平昌五輪の男子フィギュアスケートで66年ぶりの五輪2連覇を果たした羽生結弦(23)=ANA=が26日、日本選手団一行とともにチャーター便で成田空港に帰国した。4年後の北京冬季五輪での3連覇も期待されるが、羽生には日本国内のフィギュアスケーターが置かれている、トホホな練習・育成環境を激変させるという夢がある。結弦ナショナルリンクの建設だ。(飯田絵美)
「次のオリンピックで任されたら光栄。そこにいくまでに成績を積んでいないといけない」
羽生は帰国直後の会見で報道陣から「北京冬季五輪で日本選手団主将就任は?」とむちゃぶりされ、苦笑しながら受けて立った。
もともと、羽生には競技者としての技術向上以外にも夢がある。フィギュアスケートをスポーツという枠を超え、芸術・文化として根づかせることだ。
昨年夏、小学2年から6年まで指導を受けた恩師、都築章一郎氏(80)からこう言われた。「将来、結弦が現役を辞めるときは、一インストラクターになるのではなくて、スケートを文化にする環境作りをしてもらえるような、プロデュースをする側の人間になってもらいたい」
旧ソ連の1960年代、ロシアのスケート界の現場を見た都築氏は衝撃を受けた。エリート選手がフィギュアスケートの練習をする隣に、クラシックバレエの練習場や陸上トレーニング施設が備わっていて総合的な指導を行う。1人の選手に5人以上の専門家が付いて指導に当たっていた。