prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
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「教誨師」

2018年10月29日 | 映画
ほとんど全編、教誨師と六人の死刑囚たちとの対話で成り立っている。内容はたわいもない雑談のようでも背後に死が貼りついているのだが、同時にそれをしばしば忘れてしまうという意味で死刑囚だけにとどまらない射程を持つことになる。

冒頭で死刑囚が収容されているのは刑務所ではなく拘置所で、服装も髪型も自由という字幕が出る。実際、六人とも普段着みたいな恰好をしているもので、通常の人間とあまり見分けがつかない。

教誨師はキリスト教のものだし、正面切ったセリフがえんえんと続くあたり、また後半に過去の人物や幻想が入り込んでくるあたりベルイマンを思わせたりするが、宗教色がつかないのはやはり日本製で、生と死の問題を突き詰める苛烈さはやや薄い。

大杉漣の初プロデュース作にしてほぼ遺作になってしまったわけだが、役者とするとこれだけみっちりしたセリフ劇、それも受けの芝居をしなくてはいけないところに魅力を感じたか。

監督の佐向大は死刑囚と刑務官を描いた「休暇」の脚本を担当した人だが、今回の刑務官は黒子のように存在を消しているようでいて対話が荒れたり行き詰まったりするとすうっと立ち上がって面会を終わらせる、そのありようがまた面白い。

玉置玲央の役が明らかに相模原障害者施設殺傷事件の犯人を思わせ、役に立たない人間は死んだ方が社会のためになるといったネット上でも似たようなものをみかける言説をへらへら笑いながら人を見下したような不快な調子で喋る。
本当のところこの程度の幼稚な理屈を論破すること自体は難しくなく、ただそれを認めないのでネットでのケンカは不毛に終わるわけだが、ここでは教誨師が不器用にかなりおたおたしながら反論する。正直、もっと明快に反論できるだろうと思うし、「罪と罰」の手前で終わってしまっているような不満は残る。

「教誨師」 公式ホームページ

「教誨師」 - 映画.com


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