巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「もう少し人に優しくなります!」

もう少し人に優しくなります!

主任司祭 晴佐久 昌英

 多摩教会の信徒総会では、例年、「今年の教会スローガン」が採択されます。今年一年、どのような意識で、どのような目標を持って、どのような方法で、教会活動を進めていくかということを、ひとことで現したものです。
 私が多摩教会に来てからは、ずっと、同じスローガンを掲げてやって来ました。
 「荒れ野のオアシス教会をめざして」です。
 東京教区の岡田大司教は、着座式の説教でこう述べました。
 「私たちの教会がすべての人に開かれた共同体、特に弱い立場に置かれている人々、圧迫されている貧し人々にとって、やすらぎ、なぐさめ、はげまし、力、希望、救いとなる共同体として成長するように」
 我らが多摩教会は、この方針を具体的に実現させる教会として日々努力してまいりましたし、ささやかではあれ、開かれた共同体としての成果を上げてきたことを自負する教会です。私たちは、この荒れ野のような現代社会にあって、本物のオアシスとなることを夢見続ける仲間なのです。

 そんなわけで、今年もまた同じスローガンを掲げることになりましたが、毎年全く同じっていうのも工夫がなさすぎるということで、今年はサブタイトルを付け加えることを提案します。
 「荒れ野のオアシス教会をめざして──わたしたちは、もう少し人に優しくなります!──」
 というものです。「人に優しくなります!」という宣言で、お互いに自覚を深めようということですが、この、「もう少し」っていうところに、現実味を感じていただければと思います。ほんとに「もう少し」でいいんです。その「もう少し」がないために、「特に弱い立場に置かれている人々、圧迫されている貧しい人々」が、「やすらぎやはげまし」を得られず、「希望と救い」を感じられないでいるのですから。
 今の世の中、何が足りないって、「優しさが足りない」の一言に尽きるのではないでしょうか。確かに、お互いギリギリの生活で、人に分けてあげるだけの優しさなど持ち合わせていないように感じることもあるかもしれませんが、だからこそキリストの体を頂き、キリストと共に働いているのですから、そんな状況下でこそ、キリストの教会の真価が問われてくるのです。
 人生に疲れ果てた旅人を、優しさあふれるオアシスでおもてなししましょう。ほんの少しの優しさ、コップ一杯の奉仕で充分です。
 「あなたがたに一杯の水を飲ませてくれるものは、必ずその報いを受ける」(マルコ9・41)

 昨年夏に、「こころのいやしのための青年キャンプ」、通称「ここヤシキャンプ」を奄美大島で開催したと報告しましたが、その後、参加者たちを中心に、より広く、より頻繁に集まろうということで、毎月の例会を行なうことになりました。
 「こころのいやしのための青年(30代まで)の集い」、通称「ここヤシの集い」として、毎月最終日曜日の16時(開場15時半)より、多摩教会にて開いています。17時から癒しのミサもあり、18時からみんなで会食です。顧問医師として、カトリック信者の精神科医も参加しており、すでに2回開きましたが、まさに心のオアシスのような集いになっています。
 心に問題を抱えている青年たちは、多くの場合、様々なところで排除されたり、傷つけられたりしています。そんな彼らの安心できる居場所になれたらと願っています。
 もちろん、お互いまだまだ不慣れで、問題点もありますが、ともかくも「特に弱い立場に置かれている人々」に、「安らぎや励まし」を与えたいという一心で始めました。
 今年、わたしたちは、もう少し人に優しくなります!