関東の一大中華チェーン「珍来」をご存じ?そこには安さ&大盛りで男たちの胃袋を満たしてきた下町スピリットがあった

駅から徒歩15分ほど坂の上に住んでいた頃。仕事を終え、疲れた体で改札を出た瞬間に珍来に電話すると、帰宅とほぼ同時に熱々の餃子や麻婆豆腐を届けてくれた。東京、千葉など一部エリアに住んでいる人は、みんな珍来との思い出を抱えている(はず)。今回は「珍來総本店 梅島店」で珍来のすべてを聞いてきた(編集K)。

エリア梅島 (東京)

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「珍来」というローカル中華チェーンをご存じだろうか。

東京23区では北東部、東武スカイツリーライン沿線によく見かける。赤地に白で「珍来」とデカデカと書かれた派手な看板を掲げ、軒先でお土産餃子を包んでいる姿を見かけたことがあるかもしれない。


東京23区の南部、西部にお住まいの方には馴染みが薄いもしれないが、珍来とは直営4店舗、チェーン店30店舗からなる老舗のラーメン店。しかし、フランチャイズでありながらフランチャイズではない、という不思議なチェーン店なのだ。

のれん分けを許されるのは各店舗で修行した者だけで、今では珍しく職人を養成しているらしい。さらに、独立したい若者のために珍栄会という協同組合を結成し、新規開店を支援しているという。

 「珍来」の個性は、大盛りで頼むと麺類は洗面器のようなサイズで登場するなど、その圧倒的ボリュームと安さ、お店ごとの独自セットやオリジナルメニュー、そして量も価格も微妙に異なる地域性にある。

それがどうして下町のエリアだけに発展したのか、なにか秘密があるに違いない。

 

元はラーメン専門店だった?

というわけで、珍来総本店 三代目社長・清水秀逸氏に話をうかがってみることに。

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── 「珍来」の歴史はかなり古いとお聞きしています。

 

清水社長:ウチは昭和3年創業と、チェーン展開しているお店では、ウチより古いところはないので、日本のラーメンチェーン最古参とうたっています。

 

── 社長で三代目ということで、創業時のことからまずおうかがいしたのですが。

 

清水社長:昭和3年に祖父(清水清氏)が日暮里で始めて、その後、戦争中に小麦が配給になって、一度商売が継続出来なくなったんです。

 

── その時は製麺業だったんですか。それともすでに中華店としてスタートされていた?

 

清水社長:両方です。東京製麺組合の初代理事になった、宇留野(うるの)八代吉という方から、製麺を教わったと。

 

── そもそも、お祖父様はなぜ製麺業を始められたのでしょうか。

 

清水社長:それはやっぱりラーメンにほれたから、だと思うんですよね。明治の人ですから、小学校出てすぐでっち奉公に出て、その後、東京出た時にラーメン食べて、その時の味が忘れられなかったそうです。

 

── 終戦となって、浅草の瓢箪(ひょうたん)池の脇の闇市で商売を再開したと聞いていますが、浅草の闇市で再開されたときもラーメン専門店だったと。

 

清水社長:闇市で物資も少ない中で、出来るのはせいぜいラーメンくらい。今では「珍来」といえば、餃子もチャーハンも野菜炒めもある、町の中華屋さんの規模を少し大きくしたイメージだと思うんですけど、親父(二代目・清水和圭氏)にも祖父にも、ウチの本業は製麺だからな、本業を忘れたらイカンと昔から言われてました。親父も小さい製麺工場から始めましたし、今でも八潮ドライブイン店の裏に製麺工場があります。

 

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▲足立区島根にあった製麺工場。昭和34年頃、幼少期の社長とお母さん

 

── 「珍来」の麺というと、縮れて太いという印象が強いですが、創業当初から同じような麺だったのでしょうか?

 

清水社長:そうです! 祖父が昭和初期に、珍来式手打ちラーメンを編み出したんです。自分が「『珍来』の経営者です」と名乗るとよく言われるのが、「麺太いよねって(笑)」

 

── やはり皆さんそう思いますよね(爆笑)。

 

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▲手もみでヒネリがあるのが特徴の太麺

 

清水社長:何かしら言って頂けるというのは、印象に残っているから。最近だと、ゆで卵タダでくれるよね、とか(笑)。

 

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▲お通しのように直営店では最初に登場する、ゆで卵

 

── あのゆで卵、おなか空いているときには何よりありがたいサービスです。

 

清水社長:お客さんって面白くて、商売やってると「俺、細麺が好きなんだよな」っていう方が多いんです。でも、それでウチが細麺に変えると、今まで太麺に満足していた圧倒的多数のお客さんが迷惑する。

 

── まさしく、サイレントマジョリティ!

