1980年、私はイギリスにいた。
29歳のときだった。
サウサンプトン大学の宿舎にいたのだが、同じフロアに4人の男が住んでいた。
ギリシア人、パキスタン人、私と、イギリス人だった。
ギリシア人とパキスタン人とは、調理をしながらよく雑談をした。
どんなタイミングか覚えていないが、戦争の話になった。
サダム・フセインはクレージーだ、とギリシア人が言った。
パキスタン人は、軍隊からの派遣だった。
インドとの緊張を生々しく語ってくれた。
私が、憲法9条の戦争放棄について話した。
ギリシア人は驚いていった。
「知らなかった。それで日本は生き残れるのか。」
パキスタン人が言った。
「これはとても有名な話だ。私はすばらしいと思う。」
あれから、30年以上がたった。
日本はまだ生き残っているが、フセインは死んだ。
憲法改正の話は、古くなった家を壊して立て替えるのか、古さを活かして改修するのか、という議論によく似ている。
いずれにしても、基本設計と資金計画が必要なのだろう。