
だそうだ。
米国人のこの言葉を聞いた瞬間、田辺さんは全身の血が逆流する
ほどの憤りと哀しみに襲われたという・・・。

現在の広島平和公園は、綺麗で整然とした都心の公園だ。
しかし、その土の下には64年前の瓦礫と数えきれない遺骨が
今もそのまま埋まっているのである。
そんな場所の上に立ち、私たちは手を合わせているのである。
そしてもっと酷いことに、春になるとそんな場所で、花見という
名目でドンチャン騒ぎをしているのである。

今、広島の秋葉市長は、オリンピック開催を目指して、まるで
外堀から埋めるように、他都市との連携を模索して東奔西走の
毎日を送っている。
昨日も隣の呉市に訪れ、五輪検討委員会への加入をお願いしたそうだ。
(ちなみに呉市は快諾したらしい)

秋葉市長に、言いたい。

あんた、他にすることがあるだろう。


(戦前の中島町・現在の広島平和記念公園)
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