小豆島

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小豆島

小豆島の衛星写真
所在地 日本の旗 日本香川県小豆郡
所在海域 瀬戸内海播磨灘
座標 北緯34度30分49秒 東経134度17分8秒 / 北緯34.51361度 東経134.28556度 / 34.51361; 134.28556座標: 北緯34度30分49秒 東経134度17分8秒 / 北緯34.51361度 東経134.28556度 / 34.51361; 134.28556
面積 153.30 km²
海岸線長 126 km
最高標高 816.7 m
最大都市 小豆島町
小豆島の位置(香川県内)
小豆島
小豆島
小豆島 (香川県)
小豆島の位置(日本内)
小豆島
小豆島
小豆島 (日本)
プロジェクト 地形
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北東方向より見た小豆島
四国最北端の竹居観音から見る小豆島

小豆島(しょうどしま)は、瀬戸内海播磨灘にある。行政区分は香川県小豆郡に属し[注釈 1]小豆島町土庄町の2町からなり、人口は2万5881人(2020年度推計)。近年、人口が減少の一途をたどっており、2013年6月24日に隣接する沖之島とあわせて、国土交通省より「離島振興法」の指定を受けた[注釈 2]

古代には「あずきしま」と呼ばれ、その後、中世までは「しょうずしま」と呼ばれた[1]素麺醤油佃煮胡麻油オリーブなどの生産が盛んであり、いずれも日本有数の生産地となっている。特にオリーブは国内栽培の発祥地として広く知られる[2]。また、小説『二十四の瞳』の作者壺井栄の故郷としても知られ[注釈 3]、小豆島をロケ地として、同小説はこれまで2回映画化された。

地理[編集]

ランドサット7号 (Landsat 7) が撮影した小豆島周辺海域。
※表示環境によっては文字がずれることがあります。
地形図
オリーブ林と内海湾

小豆島は、香川県の県庁所在地高松市の約20km北東沖に位置し、同県最大の島である[3]。 正確には二つの島で、両島間にはギネスブック認定の世界で最も幅の狭い土渕海峡(最狭幅は9.93メートル)があるが古くから橋で陸続きであり、慣例的に一つの地域として扱われている。特に区別する際には小さい方の島(海峡を挟んで西側の島)を前島(まえじま)と呼ぶこともある。

瀬戸内海では淡路島に次いで2番目の面積で、日本の島においては19番目の大きさである。横に向いたが西を見ているような特徴的な形で海岸線は変化に富み、多数の半島入江がある。南側には池田湾、内海湾がある。温暖な瀬戸内海式気候を活かし、オリーブミカンスモモなどの栽培が行われている。

本州島四国島から橋梁、トンネルなどでつながっていない非架橋の島としては、瀬戸内海で最多の人口を有する島である。また、2023年時点では空路が存在しないため、船でしか渡れない離島としては日本国内で最多の人口を有する島である。一日に発着するフェリーの本数は日本有数である。

2013年6月23日までは面積100km2以上の非架橋有人島(北方4島を除く)としては、(沖縄県の離島振興も含め)離島振興法などのいずれの振興法も指定を受けていない日本で唯一の例だった。同年6月24日から国土交通省よりの離島振興法の指定を受けた。離島振興法を活用することにより、2023年までの人口減少率を10%以内に抑えることを目指している[4]

島の中心部には、瀬戸内海の島で一番高い山である星ヶ城(ほしがじょう、817m)があり、瀬戸大橋大鳴門橋明石海峡大橋を同時に見渡せる。

  • 面積153.30km2国土地理院のデータによる)
  • 海岸線の長さ126km

寒霞渓を始めとする渓谷・自然が瀬戸内海国立公園に指定されている。

この島の生物相は、「天然の博物館」と呼ばれるほど生物の種類に富んでいる前島 (岡山県)も参照)。島内には江戸時代、による農業被害を防ぐためしし垣が島内を一周するように120キロメートルにわたり築かれた。島内の猪は明治初期に発生した豚熱でほぼ絶滅したが、近年は農作物が荒らされるようになり、2019年度には2039頭が捕獲された[5]

海底地形の理由から電力の開通以来、2016年4月の電力自由化の前は全域が中国電力の供給区域となっていた。

小豆島で話される方言讃岐弁に分類され、東讃の言葉に近いとされるが、東讃では代表的な讃岐弁「〜やけん・やきん(=〜だから)」を用いないなど異なる面も多い。かつての地理的な影響から上方の方言・中国方言等の語彙等も多く見られる。小豆島の島内でも地域により言葉が若干異なり、アクセントに関しても旧池田町付近は高松式、旧内海町北部は観音寺式、南部は本島式、土庄町は土庄式と差異がある。なお「しょうどしま」は、香川県主部も含め「しょ」にアクセントを置いて発音されるように聞こえる。