 

声なき声が生んだ太麺と大盛り

── お話をうかがっていると本当にお客さんのニーズをつかんでおられる気がします。

 

清水社長:商売って、お客さんの声に耳を傾けることが大事ってよく言いますけど、お客さんの声なき声を聞くことの方がもっと大事。それと同じくらい言われるのが、量多すぎるよ(笑)。

 

── やはり(爆笑)!

 

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▲サービスデーはワンコインで供される川口店の脅威のヘルメット型チャーハン

 

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▲大きな皿のご飯の上に、豚肉や野菜を炒めたものが卵とじでドカンと乗る、川口店のスタミナエッグ丼

 

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▲タンメンも野菜たっぷりが信条。この下にあの太麺がたっぷり潜んでいる

 

清水社長:でもウチのヘビーユーザーはあの量が気に入られて通われるわけですから、これで量を減らそうもんなら、その大多数の支持を失うことになる。声なき声はちゃんと耳立てておかないと、ウチの根幹を間違うと思うんです。でも地域によってもお客さんの嗜好(しこう)って変わってきますよね。

 

── だと思います。

 

清水社長:例えば田舎で畑作業されて汗を一杯かく方の味付けは濃かったり、都会のオフィスで働いている方はエアコンの中で働いてますから味付けは薄かったり。創業以来同じ味って商品は一個もありません。本質的なものは見失わない中で、変えていかなきゃいけない部分は時代に合わせて変えていかなきゃいけない。

 

── それは、フランチャイズ店はお店ごとに味もメニュー構成も値段も違っていることにつながっていると。

 

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▲梅島店の店頭に掲げられているメニュー(※店によって価格が異なります)

 

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▲蕨店のある時期の店内メニュー(※撮影当時もので、現在は価格が異なります)。呼び名やメニュー内容もお店ごとに異なる

 

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▲五反野駅前店の店頭に掲示された独自セットメニュー(※撮影当時のもので、現在と価格が異なります)

 

清水社長:ウチの親父が独立する若い店主にいつも言っていたのは、地域のお客さんに愛されない商売は絶対に長続きしないと。高校を出て大体10年くらいは住み込みで修行しますから、大きなブレはないですよね。チャーハン一つ作るんでも、平均で1年位は、1日1回は自分で作りなさいと。

 

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梅田店のチャーハン。炒めがハードでチャーシューも多い。紅生姜もついている

 

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▲五反野駅前店のチャーハン。米のみずみずしさが伝わる、見るからにシットリな出来栄え

 

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▲西川口店のチャーハン。シンプルで、量の面でも、他との違いが明確だろう

 

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▲蕨店のチャーハン。西川口のお隣駅なのに具と米のバランスが違うし、付け合せのスープの濃さにも違いが

 

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▲直営 梅島店のキムチチャーハン。変わり種チャーハンも置くお店も多い。甘辛さとチャーハンのシットリ加減とのバランスが絶妙

 

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▲直営 草加駅前店の醤油チャーハン。9月の限定メニューで、醤油の香ばしさがたまらない。米が十分しっとりながら、盛り付けでこれまでのチャーハンとはまるで異なって見える

 

良いものを安く、量多めに

── 餃子もラーメンの太麺のようにモチモチした存在感ある食感が特徴ですが、それはやはり製麺の技術がいかされてのことでしょうか。

 

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▲持ち帰り餃子。直営店だと350円。テイクアウトした状態

 

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▲開封後。皮の厚さとモチモチっぷりが伝わるだろう、これぞ珍来餃子!

 

清水社長:ウチの餃子はサイズが大きいですから、キチンと中まで火を通すためにある程度厚みがないと皮が緩んでしまうんですね。それでたどり着いたのが、あのサイズ感とあの皮の厚みで、それがモッチリしておいしいと。それにはやっぱり、良いものを使うというのが基本にあるわけで、餃子の皮は皮用としては製粉屋さんからの仕入れで一番良い小麦粉を使ってます。ただモチロン、祖父がよく言ってたんですけど、ラーメンっていうのは決して値段が高いもんであってはいけない。

 

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▲野菜たっぷり、具だくさんな中身。ラーメンやチャーハンなど一品に餃子2コだけ、3コだけを付けて食べられるお店も多い。それで満腹間違いなし!

 

── 庶民の食べ物だと。でも良いもの使って安くというのはお店側にとっては難題ですよね。

 

清水社長:正直大変です。だからといって、お客さんの満足する量は絶対維持したい。ウチのラーメンは1玉 200gなんです。

 

── 多いですね。一般的なラーメン店で100~130gとかですから。

 

清水社長:いわゆる激安中華チェーンと単純比較してもらいたくないんです。ウチのラーメンには麺が倍入ってんだよ! って(笑)。

 

立て直しから一大チェーンへ

── 今のようにフランチャイズ展開するようになったのはいつ頃からでしょうか?

