2000/4/1 初

円周率3時代?

  『小学校新学習指導要領で円周率は3になる』 というまことしやかなデマがいまだに生きていることに驚いた。学校の完全週5日制実施に伴う教科内容の軽減化という指導要領の改訂方針に対する不信ゆえの誤解と思われるが、自分も含めて付和雷同でケチをつけたがるインテリゲンチャの弱みを見せつけられたようで、実に背筋が寒くなるような話である。実はこの点に関しては、12年前の現行指導要領(あるいはそれ以前から?)でも全く同じ扱いなのである。

  [2001/5補足:後日談であるが、流言発生1年、ついに某国立大学大学院(自然科学系)の入試問題にまで登場した。かかる社会問題・教育問題にも関心を持つべしという出題者の意図かもしれないが、「少数の計算能力の育成について...」とか。「少数」とは言い得て妙。また、東京大学2003年度の理系数学入試問題「円周率が 3.05 より大であることを証明せよ」が、短文の問題文の潔さとともに「円周率3」に対する痛烈な批判としてもてはやされた。問題そのものはさほど良問とも思えず、私は「さすがインテリゲンチャのトップ集団」という感想をもっただけだ。]

  かく言う私も、まさかと思いつつ自分の目で確かめるまでの数日間は鵜呑みにしてしまい、アメリカで似たような話を聞いたことを思い出して友人に電子メールの再転送を頼んだのであった。

  こちらは 「聖書に 『ソロモンの寺院の祭壇の洗盤(altar font)の周が30腕尺、差し渡しが10腕尺あった』 と明確に書かれているから円周率は3である。irrationalなるは数学者なり!」 という、数年前にアラバマ州であった州議会での論争だそうで、我々日本人にはちょっと理解しがたい話。

 (このmailには「宇宙技術者にとっては円周率=3.141592...も困るんだ」「北極点を中心にして北緯60度までロープをひっぱりグルッと円を描いてごらん。円周率はちょうど3になるよ」 的な混ぜっ返しも引用されていておもしろいのであるが、あとで聞いたところでは、この「聖書」云々の話は保守的な法律を次々に通すアラバマ州議会をあてこすった、エイプリルフールジョークだったらしい。またまた、だまされてしまった!)

  それよりも、現在の大学生でも 「円周率とは?」 と聞いたら 「サンテンイチヨンのことでしょ?」 という答しか返ってこないことの方が深刻だ。もう少し有効数字の多い計算が要求されているにもかかわらず 「3.14」 で実験レポートの計算をすませてしまう学生もいるのである。あとで習う 「定数π」 よりも最初に出会ったときの 「3.14丸暗記」 の方が、まさに三つ子の魂百まで生きているのだ。

  現に 「円周率3は困る」 という声の多くが 「あくまでも円周率は3.14だ」 と主張しているように聞こえるのは私だけであろうか。これでは 「1/3 は0.3 ではなく 0.33 だ」 と抵抗するに等しい。

  また、円周と直径の比が整数比で表すことができず、小数で書けば不規則に無限に続く半端な数という神秘性を備えた定数であることを印象づけることにこそ、探求心を培う教育的効果があると主張する人もいる。

  しかし、円に内接する正三角形や正方形でさえ、周長と(外接円の)直径の比は半端な数、しかも√2や√3で表される最も素朴に定義される無理数(代数的整数)であるにもかかわらず、それを紙を切って実験する工夫をしてみたとか、そのことを小学校の段階で印象づけるべしという主張は聞こえない。

  同じ無理数といっても円周率がこれらを 超 越 し た 神秘性を有する(正しくは 「有しない」 か?)ことを知るのは、大学に進学した人でもごく少数であろう。さらに円周率よりももっと 「神秘的な」 定義不能で超越数であるかどうかも分からない無理数が無数にあり、小学校の教育標準としてとりたてて円周率の 神秘性 を印象づけることは、全く無意味である。小学生の段階で感動してもらわなければならないことは、ほかにいくらでもあるはずだ。


  新学習指導要領 『算数5年』 では、小数の乗除算に関して 「1/10の位までの小数の計算を取り扱うものとする」 とした点が新しい。

  次いで 「円周率としては3.14を用いるが、目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する」 とある。ただし、この点に関する限りは現行の指導要領(1989年)も全く同じであり、これでもって 「円周率は3になる」 というなら、すでに12年(あるいはもっと?)前から 『円周率3時代』 に入っていたということである。

  「3を用いて処理」 が従来どおり 「およその見積もり」 をする目的を指すことは 『要領』 全体の文脈から明らかであり、それはそれで積極的な意味をもつ配慮である。

  ただ、新要領では 「3.14を用いる」 の 「用いる」 が前出の 「小数計算1/10位」 との関連で意味不明となったことは確かだ。

  「1/10位までしか扱えないのだからやはり 『円周率3』 は誤報でない」 と弁解する声もあるが、これはわけがわからない。

  あるいは 「円の周や面積の計算に限って3.1ではなく3.14を用いて計算させてよい」 と法律解釈のごとく読む人もいるが、これはサンテンイチヨン固執派であろう。計算の上では「3.1」と「3.14」に大差はない。

  そこまでこだわるのなら、実際の小数計算能力とは別に円周率あるいは一般に小数の意味を理解させるためであれば、せめて 「3.14...」 と教えてほしいものである。無理数のことに立ち入らなくても 「サンテンイチヨンテンテンテン」 なら小学5年の頭に入るだろう。

  でなければ 「3.16、3.14、3.2...と諸説あるうち、『3.14説』を採用するのだ」 とでも読みたくなる。 これは江戸時代の和算家の間であった話。

(お断り) このページを見たある評論家と思われる方から、「旧指導要領で 『円周率としては3.14を用いるが、目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する 必要がある。』 となっていたのが、『 (ここまで同文)配慮する ものとする。』 と強制に変わった点が本質的な違いである。大学の先生がそういう甘い読み方では困る。」 という趣旨の忠告を受けた。

 この方の言うようにもし後者に強制の意味が含まれているとしたら、電卓を導入すると同時に概算の処理能力を強制するという意味で、「ゆとり」 どころか、指導内容は より厳しく なったと言えよう。概算の必要性とその仕方については、大学生でもなかなか正しく理解してくれないのが実状である。ともかく新指導要領批判の流れの中に、このような流言が広く紛れ込んでしまったことは残念でならない。

 旧指導要領で 「目的に応じて3云々」 が取り入れられたのは、「3.14とする」 指導要領を逸脱して 「およそ3」 で円周の長さを概算させることもある教育現場の実状を踏まえ、目的によって3で計算することがあってもよいと、指導要領で追認しておくためだったという。まあ、そんなところだろう。指導要領に強制力を持たせていることから発生した齟齬の一つだったのだ。

 なお現在では指導要領は「最低基準」を示すもの (つまり、大いに逸脱してよろしい) という位置づけに変わったため、後半部の「目的に応じて3を用いて処理できるよう...」 は削除されたそうである。


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