狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

昭和天皇が沖縄を売った?馬鹿な!

2012-01-15 08:08:20 | 県知事選

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2012.01.12

都教組沖縄視察交流団 八重山で交流と連帯を深める

八重山(石垣島・与那国島。竹富島)の方々と交流

今年度の都教組沖縄視察交流団は、「八重山を訪れ、日本最西端の与那国島を訪ねる旅」として行われ、40名を超える参加者で八重山(石垣島、与那国島)の人々と交流を行いました。

yaeyama1.JPG 初日は、石垣島で戦争マラリアの史跡や慰霊碑、八重山平和記念館などで戦争マラリアについて学びました。夜は、「日本人軍と戦争マラリア」と題した玉城功一さん(竹富町史編集委員、石垣市大川字誌編集委員、八重山古典音楽安室流保存会師範)の講演、石垣市の方々による戦争マラリアの紙芝居、八重山教科書問題の現状と運動などについて報告を受けました。その後、石垣市の元教育長、元校長や教育関係者など21名が参加しての歓迎のつどいが催されました。(略)

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沖縄タイムスの連載特集「第一部 風は南から」シリーズを読めば、極悪複合体(反日左翼)の今年の反日工作のテーマは「八重山マラリア」であることがわかる。

それを裏付けるように教員関係者による「日本軍人と戦争マラリア」を学習するツアーが石垣入りしている。

鬼畜と信じられていた米軍の攻撃から住民を避難させるため行った疎開が、結果的に多くのマラリアの被害を生んだが、それを逆恨みして「残虐非道な日本軍」の強制疎開のせいだとして、戦後70年近くも経っているというのに、いまだに「日本軍のせい」と叫ぶ心根が理解できない。

昨日のエントリーに続いて本日も「疎開」について書く予定であったが、「おまけ」に書いた「潜在主権」に絡む「天皇メッセージ」に読者の反響が多かったので、その中からコメントを二つ引用するする。

■宮古島よりさんのコメント

「昭和天皇が沖縄を米国に売り渡した」として反米左翼複合体がデマの宣伝活動に利用している、悪名高き「沖縄メッセージ」とはいかなるものか。

「沖縄メッセージ」とは、昭和22年(1947年)宮内府御用係の寺崎英成がGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトへ沖縄に関する天皇の意見として伝えたもの。

以下、ウィリアム・シーボルトの記録。

「天皇は米国が沖縄をはじめ、その他の琉球諸国に対する軍事占領を継続するよう希望している。天皇の意見では、そのような占領はアメリカの利益になり、また、日本を防衛することにもなる、ということである。

 また、天皇は、沖縄(その他必要とされる諸国)に対する米軍の軍事占領は、主権を日本に残したまま、長期(※中略)25年ないし50年またはそれ以上の租借方式という擬制に基づいて行われるべきであると考えている。天皇によれば、このような占領方式は、米国が琉球諸島に対していかなる恒久的野心ももっていないと日本国民に確信させ、ひいてはこれより、他の諸国、とりわけソ連や中国による同様の権利要求を封ずるであろう。」

つまり、沖縄を日本に主権を残したまま(潜在主権)、租借方式という擬制は(あくまでレンタル)、米国占領統治によりソ連や中国の共産主義を跳ね除け(日本の国防の米国に担ってもらう)、いずれ長期租借が解かれたとき、琉球諸島は日本復帰するという昭和天皇の沖縄に対する確固とした意思が分かる。

「昭和天皇が沖縄を米国に売り渡した」というのは大いなる間違い。

「思わざる 病となりぬ 沖縄を 訪ねて果さぬ つとめありしを」

昭和63年8月には、天皇皇后両陛下の沖縄への来島は決定していた。病気になられても、なお、陛下は沖縄への思いはあった。

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■涼太さんのコメント

本日のエントリーで長年の疑問が解決しました。
例えば、「戦傷病者遺族等援護法」も「教科書無償法」も日本本土と、同時期に導入されています。米国の委任統治だからこそ、チャント日本国の行政サービスがあったのですね。
特に、援護法などは民間人にまで50年間に渡り、それこそサラリーマンの生涯賃金に匹敵する額が支給されています。
それでグダグダ言っていたら罰が当たります。
よく言われる基地負担も、今度の大震災で明らかにされた電力負担、それ以外にも京浜工業地帯も公害に苦しんでいます。これなどは産業負担なのでしょう。国には様々負担があります。
それを日本国で分かち合っているのだと思います。

