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御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

2017年12月25日 御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

08 京の味をロンドンでも再現したくて、北野の「長文屋」に六味を調合してもらう

著者: 入江敦彦

 日本には節目節目に決まったものを食べる習慣がたくさんあります。お節の数々に始まり、1月7日の七草粥、鏡開きのおぜんざい、端午の節句のちまきや柏餅、土用の鰻、冬至の南瓜、数え上げればキリがありません。
 さらにはそこにマーケティング戦略だったり、海外からの流入だったり理由は様々でしょうが新たな味覚が生活にどんどん加わってゆきます。節分の恵方巻やクリスマスの鶏ももなんかはすっかり定着した感がありますね。欧米に比較してもバレンタインデーがあんなに盛り上がるのは日本だけ。これはチョコレートという〝伝統食〟が介在しているからです。
 さらに加えて地方ごとに異なる節目の味が存在しているし、それらはたとえ珍奇なものであっても出身者にとってはよほど大切な〝食〟だったりします。例をあげるなら京都人の「水無月みなづき」への執着なんかは、なかなかよそさんには解ってもらい難い。みんな6月の声を聞くや小豆の散った三角形を思い浮かべてそわそわ。
 そんな日本人にとって年越しそばはお正月のお雑煮とならんで最もポピュラーな伝統食といえるでしょう。これをスキップする人はあまりいない。年越し「そば」というくらいなので本来はお蕎麦をたぐるのが本式なんでしょうけれど、ここまで一般的に行為が定着すると麺であればなんでもいい的な豊穣が観察されます。けれど、それがいい。なにもこだわる必要はない。
 京都人の大半は、宮家の皆様が召し上がっておられるのと同じ、焼かない丸餅と白味噌仕立てのお雑煮を調えますが、だからといって焼いた角餅のすまし汁を否定するものではありません。自分たちにとって嬉しい味であればそれでいいのです。餡餅でも胡桃餅でもどんとこい。
 実家は西陣の髪結いで大晦日は天手古舞てんてこまいでしたから、わたしも大学くらいから自分で年越しそばを用意するようになりました。大勢の友達といっしょに新年を迎える腹ごしらえは、ずっと冷麺でしたね。
 十何種類も具を調理して、たれも中華風のほか胡麻、ピリ辛と準備して、いつもより暖かくした部屋できんきんに冷えた麺をつるつるいただく快楽はなかなか。けれどロンドンに生活の場を移してからは独りで年を越す機会も増え、ちゃっとざるそばで済ますようになった。友人と過ごす場合は、出かける前にインスタント麺を(すす)っておしまい。でもとりたてて侘しくもなかった。伝統に(のっと)っているというだけで豊かな気持ちになるからでしょうか。
 結婚してからここ15年くらいは基本的に温かい碗そば。寄る年波でしょうかね。
 京都にいればにしんそばと行きたいところですが、こちらにはパックの甘煮が売っていない。魚屋に行けばにしんは普通に並んでいるので、これを購入して身欠きに乾燥させて、戻して、炊き上げるという手間をかけたこともありました。が、年末のわたしはお節作りで超絶忙しい! とてもそんな悠長なことをしている精神的余裕はありません。それになによりにしんそばなら「松葉」の味が食べたいのです。あれは美味という以上に京都人にとってソウルフード的な味わいなので。
 というわけで、たいがい年越しは鴨南蛮。お節には必ず鴨ロースを焼くのですが、お客様にはいい部分しか出しませんから、けっこう細々と火の通りすぎた部位や切れ端が出るんですね。それらを刻んで、年の終わりに〝始末をつける〟という心も込めて啜らせていただいてます。ざるより精もつきますしね。