歴史[編集]

小豆島について文献に見える最古の記録は『古事記』の国産みの段で、伊邪那岐命伊邪那美命のまぐわいにより「小豆島」(あずきしま)、亦の名を「大野手比売」(おおぬでひめ、おおぬてひめ、大鐸姫、阿豆枳島神社の祭神)が生まれたと記述されている。「おおぬでひめ」の「鐸」は銅鐸のことで、実際に三五郎池の西側から銅鐸が出土している。

小豆島は古代から吉備国児島郡に属し、吉備国が分割された後も備前国に属すなど、中世までは本州側の行政区画に組み込まれていた。平安時代初期からは皇室御料地となるが、1347年(貞和3年)にはそれまで南朝に呼応して島を支配していた飽浦信胤細川師氏に攻められて倒されて以後、島は細川氏領となり皇室領は解体された。またこの細川氏は讃岐国守護であり、この時から政治的な支配者という側面では本州側の手を離れ、四国側に移っている[6]

実質的にはこの時(1347年(貞和3年))から小豆島は讃岐国へと所属が変わっているが、書簡などに見られる名称に讃岐国あるいは讃州という呼称は定着せず、依然として備前国という呼称が用いられていた。このような状態は江戸時代の1689年(元禄2年)の文書まで見られたが、以降、宝永年間からはようやく讃岐国あるいは讃州という呼称が定着し、備前国という表示は行われなくなった[7]

小豆島は大阪以西における海上交通の要衝地であるため、1585年(天正13年)に豊臣秀吉蔵入地(直轄領、後の天領)になって以降、その重要性から時の中央政権が直接領有する時代が続いた。

大坂の陣後、江戸幕府大坂城を再建するにあたって新しい石垣を造営するために西国の諸大名は幕府の許可を得て小豆島の各地に石丁場を設置した。記録で知られるところでは福岡藩黒田家、熊本藩加藤家、小倉藩(後に熊本藩)細川家、竹田藩中川家、安濃津藩藤堂家、松江藩堀尾家、柳川藩田中家、佐賀藩鍋島家、広島藩浅野家の石丁場が知られている。石丁場は公儀普請の際に当時の島の代官であった小堀政一(没後は大坂町奉行大坂舟奉行に権限を移管)の許可を得て初めて石を切りだせることになっていたが、良質な石を得られる場所は貴重であったために諸大名はいつ生じるかも分からない公儀普請に備えて石丁場を保持し続けた。石丁場を持っていた大名が改易になると新領主がその石丁場を継承することもあったが、そうした大名が現れなかった石丁場では公儀の許可を得た商人による請負に転換され、そうした場所では限定的ながら商用に用いることも許されることになった[8]。  

江戸時代後期の領有状況
地区 1708年(宝永5年)-
1712年(正徳2年)
1721年(享保6年)-
1739年(元文4年)
1740年(元文5年)-
1829年(文政12年)
1830年(天保元年)-
1837年(天保8年)
1838年(天保9年)-
明治維新
池田村 幕府領
高松藩預地
幕府領
(高松藩預地)
幕府領
倉敷代官所など)
幕府領
倉敷代官所など)
津山藩
土庄村
淵崎村
上庄村
肥土山村
小海村
草加部村 幕府領
伊予松山藩預地)
幕府領
(倉敷代官所など)
福田村
大部村

江戸時代初期までの間は小豆島が4つの庄に分かれたうち、池田地区は池田荘(池田郷)となる。そののち、小豆郡のうち東部三郷(草加部、福田、大部)は江戸幕府直轄の天領(倉敷代官所管轄)として、池田地区とも幕府の天領地となる。西部六郷は津山藩領として統治された。また天保年間、池田郷は津山藩の領地となる。明治初期には廃藩置県により小豆島は倉敷県に属したが、その後は香川県に属する。一時は香川県が統廃合を繰り返したため、名東県愛媛県と所属を香川県と一にするが、最終的には香川県となる。

現在も土庄町が岡山県津山市と歴史友好都市交流を行うのを始め、香川県はもとより岡山県側の岡山市玉野市倉敷市備前市兵庫県赤穂市姫路市など瀬戸内海北岸地域との結びつきも深い。

年表[編集]