常々思うことだが当日記の読者はレベルが高いのが自慢であり、筆者の説明では足らない部分を埋め合わせてくるので助かるのだが、宮古島よりさんが筆者が敢て触れなかった「天皇メッセージ」の文言を挙げてその概略を説明して下さっている。

一方の涼太さんが、主権は日本のまま米軍統治下になった沖縄で「援護法」や「無償措置法」が適用されたことに着目されたことはさすがです。

日本政府が「援護法」や「無償措置法」を適用したのは、戸籍を残したまま里子にやった子ども(沖縄)が、いつかは祖国に帰ってくるという昭和天皇の親心(「天皇メッセージ」)を政府当局が勘案したからに他ならない。

さらに沖縄の教育に関して、政府は沖縄の学生だけに限る選抜試験を行い、全国の国立大学に国負担で受け入れている(国費留学制) ちなみに仲井真県知事はこの国費留学制度の恩恵で東京大学を卒業している。

いわゆる「天皇メッセージ」とは、、宮中御用掛の寺崎英成が昭和天皇との会話の中から聞き取った天皇の気持ちを、昭和22年9月19日(金)に総司令部政治顧問シーボルトに伝え、それをシーボルトが英訳してワシントンに送ったとされことである。

これも沖縄に関する大きな誤解の一つだが、保守系の論客の中にも「天皇メッセージ」とは天皇自ら「沖縄をアメリカに売り渡す」と書いた文書が米公文書館から発見された、と誤解する人が多い。

筆者の知人にも終戦時、既に米軍占領下にあった沖縄が米国統治になったのはやむ得ないとしても、「天皇自らが(命乞いのように)沖縄を売り渡す手紙を書いた」のは許せないと息巻く人もいるくらいだが、実際は「天皇の密書」が存在するわけではない。

寺崎が昭和天皇の会話の中から沖縄についての「思い」を斟酌してシーボルトに伝え、それがシーボルトの手紙という形でワシントンに伝えられたのだ。

「天皇メッセージ」はシーボルトの手紙では"Emperor of Japan's Opinion Concerning the Future of the Ryukyu Islands"と訳されている。

だが近代史研究家の秦郁彦氏も驚嘆するように、敗戦直後の社会党政権(片山内閣)下で、当時の社会情勢では政府の誰もが思いも及ばなかった「主権は残した(潜在主権の)まま」いつかは祖国に帰る日のために委任統治という方法を思いついた昭和天皇の判断力の確かさは「天皇メッセージ」というより、いまでは死語になりつつある「昭和天皇の大御心(おおみごごろ)」と訳した方が的を射ているのではないか。

 秦郁彦氏はいわゆる「天皇メッセージ」についてその著書「昭和天皇五つの決断」(文藝春秋)で、次のように述べている。

「23年早々という早い時点で、アメリカのアジア戦略の動向を正確に探知して、適切な情勢判断を示した天皇の洞察力には脱帽のほかない・・・」

          ☆

「天皇メッセージ」(昭和天皇の大御心」について稿を改めて詳述すると書いたが、とりあえず凪論さんの孫引きで、小林よしのり氏の「昭和天皇論」を、全文引用させて頂いた。

小林よしのり著「ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論」を読む 2 ~サンフランシスコ講和条約と先帝陛下のかかわりの虚と実~

