と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

看護師は少なくとも小乗的ではない

2014年11月25日 18時50分29秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

病になって思うこと

 

 

誰でも病気になったことがあると私は思う。大病をしたかしないかということも含めて、人間は誰しも病にかかる。できれば病気にはならないで一生を送りたいものであるが、健康第一というのはまったく本当のことだ。健康のウエに、すべてはのっかっているといっても云いすぎではない。かくなる私もこれまで何度でも病というものを経験してきた。風邪から始まって、いろいろとドクターの世話になってきた。可能な限り、お世話になりたくないのがドクターであるが、病になったときはなったで、ある意味仕方のないことであった。

そういうえば亡父も、亡母も病気で亡くなった。亡父がちょうど60歳、亡母が64歳であった。亡父は胃がん。亡母は脳梗塞。私が30歳の時と、34歳の時であった。亡父は典型的な大酒飲みで、みちのくの町役場の吏員をしていたのだが、毎日のようにあびるほど呑んでいた。シベリアにソ連によって抑留されていた軍人で、どうにもこうにも、日本に帰国してからは虚無主義の虜になっていたと今になって思う。その心の中は今となってはもうわからない。ただし、戦争が個人の生き方というものにかなりの影響を及ぼすという点だけは、私のような愚昧な人間でもよく理解できた。だから戦争は忌避しなくてはならないのだ。人の一生をめちゃくちゃにしてしまうからだ。私はこの亡父の虚無を最初から背負ってきたような気がしてならない。小さい時から、語ってくれたからである。シベリアのことを。私は小さいけれども気がついていた。亡父の哀しみを。そうなのだ。亡父は一生哀しみながら、一介の町役場吏員として過ごしていたのだ。だから、無意識ではあるが、虚無からの解放ということをテーマに大学文学部で卒論を書いたのだ。そして、それは現在もまだ解決できていない。

亡母は、脳梗塞だった。血圧が高く、小太りだった。典型的な師範学校教育を受けた明治以来の女子教員であった。国語と音楽と体育が得意であった。現在の山形大学教育学部に進学して、生涯現役、一介の田舎教師で終わった。それなりに非常に尊敬してきた。今でもそれは変わらない。ただし、あまりにも教師としてのモデルの位置づけが、私の潜在意識にのしかかってきたことは確かである。ある意味、私は亡母の生き方から見たら落第をしたからである。なぜ現場の一教員として生涯学級担任に拘らなかったのか?と聞かれたら、ぎゃふんである。授業からも16年間離れた。教育は授業をやってこそである。学級担任をやらなくては、ホンモノの教師とは云えないからである。こどもたちと関わってこその教師である。部活もそうだ。柔道部を持っていたが、それも教頭になってからは離れた。ナイショで、道場には行っていたし、柔道部員が職員室まで迎えに来てくれたこともあった。「今日は道場に来てくれますよね」と、部員が迎えにくるのであった。しかし、次の学校からは女子高校に勤務したせいもあって、柔道部がなかった。最後も女子高校を共学化したことがあって柔道部がなかった。そんなこんなで、亡母にはアタマが下がるだけであった。その元気な亡母が脳梗塞で亡くなった時は、悲惨だった。血反吐を吐きながら、鼻血を出しながら、亡くなっていった。福島市にあった中規模の病院であった。

私も入院をしたことがある。そんなに何度もというわけではないが。ICUというところにも入ったことがある。個室で気を失ったこともある。つまり死にかけたということである。あっけないものだ。無意識の世界にいくってことは。気がついたら目の前にwifeと看護師がいたというだけ。気がつかなかったらあっちの世界に行っていた。血圧がすーっと下がって、意識を失うのである。お花畑を見たとか巷間よく云われるが、そんなものではなかった。あっというまに無の世界なのである。恐ろしいとか、嫌だとかもない。あっちの世界は、まったくこっちの世界と隣あっているとしか云いようがない。だから、そんなに死を怖れる必要はないのかもしれない。もっとも、本当に私が死んだときは、こうやってくだらないブログなんぞ書いていられないが。柔道でも何度も、絞め技で気を失ったことがあった。しかし、アレとは違っていた。病院では。原因が違うからであろうと密かに思っている。間違っているかもしれないから、密かに思っているだけだ。

*

病院の看護師には感謝している。大乗仏教と小乗仏教の違いくらいの役割を背負っているのが看護師である。つまり他のために献身的に面倒をみてくださっているのが看護師である。この他のために生きるという姿が大乗仏教的なのだ。多くの病に苦しむ私のような庶民を救ってくださる観音なのだ。私のような、禿げ頭の汚いじじいの身体を拭いてくださったり、溲瓶の尿を捨てに行ってくださる。真夜中でも見回りに来てくださる。息をしているかしていないかと、配慮をいただいている。仕事だからやっているんだろう?って、そんなことを云ったら罰があたる。ありがたくて、ありがたくて涙が出る。しかも私の娘や息子よりも若い人がやっている場合も多々ある。感謝である。これほどの尊い仕事があるだろうか。まさに聖職である。申し訳なくて、申し訳なくてベッドの中で合掌したことも多々あったのである。

引き替えて、私はオノレのためしか考えていなかった。オノレの資格とか、なんとかとか、そもそも生涯学習ですら、オノレ個人のためだけでやっていたのだった。小乗である。まったくなんにもならない資格をとってそれがなにになるというのであろうか。しかも資格が取れなくて、四苦八苦している。能力もないからである。所詮、素人のにわか郷土史愛好家でしかない。基礎学力もない。今でもない。10代の大学受験時期に不勉強だったから、今でも勉強しているのだろう?という友人知人のご指摘は当たっている。反省している。マジに。

今日から視点を改めて、塾に行く。そうなのだ。復活なのだ。他のために働く。そういうことである。趣味であってもいいのだ。他のために働くということが、私の趣味ならば、結構なことではないか。

5:45である。

これから太陽が昇ってくる。昨日、映画「あなたへ」で見た太陽は、沈んでいった。しかし、これからの私は、太陽だけを見ていくつもりだ。たとえ空が曇っていても、その背後に太陽はある。沈んだ太陽も、明日には昇ってくれるのだ。そういうことである。そういうこと。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

 

 

 

 


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