近世

近代・現代

  • 1907年、「丸金醤油株式会社」設立(現在はジャパン・フード&リカー・アライアンス)。
  • 1908年、西村地区にてオリーブの栽培が開始される(小豆島オリーブ産業の起こり)。
  • 1931年、豚熱が発生。島内でブタ2129頭死亡[9]
  • 1934年、寒霞渓(神懸山)が日本初の国立公園(瀬戸内海国立公園)に指定される。
  • 1945年、武部吉次が島外へ向けて佃煮(葉柄佃煮)の製造販売を開始(小豆島佃煮産業の起こり)
  • 1954年、小豆島を舞台とした映画『二十四の瞳』が公開、大ヒットとなり観光ブームが訪れる。
  • 1957年、小豆郡大部村が土庄町に編入。これより小豆島は土庄町、池田町、内海町の3町体制となる。
  • 1974年、7月6日から7日にかけて梅雨前線による集中豪雨。島の東側で土石流や山腹崩壊などの土砂災害が頻発して、死者・行方不明者27人、負傷者10人[10]
  • 1989年、ギリシャミロス島と姉妹島提携を結ぶ。
  • 2006年、池田町、内海町が合併。小豆島町となり、小豆島は2町体制となる。
  • 2010年より3年ごとに瀬戸内国際芸術祭が開催される。
  • 2013年、離島振興法により離島振興の対象地域となる。

行政[編集]

小豆島は全域が香川県小豆郡に属し、土庄町小豆島町の2町がそれぞれ存在する。人口・面積とも最大は小豆島町であるが、島の玄関口であり多くの商業施設や県出先機関が所在するのは土庄町である。また、土庄町は小豆島本体以外に豊島も町域に含んでいる。小豆島町は平成の大合併によって池田町内海町が合併して新設されたもので、それまでは半世紀にわたって長らく3町体制が続いていた。平成の大合併では土庄町も含めた3町で合併協議会が進行していたが、町役場の位置をめぐって土庄町と残り2町が対立し、最終的に土庄町が離脱した。

経済[編集]

商業[編集]

島嶼地域であるが、3万人近い人口を擁しており、土庄町を中心にある程度チェーン店が立地している。コンビニエンスストアは2023年8月時点でセブン-イレブンが6店舗営業している。島内ではこのほか、ファミリーレストラン1軒が23時まで営業を行なっている。1979年1月にはモスバーガー小豆島店が同社の100店舗目として全国でも比較的早期に開店したが、2001年以降に閉店している。

主な商業施設

金融機関[編集]

島内の金融機関は香川県系の銀行と各郵便局にあるゆうちょ銀行が存在する。2013年まではサンクスがコンビニとして営業していたもののコンビニATMがなかったため、島内における時間外引き出しは不可能であった。2013年3月8日にセブン-イレブンが開店するのに伴い、セブン銀行のATM(現金自動預け払い機)も設置され、この状態は解消された。

  • 百十四銀行土庄支店・内海支店(店舗外ATM:単独5か所、共同1か所)
  • 香川銀行小豆島支店・内海支店(店舗外ATM:単独1か所)
  • 四国労働金庫内海出張所(店舗外ATM:単独1か所)
  • 高松信用金庫土庄支店(店舗外ATM:単独1か所)
  • 香川県信用組合土庄支店
  • JAバンク香川土庄支店・蒲生出張所・西出張所・大鐸支店・四海支店・福田支店・北浦支店・大部支店・西村支店・草壁支店・内海支店・苗羽支店・池田支店・二生出張所・三都出張所(店舗外ATM:単独10か所)
  • 郵便局17か所(うち簡易郵便局2か所)
    • 郵便局における土日祝のATM取り扱いは土庄郵便局のみ。
  • セブン銀行ATM6か所

産業[編集]

小豆島のオリーブ

災害[編集]

土砂災害[編集]

1974年7月と1976年9月に記録的な集中豪雨を記録し、島内にある山地が崩壊。1974年には死者29名・全半壊家屋128戸、1976年には死者39名・全半壊家屋406戸を記録した。その中で1976年の災害は島内のいくつかの山地が崩壊し、山麓の扇状地に位置していた島の西側に位置する石場・東側に位置する小豆島町(旧内海町)橘地区などの集落は土石流の直撃を受けた場所が多く、惨憺たる状況であった。石場地区では土石流が流下し、家屋を押し潰していき、海岸沿いの道路は寸断され、田畑などの農作物がマサ(花崗岩砂)によって影響が出た。また、橘地区では背後の山地に崩壊地が多発し、土石流が川を伝っていき、勢いを増した水が鉄砲水となって流下し、扇状地上の集落を襲った。災害後は山腹崩壊を生じた部分に砂防工事が行われ、コンクリート堰堤が構築された。

山火事[編集]

1970年1月12日、池田町の山林から出火。同月14日には約540ha以上の森林に延焼する大規模な山火事となった[12]