「昭和天皇論」は、先帝陛下が政治家として動かざるを得なかった時代に脚光をあてている。その中で非常に興味深いのがサンフランシスコ講和条約直前における先帝陛下と政治のかかわりである。昭和24年9月にソ連が原爆保有を表明し、同年10月に中華人民共和国が成立した。それはまさに「アジアの冷戦は朝鮮半島、台湾海峡、ベトナムでいつ熱戦に転じてもおかしい状況下」であり、日本国内で強硬に主張されていた「全面講和」は絵空事に過ぎなかった。

 当時占領軍のトップであったマッカーサーは

「日本としては永久中立が保たれればそれが理想であります。また米ソ双方にとっても利益である筈であります。」(昭和25年4月18日第10回会見)

「(日本は)将来いかなる戦争があろうとも中立を保たなければならない。ソ連も軍事上の利点から日米の中立を尊重するものと信じている。」(「リーダーズ・ダイジェスト」)

と現実離れした「非武装中立」を主張し、アメリカ政府はアジアの共産主義との対立のために日本の再軍備と米軍の基地保有が必要との見解に立っており、両者の間の溝は非常に大きいものであった。その中で吉田茂総理大臣はマッカーサーに対しては米軍駐留の主張を引っ込め、ダレス国務省顧問に対しては日本側からの米軍駐留申出を行う用意があることを示唆するなど日本の立場は混乱していた。そのような状況下でダレス国務省顧問が来日し、案の定日本側の姿勢に激怒した。その中で側近の松平康昌を通してダレス国務省顧問にメッセージを送ったのが先帝陛下であった。「吉田茂はマッカーサーに媚びていて信任できず、米軍駐留に関する交渉は吉田とマッカーサー以外の人物によって行うべきだ」という趣旨のメッセージを送り、マッカーサーの頭越しに日米の講和交渉が行われるきっかけとなった。

 先帝陛下のメッセージで大きな影響を受けたのが沖縄である。連合国側には米軍による沖縄の信託統治や日本の沖縄に対する主権放棄を主張する声が非常に強く残っており、沖縄が日本から切り離される危険性は非常に高いものであった。ダレス国務省顧問は、

「日本に主権を残しつつ米国の戦略的要請を確保していると解釈解釈できる条約を作るもので、以前の国際法には見られない表現」

である「潜在的主権」という表現を用いて意見を調整し、沖縄の本土復帰において法的根拠となったのはまさにこの「潜在主権」であった。小林氏は

「もし昭和天皇が米国政府に『沖縄メッセージ』を送らなかったら?

そしてやる気を失いかけていたダレスに絶妙のタイミングでメッセージを送って感激させていなかったら?

歴史は違う方向に動いていたかもしれない。

当時の日本には、ここまで現実的に日本を護るための手段を打てる政治家は他に誰もいなかったのである!」

と結ぶ。

 そのような講和交渉の現実を見ると、漫画原作者の雁屋哲氏が「美味しんぼ日記」で

http://kariyatetsu.com/nikki/1228.php <map id="map_mdbwehrw" name="map_mdbwehrw"> <area shape="rect" coords="187,46,302,58" href="http://kariyatetsu.com/category/nikki" /> </map>

鳩山由紀夫氏を攻撃するのは誰か | 雁屋哲の美味しんぼ日記 via kwout



「沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

それは、昭和天皇である。

昭和天皇が『沖縄にずっとアメリカ軍に存在して貰いたい』といったのが始まりではないのか。

昭和天皇の沖縄についての発言は、いちいち、私はここで挙げないが,様々な文書で明らかにされている。

もし、私の言葉に疑いを抱く人がいたら、ちょうど良い機会だ、昭和天皇の言行録を、当たって欲しい。ちょっとした図書館に行って、昭和天皇についての書籍を調べれば、すぐに分かることだ。(その意図があるから、私はわざと、文書をここに引用しないのだ。読者諸姉諸兄が自分の目で、昭和天皇が何を言ったのか読んで欲しい。それで、驚かなかったら、おかしい)

