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◆(わたしは)主に誓いを立てて礼拝しながら、

2017年11月14日 07時40分48秒 | 聖書
ミルコムに誓いを立てる者ども……を断ち滅ぼす。(ゼパニヤ一・五、六)
この種の人々は、二つの道を兼ねているから安全だと思っている。彼らは主に従う者と行動を共にし、また同時にミルコムにも頭を下げている。しかし、神は二心の者をいとい、偽善を憎まれる。偽りの神に傾倒している偶像崇拝者は一つの罪を犯すだけである。しかし、汚れた忌まわしい犠牲を主の宮に携えてきながら、他方では世と世の罪に心を傾けている二心の者は、二つの罪を犯している。だから、彼らよりもさらに罪深いのである。日常生活においても、二心の者は軽蔑される。そして信仰においては、これは極度に嫌悪されるべきものである。
今朝の聖句に宣言されている罰は恐ろしいものであるが、それは当然の報いである。なぜなら、正しいと認めてそれに従うことを公言しながら、他方において悪を愛してそれに心をゆだねている罪人を、神の義が赦すはずがないからである。
私のたましいよ。今朝おまえ自身を探り、おまえが二心の罪を犯しているかどうかを見よ。おまえはイエスに従うことを公言しているが、真に主を愛しているか。おまえの心は、神と正しい関係にあるか。おまえはあの『天路歴程』の中の「正直氏」の家族か。または「二心氏」の家族か。血筋や家系も、もし私が咎と罪に死んでいたならば、何にもならない。片足を真理の地に置き、他の足を偽りの海に置けば、恐ろしい倒壊と破滅の危険を招くことは間違いない。キリストは私たちにとって、すべてか無かのどちらかである。
神は全宇宙を満たしておられる。だから他の神を入れる余地はない。もし神が私の心を支配しておられるなら、他の支配力を入れる余地は全くない。
私は十字架にかかられたイエスのみに憩い、主のためにだけ生きているか。そうしたいと願っているか。そう決意しているか。もしそうであるとすれば、私を救いに導いた力強い恵みはほむべきかな。しかし、もしそうでないなら、主よ、私の悲しむべき罪を赦し、私の心をしてあなたの御名を恐れる者としてください。
 
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