どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

戦後の広島を記録した2作品、鑑賞

2017年08月07日 20時05分00秒 | 映画
昨日、川崎市市民ミュージアムで行われた上映会「映画で見る平和への願い」、午前の「この世界の片隅に」に続いて、午後に上映された「平和記念都市ひろしま」と「原爆の子」の2本を鑑賞しました。

「この世界の片隅に」上映前に挨拶なさった学芸員さん森宗厚子さん、記事の写真の方でした(^_^)

森宗さんは、午後の上映回の前にも挨拶と作品の紹介をされていました。

記録映画「平和記念都市ひろしま」は、広島市が復興するための資金を募るため、今風に言えばプレゼンのために制作されたPR用フィルムだったらしいです。監督の秋元憲さんは復興する東京を希望をもって描いた作品も作っており、それを期待してのものだったとか。

確かに作品を見ると、自然の美しい情景から始まって、お役所では市街地の未来模型を作成する様子も納めたりと前向きな面も見せますが、反面まだ戦後4〜5年しか経っていない広島市街は焼け跡にバラックばかりという惨状で...。

修復も大変だったそうですが、20分ほどの作品として思った以上に1本の映画作品としてまとまっていました。

しかし...観ていると、秋元さんの演出方針に迷いや悩みが強く伝わってきます。冒頭はPR要素もあるのですが、現実に生々しく広がる街の光景と、原爆後遺症に苦しむ人々、そして戦災孤児...徐々に批判的な要素が強まっていくんですよね...。

検閲に配慮している感じもあるけど、結果的にはGHQの裁可を得ることなく、お蔵入りになってしまったそうです。

そんな制限もなくなった、占領が解けた昭和27(1952)年に制作された「原爆の子」。

監督・新藤兼人さん、主演・乙羽信子さんの名コンビとなる最初の作品で、乙羽さんは本作出演の意義を大きく感じ、それまで所属していた大映を辞してまでのことだったようです。

作品は乙羽さんを天使のように描いていて、新藤さんの惚れ込みようも感じられる作品になっています(^_^;

ストーリーは終戦の頃まで広島の良家で生まれ育ち、幼稚園の先生をしていた主人公が原爆で家族も何もかも失い、一人四国の親戚に身を寄せ、今は小学校の教師をし穏やかな生活を送っている...そんな情景から始まります。

瀬戸内海を挟んで対岸に位置する四国と広島を、天国と地獄のように対比して見せている感じがしました。

主人公は、広島の知人や関わりのあった園児たちの消息が気になり、夏休みを利用して広島を訪れ、生々しい惨状を目にしていくのです。

配役は劇団民芸の俳優さんで、宇野重吉さん・滝沢修さん・北林谷江さん・奈良岡朋子さんなど...懐かしいなぁとも。

北林さんはこの時代ですでに老婆で...実年齢は41歳ですよ Σ(゜д゜)

笠智衆さんもそうですけど、昔の俳優さんって本当に凄いもんだなぁと感じ入ります...。

戦災で足を傷め、園児だった男の子の姉役の奈良岡さんも可愛い...凄惨な中で、理解ある人の元へと嫁にいく...救いのあるエピソードを美しく演じています。

最も印象的なのは、やはり滝沢さん演じる戦時中まで乙羽さんの家で下男だった岩吉爺さんですね。

石垣(広島城?)の下にバラックを建て、孫を施設に預けて、原爆により顔が焼けただれたため、まともな職につけず世捨て人のようにして生きている。

乙羽さんは、強い縁を感じて、この孫を引き取って育てたいと願うが、孫は爺さんと離れるのを嫌がって拒否をする。

爺さんは最後の手段として、孫を乙羽さんの元に使いに行かせた隙にバラックに火をかけ自殺してしまうのですが、これが何ともやるせない...。

使いに行かせる直前に、孫に新品の靴をプレゼントし、ありったけのご馳走(白い飯・焼き魚・汁物)を食べさせるシーンが切なかったです。

映画は、その孫を連れて二人が船で四国に渡るシーンで終わるのですが...監督の「個人でできることなんて、せいぜいこの程度のことだ。何の解決にもならないが、せめて...まだまだ続く広島の苦しみを解ってほしい」という叫びが聞こえてくるようでした。

「平和記念都市ひろしま」と「原爆の子」を2本立て続けに観たため、印象がゴッチャになってしまったんですが...両作に通底するのは「怒り」を剥き出しにせず、懐に忍ばせている感があるところでしょうか。

検閲や、上映への影響(実際、カンヌ国際映画祭に出品した際に、日本の外務省が圧力をかけたそうです)も考慮したのでしょうけど、なにか我慢して本音を必死に抑えているように見えました..それが日本人特有の察しとか思いやりによるものなのか。

そこが垣間見えて、本当に切ないと...。

原爆を扱った作品は今もタブー視され、「この世界の片隅に」と同じ作者・こうの史代さんの「夕凪の街 桜の国」でさえ、どこか見せないようにしている気配を感じます。

それは特定できる誰かなのではなく、社会全体の空気によるもの...それも日本人特有の隠蔽体質なのかもしれない。

今の日本にだって支配している「察し・思いやり」と「隠蔽体質」、最近はやりにもなった「忖度」とか...目には見えずらい、ムラ社会的な、なにかそんなものを強く感じて、モヤモヤしてしまう鑑賞となりました。

でも、見て知っておくことは大事だなと。8月6日という日におけるこの上映会、いろいろと意義があったと思います。




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