昭和天皇が、沖縄をアメリカに渡すと言った言葉に従って、その後の政府は忠実にアメリカに沖縄を自由に使うことを許してきた。

歴代の自民党政府が六十年以上にわたって、アメリカに沖縄を自由に使うことを許してきたのだ。」

と述べているのは、雁屋氏の無知と傲慢をさらけ出すだけのものであると言える。

「また、天皇は、沖縄(その他必要とされる諸島)に対する米軍の軍事的占領は、主権を日本に残したまま、長期-25年ないし50年またはそれ以上の-租借方式という擬制(fiction)に基づいて行われるべきであると考えている。天皇によれば、このような占領方式は米国が琉球諸島に対していかなる恒久的野心ももっていないと日本国民に確信させ、ひいてはこれにより、他の諸国、とりわけソ連や中国による同様の権利の要求を封ずるであろう。

と述べる先帝陛下のメッセージは間違いなく沖縄の本土復帰の法的根拠となった「潜在的主権」に沿ったものであり、連合国による沖縄の主権放棄への要求を封ずるものであったと言える。おそらく雁屋氏は無知をこじらせたか、史実を明らかにされると自らのイデオロギーにとって都合が悪いのであろう。


引用終了   ☆

「疎開」のひと言を取り上げても、極悪複合体(反日左翼)のように悪意に満ちた色眼鏡で見れば、「残虐非道の日本軍」の象徴になる。

昭和天皇が、アメリカが沖縄を永久支配しないことの保障のために、主権は残したまま(潜在主権)、施政権のみ一時預かる(委任統治)と、当時(昭和23年)の状況でいえば最適の判断をしたことも、悪意に満ちた極悪複合体に言わせれば「天皇が沖縄をアメリカに売り渡した」となるのである。

           ☆

【お知らせ】

 

 
パンドラの箱掲載拒否訴訟五回口頭弁論のご案内 

 

 

 

 表現の自由と著作権の侵害を争点とした上原正稔氏の戦いは、第五回の口頭弁論を迎え、いよいこよこの裁判の佳境をむかえて参ります。被告側の反論は既に訂正を余儀なくされており、今回も更なる矛盾を追求する法廷となります。口頭弁論と報告会を左記の如く行いますので、参加賜りますようご案内申し上げます。

 尚、上原正稔公式サイトで検索頂ければ、裁判の経緯も順次掲載されますのでご覧下さい。

          記

 第五回口頭弁論

  日時 :一月二十四日(火) 午前十時半より

  場所: 那覇地方裁判所

 報告会

  日時: 同日      午前十一時半より

  会場 :沖縄県護国神社社務所内会議室

 

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DDT.OK.(戦時小国民の思い出) (町工場の親方)
2012-01-15 09:27:03

>Unknown (太郎の嫁)
2012-01-13 18:32:19
滋賀県彦根市でマラリアが終息したのは昭和29年です。
昭和23年の患者数は873人です。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/kaichuu-1.htm

このように本州でさえ、当たり前のようにマラリア患者が発生していた昭和初期には、
沖縄一帯ではもっと流行していた、と考えるのが普通でしょう。

《反日左翼、(韓国人も)、は、現代の基準で過去を叫ぶことが得意です。》
もう議論することさえバカらしいぐらいです。


>Unknown (◯◯◯)
2012-01-13 19:59:32
太郎の嫁様、素晴らしいリンクありがとうございました。

なるほど、その記事を読むと戦後の大量の戦地からの帰還兵が持っていた様々な寄生虫や病原菌をどうするのかというのが深刻な問題になっていたと読めますね、マラリアだけに限らず。

《DDTを頭から降りかけられて真っ白になった子供とかの映像を見たことは誰にでもあると思いますが、確か私が小学生の頃の教科書には

DDTとかBHCは悪魔の農薬(例えですwそんなふうにしか思えないような説明を教師から受けた記憶があります。》

農薬は怖いなと思わされたものです、まぁ実際怖いのは事実ですが)みたいな説明しか受けたことがなく、光の部分(殺虫作用とか衛生強化とか)の説明を受けていない教育というのは私が子供の頃からされていたんですね。