 

清水社長:大体、高度経済成長期ですかね。仕事を求めていた若者が東京に出てきて、潜在的な経営者の卵が増えた時代ですから。そこから一番のピークが昭和50年代。

 

── 増えていく中で、一時期経営を中断された時期があると聞きましたが。

 

清水社長:祖母が金銭をキチンと管理していたんですけど、祖母が亡くなると2年で、祖父が資産を全部なくしてしまったんです。ご多分に漏れず、放漫経営が原因で(笑)。

 

── この年代ではよく聞く話ですね(苦笑)。

 

清水社長:祖父は一回退いて、ウチの親父(二代目)が小さい製麺工場と10坪のお店(現・梅田店)だけでやり直したんです。

 

── それが現在の御社・珍来総本店の始まりですね。

 

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▲二代目が梅田で始めた当時の「珍来」の様子

 

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▲現在の梅田店の姿

 

清水社長:そこから立て直し、現在の34店舗程にまで発展しました。ただ、祖父も明治の生まれで気骨な人で、60歳過ぎてから、茂原で家賃3万円のお店からやり直したんです。それが90歳で亡くなるまで直営店20軒と傘下30軒程、年商20億まで行きましたから。

 

世界へはばたく「下町イズム」

── 珍来総本店としての今後の目標のようなものはありますか?

 

清水社長:夢を持って働く人の独立を応援するという今までの形を継続することが第一。あと、これは将来的な夢なんですけど、実は僕、15~20歳まで、フランスでスキーの選手やってたんです(笑)。

 

── そこから中華へと。スゴイ転身ですね!

 

清水社長:次男坊だったから、親父は家業は長男の兄貴にやらせて、オマエは世界の珍来になれ!って夢があったんですね。ただ、兄貴が家業に入らなくなって、ボクが継ぐことになったんですけれど、僕の次男坊が今海外で勉強していて、その後ラーメン修行をミッチリさせて、パリのシャンゼリゼかスイスのジュネーブあたりに出店できれば。

 

── なんと! 一気に海外進出ですか!?

 

清水社長:あくまで構想段階です。ただ、出発点は忘れないようにしたい。そもそもラーメンと言えば庶民に圧倒的な人気がある食べ物ですよね。だから、消費税が上がっても値段を上げてこなかったんです。でも最近になってやむなくラーメンを550円にしたんです。ただ、創業ラーメンという、薬味ネギとチャーシューだけ乗っけたラーメンを500円で作って、価格をキープしているんです。これも下町精神の現れなんです。

 

── ワンコインで肉が乗ってるのはうれしいです。

 

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▲創業ラーメン500円。シンプルな醤油ラーメンながら、豚コツや鳥ガラなどの出汁がしっかり効いたスープで、つい飲み干してしまう

 

清水社長:海外で寿司店もラーメン店も、日本人がやってるお店って2~3割なんですよ。それで味もコレじゃないだろってのが大半で。海外でコレだけラーメン店がある中で、ラーメンの基本ってこういうもんだよって言う人がいないと、誰かがやらないといけない時代になってきていて、ウチがその役割があるんじゃないかなと、勘違いしている今日この頃です(笑)。

 

── いえいえ、十分実現できると思います。本日はありがとうございました!

 

下町への恩返しということでいえば、清水社長は東日本大震災の時、ラーメンと餃子の炊き出しに行き、さらに宮城県で親を波で失った子供が進学するための育英基金に100万円を寄付している。

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▲冒頭の写真で、社長の後ろに貼られていた募金活動の数々

 

先代も草加のダウン症の子どもたちのための福祉施設に寄付をしていたそうだが、そのルーツは、祖母が戦後すぐに孤児院の子どもたちにクリスマスケーキをプレゼントしていたことにさかのぼるという。
そうした精神の陰には「下町で商売に成功して、腹いっぱい食えるようになったのは、地元のお陰であり、そこに恩返ししたかったからでは」というのが社長の分析だ。
「珍来」の下町精神がラーメンを通して世界に発信される日を、足立区という東京の片隅でラーメンをすすりチャーハンを頬張りながら願うのだった。

 

写真提供(一部):清水秀逸氏

 

お店情報

珍来 梅島店

住所:東京都足立区梅田7丁目34-13 マルマンプルニエマンション
電話番号:03-3840-8111
営業時間:11:00~翌5:00
定休日:無休
ウェブサイト:http://www.chinrai.co.jp/

www.hotpepper.jp

 

書いた人:刈部山本

刈部山本

スペシャルティ珈琲&自家製ケーキ店を営む傍ら、ラーメン・酒場・町中華・喫茶で大衆食を貪りつつ、産業遺産・近代建築・郊外を彷徨い、路地裏系B級グルメのブログ デウスエクスマキな食卓 やミニコミ誌 背脂番付 セアブラキング、ザ・閉店 などにまとめる。メディアには、オークラ出版ムック『酒場人』コラム「ギャンブルイーターが行く!」執筆、『マツコの知らない世界』(TBS系列)「板橋チャーハンの世界」出演など。2018年5月には初の単著となる『東京「裏町メシ屋」探訪記』(光文社)を出版。

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