姉妹島[編集]

小豆島オリーブ公園(小豆島町西村)のギリシャ風車。ミロス島との友好の証として1992年に建てられた[13]
1973年、堀本文治(小豆島バス社長)が観光施設「太陽の丘ピースパーク」(小豆島町安田。1973年開園、2004年以後休業状態)にギリシャ風の「オリーブ神殿」と「平和の鐘」を建立した[15]。この「平和の鐘」の絵葉書を見たギリシャのウミガメ保護活動家リリー・E・ベニセロスオランダ語版ギリシア語版(地中海海亀協会メンバー)が、鐘楼の頂塔(オリーブの花をあしらったもの)がウミガメに似ていることに愛着を感じ、1988年に香川県知事を通じて小豆島と地中海の島との姉妹島提携を提起、当時の小豆郡3町(土庄町・池田町・内海町)の町長・議会も提案を受け入れた。ギリシャ側の提携先としては、ギリシャの当時の観光大臣の助言などによりミロス島が選ばれた[15]。1989年6月、3町議会および広域行政議会において「ミロス島との姉妹島提携」を議決し、10月にミロス島代表団を小豆島に迎えて提携議定書調印式が行われた[14][15]。なお、提携当時はミロス島側にも2市町(ミロス市・アダマンタス町 (Adamantas)があったが、合併により現在はミロス市1市になっている[14]。交流基盤として1990年[14]に小豆島国際友好協会が設立され、子供のホームステイなどの事業が行われている[15]

名所・観光スポット[編集]

寒霞渓
エンジェルロード
醤の郷
かつて存在した施設など

社寺[編集]

イベント[編集]

  • 瀬戸内国際芸術祭(3年ごと)
  • 瀬戸内海タートル・フルマラソン全国大会
  • 小豆島オリーブマラソン全国大会
  • 小豆島まつり

交通[編集]

土庄港
池田港
坂手港

小豆島への交通[編集]

車両乗船可能なフェリーを運航している。便数は四国側の高松港へ発着するものが最も多く、小豆島から行き来する際に利便性が高い。そのほか、本州側からは新岡山港宇野港姫路港神戸港からのフェリーが現在運航している。また、瀬戸内国際芸術祭(トリエンナーレ)期間中は直島犬島豊島などその他の島嶼部への臨時便が出る。

太字の会社は旅客専用の高速船の運航もある。運賃は大人1人当たりの片道旅客運賃。

香川県本土(四国)
  1. 四国フェリー・小豆島フェリー:高松港-土庄港(フェリー15往復/日、60分、700円)(高速船16往復/日、30分、1190円)※高速船1便は夜間便を含む。(夜間便は新型コロナウイルスにより運休中)フェリーは旅客乗船不可の危険物指定便を含む。
  2. 国際両備フェリー:高松港-池田港(11往復/日、60分、700円)
  3. ジャンボフェリー高松東港 - 坂手港(平日2.5往復/日、土曜・休日3往復/日、70分、700円) ※高松 - 神戸航路のフェリーが寄港
岡山県
  1. 国際両備フェリー・四国フェリー:新岡山港 - 土庄港(8往復/日、70分、1200円)
  2. 小豆島豊島フェリー:宇野港 - 土庄港(7往復/日、89分、1260円)※豊島経由
兵庫県
  1. 小豆島フェリー:姫路(飾磨)港 - 福田港(7往復/日、100分、1710円)
  2. ジャンボフェリー神戸港 - 坂手港(平日3往復/日、土曜・休日4往復/日、180分、1990円(土曜・休日は500円、深夜便は500円(土曜・休日は1000円)を加算 ※神戸 - 高松航路のフェリーが寄港
休廃止航路
  1. セラヴィ観光汽船神戸港中突堤中央ターミナル-坂手港(高速船「ラ・ベルメール」)
  2. 関西汽船:大阪南港-坂手港(季節運航) - さんふらわあ中九州航路の間合いで運航していたがジャンボフェリーの就航により取りやめ
  3. 小豆島エンジェルライン:高松港 - 土庄東港(高速船9往復/日、30分、1000円)※高速艇のみ。便含む。2012年4月23日開設するも2013年5月10日休止[16]。事業会社も破産した[17]
  4. 内海フェリー:高松港 - 草壁港(高速船5往復/日、45分)
  5. 内海フェリー:高松港-草壁港(フェリー5往復/日、70分、700円)※フェリーは旅客乗船不可の危険物指定便を含む。国際両備フェリーが買収したが、赤字により航路廃止
  6. 瀬戸内観光汽船:日生港 - 大部港(4往復/日、60分、1160円)コロナ禍や燃料高騰による赤字により航路廃止