敗戦直後、飢餓、極貧の被占領下、日本国民が蒙った、恐ろしい病気に、《発疹チブス》、がありました。罹患者の1割、10人に1人が死ぬという猛烈な悪疫でした。

※.《発疹チブス》
概略 、人口密集地域、不衛生な地域に見られ、衣服に付くシラミやダニが媒介することから、冬期、または寒冷地で流行が見られる。特に戦争・飢饉・牢獄・収容所などに好発し、「戦争熱」・「飢饉熱」などの別称がある。
例えば、1812年のナポレオンのロシア遠征などである。第一次世界大戦のロシアでは3000万人が罹患し、10%が死亡した。

またナチス・ドイツのユダヤ人強制収容所でも発生し、大きな被害を出したが、これには、アウシュヴィッツをはじめとする収容所が存在したポーランドが、歴史的に、発疹チフスの発生を繰り返して来た土地であった事にも注目する必要がある。『アンネの日記』のアンネ・フランクも、アウシュヴィッツ第二収容所からベルゲン・ベルゼン収容所に移送された後、発疹チフスによって死亡したとされている。

原因、 [編集]、リケッチアの一種であるRickettsia prowazaekiiの感染を原因とする。コロモジラミ(、Pediculus humanus)、またはアタマジラミにより媒介されることが多い。自然感染したムササビが発見されたため、人獣共通感染症の可能性が指摘されている。

日本では第二次世界大戦中から戦後にかけて流行したが、
1955年以降報告されていない。20世紀初頭にはそのほか世界各地でもみられたが、現在ではアフリカ、南米の高地といった寒冷地を中心に発生する。

症状
発疹チフス患者の発疹潜伏期は1から2週間。発熱、頭痛,悪寒、手足の疼痛などで突発し、高熱、全身に広がる発疹が特徴的症状である。皮疹は体幹の斑状の紅斑や丘疹からはじまり次第に手足に広ってゆく。手掌、足蹠をおかさないとされる。重症例では点状出血様になる。頭痛・精神錯乱などの脳症状が強いのも特徴である。致死率は年齢により異なり、20歳まででは5%以下であるのに対して、加齢に伴い増加し、60歳以上では100%近くなる。発疹チフスの初感染から回復したヒトに発生する再発型リケッチア症があり、これはブリル病と呼ばれる。

発疹チブスについては、昭和19年1月30日付の北海道新聞に「全道に恐るべき猛威を 揮う発疹チブスは、27日までに罹患者1451名、内全快918名、死亡125名」

このため、米進駐軍は虱駆除のため、強烈な効き目がある、薬剤・DDT、を散布しました。今にして思えば、まさに、「毒をもって毒を制す」、というところかと思います。

おかっぱ頭の幼児、小学生の女の子は、アタマジラミを駆除するため、頭から真っ白になるほどDDTをかけられました。

各家庭も、虱駆除の特効薬・DDT、を散布してもらうため、家の戸口に、白墨で、縦書きにて、『DDT・OK』、と書き込みました。

これは、「DDTを散布してください」、と英文、横文字で正確に書けぬ、庶民が、
「DDTを家中に散布することにより、虱を駆除、殲滅し、発疹チブス罹病による、死の恐怖から逃れたい」、との思いを込めて書いたものでした。
当時、♪、《薬の神様DDT》、という歌詞の歌を聞いた覚えがあります。

P.S.
「粛清」、「変脳」、について。

今日(24.1.14.)の「産経」、8面に、

《北ナンバー2、張成沢氏、「2.5万人粛清」、を指導》

として、「北朝鮮の新指導者、金正恩氏の後見人でナンバー2とされる、張成沢国防委員会・副委員長が、金正日総書記時代に2万5千人が粛清された、「深化組事件」、の総責任者だったことが注目されている。
今回の体制改編でも粛清は不可避とみられ、父子2代に仕える、《冷血な忠臣》、張氏の動向が正恩体制の鍵を握ると見られている。・・・」、と久保田るり子記者が報じています・。

