「2」のラストでヒューバート・セルビーjrに献辞が出たところで、この「プッシャー」トリロジーはダンテの「神曲」(セルビーjrの「ブルックリン最終出口」は現代版地獄巡り)になぞらえているのではないかと思ったが、天国篇にあたる「3」では、それまでのように社会の底辺を這いずり回るような若者たちが主役ではなく、顔役としてそれなりに「成功」した男がメインの座に就く。
経済的には裕福だしドラッグそのもので身を滅ぼすわけではなく、家庭の幸福にも恵まれているが、だから万事OKとはいかず、被害者の側から加害者の側にまわりはしたが、広い意味での地獄巡りからは逃れられない。
ドラッグに手を出したからトラブルになるというより、ドラッグではない物をつかまされたから手を汚さざるをえなくなるのがアイロニーになっている。
最大の見どころである人間の死骸を解体処理する長いシークェンスでは、まったく豚の解体同様に天井から吊るして頚動脈を切って放血させた血をタライで受け、腹を断ち割って臓物を抜き、ディスポーサで粉々にして流し、といった淡々とした手順を積み重ねて描いて、「悪魔のいけにえ」のレザーフェイスもふだんはあんな調子で食肉処理をしていたのではないかと思わせ、地獄の裏側を描ききった感がある。
ドラッグから足を抜ければ、あるいは経済的な問題が解決すれば解決するといった社会派レベルの話を通り越して、そこでは済まない人間界の業のようなものに触れている。