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考える四季

7月に初めて子ども向けの絵本を出版した。『みえるとかみえないとか』(アリス館)という本で、私の『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)という本に、ヨシタケシンスケさんがストーリーと絵をつけてくださったものだ。足掛け3年となかなかの難産だったけど、人文書や研究書とは異なる絵本ならではの本作りはすべてが新鮮。子ども相手に絵で伝えるという作業は、研究者が一番使っていない頭を使うという感じで、とても楽しかった。

 出発点にあったのは、ヨシタケさんと私に共通の、ある幼い頃の経験だった。駅や街で、視覚障害者が杖をついて歩いている。視覚を使わないで器用に改札までたどりつく姿に、思わず興味を惹かれ、じっと釘付けになってしまう。するとたいていは母親からこんな声が飛んでくる。「じろじろ見ちゃいけません!」

 もちろん大人の声掛けは大事だけど、そうやって身につけた配慮の視線が、結果として障害のある人とない人を分断する結果になっているのも事実だ。違いはしだいに触れてはいけないもの、興味を持ってはいけないものになっていく。

 でも実際に当事者に話を聞いてみると、彼らの思いはむしろ逆だ。「気になることがあるなら直接質問して欲しいし、普通に話せないのは悲しい」。もちろん必要なサポートはするべきだけど、彼らとて腫れ物にさわるように扱われたいわけじゃない。健常者の配慮につきあわされて、障害者を演じ続けることに疲れている人もいる。

 ヨシタケさんも私も、今では自分が親の立場だ。障害に純粋な興味を寄せる子どもに、「じろじろ見ちゃいけません!」と問答無用に言わないようにするにはどうしたらいいか。「お互いに違いをおもしろがる」ってどんな態度か。自分たちのため、そして同じように違和感を持つ子どもや大人のために作った長い答えが、今回の『みえるとかみえないとか』という本だった。


 大人が「社会」の代弁者になる瞬間を子どもは敏感に察知する。あ、これ以上は聞いちゃいけないんだな。

 でも一方で、大人も結構もやもやしている。子どもの手前、こう言っているけど、自分は心からそう思っているのかな。

 あのときの母親の「じろじろ見ちゃいけません!」も、もしかしたら、とっさの判断のようなものだったのかもしれない。本当は「見たくなる気持ちは分かるよ、でもさ…」から始まる長い話をしたかったのかも。でも何と続けたらよいのか分からなくて、そのときは勢いで「社会」を代弁してしまっただけなのかもしれない。


 問題は、だから、子どもに対して、いかに社会を代弁しない仕方で、社会について教えるかだ。

 別の言い方をすれば、いかに「あなたのお母さん(あるいはお父さん)」のままで(つまり「大人」をふりかざさないで)、子どもに「社会」を教えるか。


 親になった今、私は何度もこの問題にぶつかっている。いわゆる「社会勉強」のようなものが家庭でできないことは重々承知している。でも、たとえばニュースで流れてくるような出来事を他人事だと思わない程度には、社会というものの存在を子どもに教えたい。

 つい最近も、こんなことがあった。

 アメリカへの海外出張に、小学校3年生になる息子を同行させていたときのこと。田舎町の町角で、薄汚れたワンピースを着た大柄な中年の女性が、片足を引きずりながらこちらに近づいてきた。右手を差し出し、施し物を求めて声をかけようとしているらしい。

 彼女が声をかけようとするや、私は息子の手をぐいと引き、足早にその場を立ち去った。ひどいことをしているという自覚もなく、でも結果的に、彼女を避け、無視したのだった。やっかいごとに巻き込まれたくない、その程度の気持ちだった。

 だが、その直後に息子が大泣きを始めたのである。なぜ、お母さんはあの人を助けなかったのか。なぜ、かわいそうな人にあんな仕打ちをするのか。ぼくがもし病気になったり障害を持ったりしたら、みんなに冷たくされるのか。あの人は、すごく悲しそうな声で、「ソーリー」と言っていたじゃないか。あの声がぼくの心に残って離れない。とても悲しい。苦しい。そして、息子は何度もこう繰り返した。「この気持ちは一生残っちゃうと思う。お母さん、何とかして」

 私は懸命に説明を試みた。世の中には困っている人がたくさんいて、すべての人に施し物をすることはできない。その代わりに「税金」という制度があって、その「みんなからちょっとずつ集めた金」を使って、困っている人を助ける仕組みになっている。それに、あの人にお金をあげたとしても、お酒を買ってしまったりして、あの人のためにならないかもしれないよ。

 「困っている人がいたら助けましょう」。これが小学生が教え込まれている行動規範である。彼の目には、私の振る舞いはきっと鬼のように恐ろしいものに映っただろう。もちろん目の前にいる「この人」に施し物をする、というのも一つの助け方だ。でも、目の前にいる「この人」にそのつど施し物をするのとは違う仕方で、困っている人を助ける方法がある。というか、目の前にいる「この人」をいちいち助けなくても済むように、「社会」はある。

 手を替え品を替え必死に説明する私の言葉が息子に届いたかどうかは分からない。しばらく、思い出したように泣くことがあった(が、数日後に広場で出会ったホームレスの男性にコインをあげて満足したらしく、それ以来は泣かなくなった)。

 だが、彼の言う「この気持ちは一生残っちゃうと思う」という言葉は、一つのヒントになっているようにも思う。この経験はトラウマ的だったかもしれないが、それによって彼は問いを得ている。簡単には答えの出ない問いを問い続けること。それが問答無用の代弁ではない仕方で、「社会」を実感することなのかもしれない。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

伊藤亜紗

いとう・あさ 1979年東京生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。もともとは生物学者を目指していたが、大学三年次に文転。2010年に東京大学大学院博士課程を単位取得のうえ退学。同年、博士号を取得(文学)。著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版社)、『どもる体』(医学書院)、『みえるとかみえないとか』(アリス館)など。1児の母。趣味はテープ起こしと燻製。


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