※、「深化組事件」、は1997~2000年に行われた粛清で、約1万人が、拷問・処刑の犠牲となり、約1万5千人が収容所に送られたとされる。

変脳・極左集団、日教組の親玉を非常に長期間やっていた、日教組委員長=槙枝基文、(1962~71、書記長、9年、1971~83、委員長12年)、が、
「この世で最も尊敬する人物は、金日成主席だ」、と常々語っていたのは有名な事実です。
元沖縄大学長・佐久川政一、も金日成の信奉者として知られています。

「粛清」、と言う言葉は、なんとなく、いい加減な状態を厳しく秩序あるものにする、不純物を除く、というようなニユアンスが感じられますが、実態は、共産主義国の独裁権力者が、気に食わぬものを殺し、消してしまうことで、殆どは銃殺による処刑です。
レーニン、スターリン、毛沢東、金日成、等、共産主義国の独裁権力者が、「粛清」、の名の下に、慈悲心のカケラもなく、かっての自分の同志、自国民、他国民をどれだけ多く無残に殺したか、自由主義社会で暮らす人間には想像を絶する、途方もない数です。

殺す理由、法的根拠は、「国家反逆罪」、「スパイ罪」、が主たるものですが、独裁者にとって、自分に反対する者、批判する者は、または自分で勝手にそう思い込む人間たちは、イコール、「国家反逆者」、「スパイ」、となり、粛清の対象となりました。

私はブログ、掲示板に書き込むときは、《変脳》、を使い、「洗脳」、の言葉を使ったことはありません。
「洗脳」、というと何か脳が思想的に綺麗に洗われ、新しくなった、という感じがして違和感を感じます。

「洗脳」、という言葉が嫌いですので、倉橋由美子氏の傑作怪奇小説、『スミヤキストQの冒険』、で使われている、《変脳》、を使うことにしています。
《変脳》、からは、傷んだり、腐ったりした、肉や野菜、果物等が、変質してしまって、悪くなり、決して元の良い状態には戻らないように、変ってしまった脳は、正常人の脳とは異質な、何とも歪んだものになってしまう、という感じがよく出ていると思います。


追記。訂正させて下さい。 (町工場の親方)
2012-01-15 09:42:34
DDT ーー DDTとはDichloro-diphenyl-trichloroethane(ディクロロ・ディフェニル・トリクロロエタン)の略であり、かって使われていた有機塩素系の殺虫剤、農薬です。


戦時小国民→戦時少国民
最古の国 日本 (宜野湾より)
2012-01-15 10:51:06
狼魔人様

本日のエントリーにも、全面同意です。

国際儀礼プロトコルでの国賓歓待序列において、天皇陛下は世界第1位です。
その理由は何か。
125代にわたって続く男系の皇統です。
神武天皇から数えて今年は皇紀2672年、男系子孫による万世一系。
このようなことは世界で日本だけです。
それゆえに、世界中の尊敬や憧れを受けられておいでなのが、天皇陛下なのです。
このことを知ると、男系子孫により永く受け継がれることの計り知れない価値を、先祖を大切にする沖縄の人は必ず理解すると思うのです。

今では教科書にも書かれませんが、日本という国は、今も続く世界最古の国家なのです。
僭越甚だしい言い方をすれば、この国と、国を成す国民への責任を深くおわかりでいらっしゃるからこその、沖縄についてのご提案であったと思います。

つまらない捏造で先帝陛下をおとしめ、皇胤を絶やす動きに手を貸すようなことがあれば、許してはいけないことです。
GHQの置き土産と吉田茂首相のダブルスタンダードの土に生えたラフレシアもどきが、沖縄でも臭っています。
生きながら朽ちてください。
Unknown (涼太)
2012-01-15 11:34:14
狼魔人様

