家庭連合平和奉仕ボランティア隊キャプテン日記 in 復興支援

家庭連合平和奉仕ボランティア隊(UPeace)のキャプテンが、復興支援の様子や現地の声、感じた思いなどを発信します。

NPOを創設したリーダーが、初めて被災地へ行ったときの話

2012年10月13日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記
 NPO団体のリーダーから、被災地に来た経緯を聞きました。
 その方は、2011年4月上旬から被災地へ来て、1年半以上が経過した現在でも現地で支援活動を継続。
 今後も数年間、現地支援を続けようとNPOを立ち上げました。

 【以下、リーダーの話】

 震災直後に海外に行った。被災地とは遠く離れた場所。ここなら被災地のことを考えなくてもいいはずなのに、
 “自分は何もしなくていいのだろうか?”
 という心の声がいつも耳元で響いているようで、外へ出かけても震災のことばかりを考えていた。休もうと思っても休めなかったし、遊ぼうと思っても遊べなかった。

 日本に帰って来たら、被災地へ行ってみようと思った。
 “俺、被災地行ってくるから!”
 家族にも話して、親友にも話して、仕事仲間にも話して、いろんな人に話した。

 「あの頃の自分を客観視すると、被災地に行くことを宣伝しているように見えたね。それは、宣伝したかったというより“自分は被災地へ行くんだ”という気持ちを固めていたんだと思うよ。」

 周りの人たちは応援してくれた。
 支援物資を集めてくれる人もいた。
 とてもありがたかった。

 “頑張ってね!”“応援してるよ”“気をつけてね”

 メッセージをいただく中で、被災地へ行くことが徐々に現実味を帯びてきた。すると、“怖い”という心の声が聞こえ、徐々に大きくなるのが分かった。
 当時は被災直後で、震度5や6の余震によって津波警報が鳴ることもしばしば。
 被災地に行くと何が待っているのか予測できなかった。

 被災地へ行く直前、“怖い”という声が大きくなり、“やっぱり、やめようかな”という声に変化した。
 “現地に行くと何が待ってるか分からない...自分は災害支援に関しては素人だ...行っても何もできないかもしれない...かえって現地に迷惑すらかけてしまうかもしれない...”

 “そうだ、やめよう!”
 ハッとしたように聞こえてきた言葉。

 その時、我にかえったように周囲を見渡してみた。
 そこにあったのは...
 被災地へ行く準備万全の車、知人に頼んだ支援物資、集まった募金、自分を応援する親友、家族、仕事仲間...
 これを見た時、心の中に別の声が割り込んで来た...

 “もう、後戻りできないな”

 自分の中で、何かが吹っ切れた気がした。モヤモヤしていた気持ちをスパッと断ち切れた気がした。

 「あの頃のことを振り返ってみると、自分は“一度は絶対に躊躇するだろう”と分かっていた気がするんだよね。だから予め、後戻りできないようにわざと大げさに宣伝して、大げさに準備していたんだなと思うよ。」

 出発当日、不安な気持ちも少なからずあったが、それ以上に不思議な感覚があった。というのも、“自分で決心して出発した”という気はしなかった。うまく言葉で表現できないが、“自分とは違う何か他の見えない力”に押し出されるように東京を出発した。

 また、被災地に知り合いがいるわけでもないし、自分自身は東北地方に行ったことすらないのに、まるで“誰かに呼ばれるように”東京を出発した。

 「あの頃は必死だったけど、後から冷静になって振り返ってみると、不思議な感覚だったなと思うよ。結果的には、本当に来てよかったと思ってる。」


 こうして、震災から1ヶ月も経たない4月初め、震度6強の大きな余震で津波警報が鳴っていた頃に被災地へ出発した。
 様々な思いが複雑に絡みあいながら、
 目には見えない大きな“力”に後押しされて...

                             ≪to be continued≫

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