どうでも良いことなのだが、日本の高校野球は、もろくも韓国、台湾に敗れ、中国との3位決定戦に回ることになった。日本の野球が、東アジアでの常勝のスポーツで無くなっていたのは、すでに10年以上の歴史がある。ここへきて、いよいよ次世代の代表選手が、同世代の東アジアで通用しないことが残念である。その原因は、大衆娯楽の中心が拡散し、若者の人気スポーツが多様化してきたことである。それよりも大事なのは、小学生から20歳代の若者が人生の全体の設計図を見直していることである。自分のライフスタイルとして、体育会系の社会文化に限界を感じており、プロ・スポーツがすべてではなくなっている。高校では、文系の部活の先輩の方が、時間はかかるが個性的な生き方に成功し、息長く活躍できる事例に接している。分かり易くいうと、肉体系の短期燃焼に対し、文系の部活、それも勝敗ではなく、個性化に重きがあるように、次世代の日本人が変化してきている。しかも、伝統文化の固い枠組みも否定され、軟構造、軟体、液状の物性が好まれる。どうも、日本の次世代は、ソフトな文化の輪で地球を包もうとしている。甲子園で活躍したあの選手たちは、もう日本の高校生のヒーローではなくなっていた。甲子園大会という野球花火の風物として、眺められているだけだ。韓国、台湾に敗れても、そんなモンとチヤウかな、という程度である。
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