島内での交通[編集]

  • 小豆島オリーブバス - 土庄港のターミナルを起点とした路線が運行している。
    坂手線、南廻り福田線(池田港・草壁港を経て福田港)、田ノ浦映画村線、四海線、西浦線、北廻り福田線(大部を経て福田港)、中山線、寒霞渓急行線、三都線(小豆島町 町営バス)
  • 小豆島交通 - 定期観光バス・貸切バス・タクシー
  • タクシー
  • レンタカー
  • レンタバイク
  • レンタサイクル
  • 寒霞渓ロープウェイ

なおかつては小豆島バスも路線を引いていたが、のち観光バスのみになり現在は撤退している。

道路[編集]

出身者[編集]

政財界[編集]

軍人[編集]

学術[編集]

文化・芸術[編集]

芸能・報道機関[編集]

スポーツ[編集]

小豆島を舞台にした作品[編集]

小説・詩集[編集]

映画[編集]

壺井栄原作による映画
壺井栄原作以外の映画

島内でロケが行われた映画[編集]

テレビドラマ・広告など[編集]


[編集]

アニメ・漫画・ゲーム[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 小豆島の西方3.7kmに位置する豊島も、行政区分は香川県小豆郡に属す。
  2. ^ 瀬戸内海では他に大崎上島(広島県)、直島(香川県)などが離島振興法の指定を受けている。
  3. ^ 1952年昭和27年)に発表された小説の『二十四の瞳』では、冒頭に「瀬戸内海べりの一寒村」とあるだけで、全編にわたって具体的な地名は示されず、「離島」か「本土」かも示していない。しかし、2年後の1954年(昭和29年)公開の映画二十四の瞳』では、舞台を、作者の故郷である香川県の小豆島と設定した。
  4. ^ 原作では小豆島が舞台だと明言されて無いが、作者の山本崇一朗が小豆島出身であり、アニメの作中において小豆島に実在する街並みが登場している。

出典[編集]

  1. ^ 日本歴史地名大系平凡社[要文献特定詳細情報]
  2. ^ うどん県旅ネット「オリーブの歴史と品質」2020年2月2日閲覧
  3. ^ 香川県のしまっぷ”. 海上保安庁. 2020年8月15日閲覧。
  4. ^ 2013年6月25日『四国新聞』記事より。
  5. ^ しし垣 小豆島ぐるり 後世に/江戸時代の土壁 獣から農作物守る/香川「考える会」認知度向上へ調査取り組む『日本農業新聞』2020年10月29日
  6. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典37 香川県』角川書店、1985年9月、419頁。ISBN 978-4-04-001370-1 
  7. ^ 地名大辞典 1985, p. 420.
  8. ^ 橋詰茂「東瀬戸内海島嶼部における大坂城築城後の石の搬出 -小豆島を事例として-」『戦国・近世初期 西と東の地域社会』橋詰茂 編、岩田書院、2019年6月。ISBN 978-4-86602-074-7 P481-507.
  9. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、34頁。ISBN 9784816922749 
  10. ^ 「土石流、家をなぎ倒す 瀬戸内3島 逃げる背に迫る岩」『朝日新聞』昭和44年(1974年)7月8日朝刊、15版、11面
  11. ^ 世界大百科事典』、平凡社[要文献特定詳細情報]
  12. ^ 「小豆島で五百ヘクタール焼く 自衛隊も出動 強風・水不足が災い」『中國新聞』昭和46年1月14日 15面
  13. ^ ギリシャ風車”. 道の駅小豆島オリーブ公園. 2021年8月12日閲覧。
  14. ^ a b c d 当該提携の概要 小豆島2町 ミロス”. 姉妹(友好)提携情報. 自治体国際化協会. 2020年1月15日閲覧。
  15. ^ a b c d e 香川県小豆島 - ミロス島”. 在ギリシャ日本国大使館. 2020年1月15日閲覧。
  16. ^ 小豆島エンジェルライン株式会社の事業休止について” (PDF). 国土交通省四国運輸局 (2013年4月9日). 2015年10月7日閲覧。
  17. ^ 小豆島エンジェルライン株式会社(香川県小豆郡)破産手続き開始”. ジャパンビジネスレポート (2013年6月10日). 2015年10月7日閲覧。
  18. ^ 西尾市史編さん委員会(編)『幡豆町史 本文編3 近代・現代』西尾市、2013年、316-317頁。 
  19. ^ 「小豆島」なぜ商標申請? 中国で知名度低い地名標的産経新聞』2019年12月29日

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

公式
観光
その他