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◆神よ。私の救いの神よ。血の罪から私を救い出してください。

2018年04月07日 16時23分21秒 | 聖書
そうすれば、私の舌は、あなたの義を、高らかに歌うでしょう。(詩篇五一・一四)
この厳粛な告白において、ダビデがはっきりと自分の罪の名前をあげているのはよいことである。彼はその罪について、あらかじめ計画することなく殺したと言わず、軽率によって生じた不幸な事故のために立派な人間が死を遂げたとも言わず、血の罪という、その真の名前で呼んでいる。彼は直接バテ・シェバの夫を殺したのではなかった。しかし、彼の心には、バテ・シェバの夫ウリヤを殺す意図があり、主の前にあって彼はウリヤを殺した者であった。神の前に偽ることなく、正直に告白することを学べ。汚れた罪を美しい名前で呼んではならない。
神がご覧になるのと同様に感じるように努めよ。そして心を開いてその真相を認めよ。口先で言うのは容易であるが、真相を見て、それを真に感じるのは難しい。ダビデが明らかに、自らの罪の極悪性に圧倒されたことに注意せよ。詩篇五一篇は悔いる心を映した写真である。私たちも同様のへりくだった心を求めようではないか。どのようにことばが立派であろうと、もし私たちの心が、罪が地獄行きに値することを意識していないならば、赦しを見いだすことはできない。
冒頭の聖句は熱心な祈りである。それは「救い」の神に訴えたものである。赦すことは神の特権である。神の御顔を求める者を救うのはその御名にふさわしいことであり、また神の役目でもある。さらによいことは、神を「私の」救いの神よ、と呼んでいることである。私はイエスの血によって神のもとに行く途中にも、私の救いの神にあって喜ぶことができる。
詩篇作者は賞賛すべき誓いをもって結んでいる。もし神が彼を助け出されるならば、彼は歌う、否、「高らかに歌う」のである。このような恵みを受けて、だれが声を低くして歌うであろう。しかし、その歌の主題に注意せよ。「あなたの義」である。尊い救い主の成就されたわざを歌わなければならない。そして、罪を赦す愛を最もよく知る者が、最も声高く歌う。
 
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