お正月の鴨は天然の青頸あおくびを張り込みますので残りものとはいえ贅沢なお味です。過ぎゆく年のいろいろを思い出す味。プルーストのマドレーヌ効果がある気がします。

 おつゆは昆布出汁と、「福島鰹」の小魚ブレンド削り節(京都の味はこれでなきゃ!)を合わせて薄くちと味醂であじつけしたもの。手間かけてるように見えますが、たいがい作り置きしてありますし、でなくともお節で使うものですからなんということはありません。あと、実はお蕎麦の質にもさほど執念がないんですよ。
 ええお蕎麦屋さんで頂く手打ちは格別で、そりゃあもう大好物ですが年越しそばにはそういう旨さをわたしは求めません。買い置きの乾麺か、戴きものか、そういう「あるもの」で充分。これも始末の一環です。
 よく、東の蕎麦文化、西のうどん文化みたいな話を聞きます。最近はそこにラーメンも参入して地域ごとの麺類の消費量を競っているようです。実際に調査したわけではないんですが、生活における麺食品のあり方という意味では、わたしは京都を蕎麦でもうどんでもない「茹でおき麺」文化圏だと考えています。
 京都の庶民的な商店街を歩くと、茹でて玉にまとめた麺類を売る店がデフォルトであります。経済的で、調理に時間がかからず、目先の工夫もつけやすく、なによりお年寄りから子供まで安心して食べられる消化のいい食材としてみなに愛されているのです。そういうところで育つと家で食べるお蕎麦のクオリティにはあまり拘泥しなくなってしまう。面白いもんですね。
 けれど、そんな茹でおき文化に生きる京都人たちの丼にもただひとつ強い執念が染みて、いや、振りかけられています。それは七味。彼らは、この調味料を深く深く愛しているのです。水無月への妄執は年に一度、ひと月足らずでおしまいだけれど、こと七味については四季を問わずひりひり味蕾みらいが発情しているのです。
 卓上に備わった調味料がありますよね。世界共通で基本は塩胡椒でしょう。だけどメキシコの食卓にはタバスコが絶対にいますし、ハンガリーならパプリカが鎮座している。京都はそれが山椒なのです。京都以外では鰻の蒲焼以外の出番はあまりない粉山椒。しかし洛中では親の仇のように大量消費されているのでした。
 うどんのメインストリームに「きつね」がありますが、京都では「きざみ」と呼ばれる甘味の少ない拍子木に刻んだお揚げさんを載せた丼や麺類が人気です。これなんかももっぱら粉山椒がまぶされます。前述したにしんそばもそう。刻み柚子もいいものですが、やはり山椒の誘惑には勝てません。
 でもって、七味。これは京都人にとって粉山椒のバリエーションなのです。彼らのただならぬ思い入れはそれゆえ。細かく挽いた山椒に胡麻やケシの実といったフレーバーやテクスチュアを加えることでより汎用性の広い調味料としたもの。それが京七味。茹で置いた蕎麦もうどんも上等の七味を散らすだけで枯れ木に花が咲くがごとくです。ここ振れワンワン!
 わたしが京都から持ち帰っている粉山椒と七味は「長文屋」さん謹製。英国に住みだす前、デザイナーのコシノミチコさんと仕事をしていた時代も、おみやげはいつもここでした。ミッちゃんは岸和田出身ですが、「あんたこれなに。おうどん隠れるまでかけてまうやんか!」といつも大喜びしてくださいました。
 なので、ご主人の宇野敏一さんとも、もういつからの付き合いになるのかわからないくらいなのですが本当に重宝させていただいてます。
 ご主人は「入江さん発案や」とおっしゃるけれど、わたしはご主人から「こんなんもでけまっせ」と提案をいただいた記憶があるのですが。こちらの名物に《六味》なるものがあります。これは七味から唐辛子粉を抜いて山椒を増量していただいたもの。まさに万能の香辛料。百薬味の長です。

 

目の前でお好みを聞いて調合する対面販売を心がけていらっしゃるのでネット通販などは一切なし。ご存知の方から以外の大量注文も受け付けておられません。ので、HPなどもない。すでにお味をご存知のお客様はFaxや電話でオーダーできるようです。

 なにしろ山椒粉にマッチするものも、七味が合う味にも、どちらも引き立ててくれるのだから言うことはありません。もちろん一味も購入して食べる直前に七味にすることもあります。けれど料理の味わい、素材の個性をぐっと強調してくれるのは断然六味。隠れていた旨さまでが香りに惹かれて顔をだすような。
 朝ごはんの定番エッグ・オン・トースト―焼いた山高パンにバタを塗って目玉焼きを乗っけただけのもの―なんかも六味がかかると突然に〝ちゃんとする〟のが不思議。豚汁や粕汁といった具の多い汁ものは美味しいけれど味の印象が散漫になりがち。そんなときも六味さえあれば納まりがよくなる。料理が墨蹟ぼくせきだとしたら器は表装、六味は落款らっかんといったところでしょうか。

 

七味とはいうが、山椒、麻の実、唐辛子、和芥子、青海苔、黒胡麻、白胡麻、紫蘇の8種が混ざる。山椒も並と上を合わせ、より立体感のある味わいを構築。和洋中万能の秘密。

 あと、おむすび! これは七味や粉山椒ではだめで、六味でないとただ奇をてらっただけのものになります。上等の塩を奮発して(わたしがこれに合うと思うのは淡路島の藻塩やヒマラヤのピンクソルトなど)、ふうわりと小ぶりにまとめたものはもはやご馳走です。
 長文屋さんには、あらかじめ擦り合わせたものはありません。すべてお客さんの注文があってから当り鉢に材料を投入して調合してくださいます。それでなくとも店は常にいい匂いが充満しているのですが、この「御つくりおき」作業が始まると、もう、たまりません。職人さんと言葉をかわして自分の好みの品を作ってもらう喜びを象徴しているような香りです。
 わたしは偏愛ゆえに六味を推しまくってますが、こちらにおいでの際は宇野さんと相談なさって、どうぞ自分ならではの配合を発見なさってください。お子様のあるお宅なら刺激の強いものを控え、胡麻や青海苔で補ってふりかけにしたりとか。バランスを思い切って変えて半分山椒とか山椒八割なんてのもいいかも。

おむすびは多めに拵えて余ったのを翌日に焼くのも愉しみ。お醤油を刷いてもいいし、白(西京)味噌を塗ってもいい。六味飯はおいなりさんに詰めても美味いよ!

 そうそう、長文屋さんには知っている限りで世界最高の粉山椒もあります。《紀州産 石臼挽き》。まさに風味絶佳。七味には混ぜず単独でのみ販売されています。
 これはもう京都人にとっては魔法の粉。この逸品を知るまで粉はあくまで生の実山椒の代用だと考えてましたが、どうしてどうして。ちなみに正月の鴨ロースはマリネするときにたっぷり六味をまぶして香味を移しますが、供する直前にはこちらの粉山椒を「京都になーれ」の呪文とともにきらきら降らして供します。

関連サイト

松葉

http://www.sobamatsuba.co.jp

福島鰹

http://www.fukushima-k.kyoto

長文屋

京都府京都市北区北野下白梅町54-8
Tel&Fax 075-467-0217 (HPなし)
営業 10時〜18時 定休日 水・木曜

イケズの構造

2007/08/01発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

入江敦彦

いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)

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