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よろづ天道まかせで

外内符号するを

太宰春台は『聖学問答』でこう言っていたという。

「事と心と洞徹して一致なるを誠という。事をなしてその心なきは誠にあらず。心ありてその事をなさざるも誠にあらず。事は外なり、心は内なり、外内符号するを誠という。」

ちょっと前まで首相であった方は、「思い」という言葉を頻用されたが、それを聞くたびに体中がむずがゆくなった向きもいらっしゃったかもしれない。心は内なるものである。その思いを形にし、客観的な成果とし、外面的な事としなければ、誠意のある政治家とは言えないだろう。

この内外が一致し、表裏が一致することをもって、春台やその師、荻生徂徠は誠とした。政治家に誠を期待するなぞ、時代遅れ、利益誘導を謀ってくれればそれでよいといわれそうだが、誠という価値がいちばん要請されるのは政治家に違いない。いつの日かそういう政治家に登場していただきたいが、選ぶ国民が国民だけに、かなわぬ夢かもしれん。