「中田も森も、打つときに足を大きくあげ、見方によっては下からしゃくりあげるようなバッティングです。ボールを迎えるまでに体が大きく動くため、ほかの指導者ならすぐに矯正する打ち方ですが、西谷先生はそれをしない。足のステップを小さくすることで、彼らのよさであるスイングスピードが落ちることを危惧したからです」
特徴のある打ち方でも、より高い打率を残すため、西谷監督は練習量をこなして確率をあげることを目指した。中田の9学年先輩で、高校通算55本塁打、のちに西武、阪神などプロで13年間プレーした水田圭介(トムス野球塾長)が明かす。
「西谷監督は、私の高校時代は3年間、コーチでした。バッティングで言われたことは、当てにいくのではなく、思い切り振ること。それだけです。ボールのとらえ方など、細かい技術指導はほとんどなかった。打順が1番でも9番でも、体格も関係なく、振り切ることを重視された。寮は朝6時起床でしたが、私は西谷さんからほかの仲間と一緒に指名され、朝5時起床でティー打撃をよくやりました。
授業後も練習は午後10時くらいまで続いた。当時は携帯電話よりポケベルが普及していた時代でしたが、寮が山の中腹にある練習場の近くだったので、電波が入らない(笑)。寮の部屋に戻ってもテレビがない。まさに野球漬けの日々でした」
全部員が書く「野球ノート」
水田は、西谷コーチの鋭い観察眼にハッとさせられたことがあった。
「西谷さんはもともと捕手だったので、視野が広い。私が3年生の頃、太もも裏を肉離れしたのを隠したまま練習を続けたことがあった。他の選手も痛みをこらえて練習を続けていたので、痛みを理由に休みたくなかった。プレーには影響がないように見せていたけど、ある日、西谷さんにこっそり呼ばれたんです。
『どこか、痛めているだろ?』って。私が隠しても、西谷さんは微妙な変化を見逃さなかった。事情を説明したら、西谷さんは練習前に毎日、患部にテーピングを巻いてくださいました」
西谷監督の観察眼は、水田のような主力選手だけでなく、全部員に届いている。提出を義務付けている野球ノートを通して、西谷監督は部員の現状や個性をつかむことに心を砕いている。西谷監督が言う。
「残念ながら、60人いる部員全員とゆっくり話すことはできませんから。各部員が何を課題に野球に取り組み、どんな悩みを抱えているかをノートで把握するんです。高校生なので、ノートを書く時間が、野球自体を勉強する時間になるとも、考えています。
選手の内面の成長も実感できます。森は2年生までは、いい意味のヤンチャ坊主で勢いだけでやっていたところもありましたが、3年生になり、主将になると、ノートの内容の9割がチームのことになった。立場によって書いてくることも変わってきますね。
中田も性格的に面倒くさがるようなところがあって、最初はよく叱りましたけど、上級生になるに連れて、確実に自覚が芽生えていきました」