「退歩的人生」であり「下り坂人生」である。十分それでマンゾクしている。なにをいまさら川端柳である。
昨日はお世話になった方のご子息の結婚式に出席させていただいた。新しい人生のスタートに立ち会うことができた。こういうのはいつも好ましいことである。新しい人生をスタートさせて希望に満ちたこれからの人生を送るということに、素直に感激させていただいてきた。
こういう社会的儀式を経て、それからが人生の勝負になる。人間集団において、儀式とかセレモニーというのは集団における非常に重要な要素になる。社会的な認知をしてもらうというわけである。だから儀式とかセレモニーというのがあるわけだ。でないと、集団の構成員がおのおのデタラメな離散集合をやっているだけでは集団が維持できない。
オノレの勝手な屁理屈でもって、集団を無視しているのが人間にも組織にも存在する。国家的規模でもってやっているのもある。
集団というモノを無視して、個々は生きることはできない。しみじみそう思う。
それに付け加えて、それぞれの個々の立場というものがあるんだろう。
だから前職を重要視するんだろう。しかし、ボキはそういう考え方からオサラバしてしまった。以前、なにをやっていたかなんていうことはまったく関係がない。
ジジイとなったボキには、どうでもいいような話である。
つまりこだわりがない。こだわってもどうにもならない。ジジイとしてどうやって生きているかというのが、今現在のボキの最重要課題である。しかもそれは「退歩的人生」であり「下り坂人生」である。十分それでマンゾクしている。なにをいまさら川端柳である。これからまだまだ出世して、ひと花もふた花も咲かせようとしていたら、草臥れる。もう結構である。退職してしまったのであるから。
奥の細道を辿りながら、トボトボと歩いていきたい。そして、ボキの死んだ後のことでも考えながら、あるいは道ばたの道祖神でもスマホで写しながら歩いていきたい。
焦ることはないのである。
焦ったとしても後は死ぬだけである。
なにを今更である。
バカバカしい。
*
ここんところ、右足の親指が痛くて、マンゾクに歩けなかった。先週の金曜日に東洋一の大病院に行ってきたが、さすがにドクターである。テーピングを教えていただいて、もうなんでもない。
今日は天気もよし。
午前中から歩いてこようっと。
Bye-bye!