アメリカ委任統治下の沖縄県に於いては、やはり日本国の法律が適用されていますね。
特に、国籍法や国民の祝祭日も日本本土と同じです。国籍法で日本人としての地位を保証していることは主権が日本にあることの証です。
ただ、米軍、米国市民を駐留させるためにはその保護のため、高等弁務官の権力も強大で、しばし琉球政府や県民との対立や、沖縄独特の法律も(車の右側通行や米軍属の裁判に際し、陪審員制度など。)も致し方ないでしょう。現在の法律でも大使館員などは治外法権ですから。
昔テレビで見た、伊佐千尋氏の「逆転」もその様子を描いたのですね。沖縄の青年が米兵を殺した事件で、一方的に沖縄の青年を裁いたのではなく、アメリカの陪審員制で裁いています。結果的に居酒屋の女将の証言で、米兵が酒を飲んだ上で暴れたことが判り、沖縄の青年は「無罪」を勝ち取ったと記憶しています。
もし日本が、自衛隊などを海外に派遣するときも、被派遣国と同じ交渉をするでしょう。
自衛隊員が犯した犯罪は、日本国の法律で裁きたいと要求すると思います。
私の知識もまだまだ未熟ですので、あくまで個人的な意見です。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%96%BD%E6%94%BF%E6%A8%A9%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%81%AE%E6%B3%95%E4%BB%A4#.E7.AB.8B.E6.B3.95
Unknown (危険)
2012-01-15 13:24:09
子供のころ、学校でDDTを子供の頭に散布されたという記憶があります。
団塊の世代よりも若い世代ですが。

今の若い人には記憶にもないでしょう。
つい最近のことです。


Unknown (涼太)
2012-01-15 13:41:32
狼魔人様

私は恥ずかしながら、昨日の狼魔人日記を読むまでは、今の北方領土が完全にロシアの占領下にあるように、沖縄も復帰前までは完全なアメリカ領だという意識でした。
その辺は反日左翼の宣伝の成果でしょう。
左翼が言う、天皇陛下が沖縄を売り飛ばしたも嘘だと確信しました。
実際には廃藩置県以来、沖縄の立場は少しも変わっていなかった事を知り、目からウロコです。
何度も書きますが、私が沖縄問題に興味を持ったのも、沖縄勤務時代の友人達の「嘘はいつかばれる。」の一言です。そして戦争直接体験者のオジー、オバーとの出会いです。
元々歴史には興味があり、出張で地方に行く機会があったときは、古戦場めぐりなどをやっておりました。沖縄勤務時代も、摩文仁の丘、豊見城海軍壕、今帰仁城址、中城城址、白銀堂など沖縄の史跡巡りが好きでした。
それにしても、友人達の魔法は一生涯解けそうもありません。
Unknown (◯◯◯)
2012-01-15 21:02:41
町工場の親方様

貴重な実体験のお話ありがとうございました。
サヨク歴史学者さんもこういう事を教えて貰えると歴史がもっと面白くなると思うんですけどね。

さて、昨日は銭ゲバ極左の狼藉を糾弾していた私ですが、新防衛相の発言には銭ゲバ極左の方々を擁護したくなってくるから困ったものです(苦笑)
ラジオで生で聴いてましたが、コイツも前のバカと一緒で人の気持ちって何もわかってないですね。。。

田中防衛相は「踏み込み過ぎ」…年内着工に言及
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120115-OYT1T00488.htm
母子手帳 (ヒロシ)
2012-01-15 22:16:28
大阪万博へ行った時のパスポートを探したのですがみつけられませんでした。
しかし、母子手帳を見つけました。
私の母子手帳は東京で発行されて沖縄で継続使用していました。
今度画像をのせてみます。
Unknown (匿名)
2012-02-06 19:28:03
バ雁屋がいつか垂れ流していた毒電波か
なんだこのブログ (ダース)
2015-01-18 06:13:44
妄想垂れ流してんじゃねーよバーカ
アホはブログやるな
回線切って首吊って死ね

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