現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

色川武大「とんがれ とんがり とんがる」怪しい来客簿所収

2017-05-30 20:50:52 | 参考文献
 著者が無頼生活をしてドヤ街で暮らしていたころに知り合った、姉妹について描いています。
 ほとんど楽しみらしい楽しみを知らずに暮らしていた姉妹やその幼い弟たちを、著者は井の頭公園や深川不動へ連れて行ったりしてかわいがっていました、
 父親の死後、彼らは遠くの親せきにもらわれていきましたが、そこも追い出されてドヤ街に戻ってきます。
 そのころ無頼生活から足を洗った著者は、ドヤ街を離れます。
 その後再会した姉は、身を持ち崩して精神を病み象のように太っています。
 妹の方は、水商売の世界で出世(銀座に出た)して、やくざの組長の女になり、おつきの若い衆を引き連れています。
 姉とは全く違う境遇になった妹ですが、その後ろ姿は象のような姉の感じが移っていて、著者をアッと思わせます。
 子どもたちが貧困からどのように抜け出すか。
 この作品には、一昔前の典型が描かれています。
 男の子たちは、やくざや愚連隊になって、その世界でのし上がる(姉妹の兄弟たちもそうです)こともその一つの方法でしたが、その多くは命を落としたり刑務所入りしたりしました。
 女の子たちは、水商売の世界でのし上がり(そのころのゴールは銀座でした)、自分の店を持つことを夢見ますが、その大半は姉のように身を持ち崩したり、妹のようにやくざの女や金持ちの愛人に(昔はお妾さんとか二号さんと呼ばれていました)なるのがせいぜいでした。 
 再び子どもたちの貧困が問題になっている現在も、昔と状況はあまり変わっていないように思えます。
 たしかに暴力団はかつてのようには表立ってはいませんが、姿を変えたいろいろな犯罪組織に取り込まれていく男の子たちは今でもたくさんいます。
 女の子たちを取り巻く環境は、さらに悪化しているかもしれません。
 キャバクラなどでお金を稼いで店を持ったり、常連と結婚したりできる女の子はごく一部で、いろいろと名前を変えた性風俗やAVなどに取り込まれていく女の子たちもたくさんいることでしょう。
 子どもたちの貧困を行政や教育機関や地域社会が解決できない限り、いつの時代にもこの作品に描かれたような子どもたちは存在し続けます。

怪しい来客簿 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋

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