座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

「そこで主は仰せられた。

2014年09月29日 15時53分34秒 | 聖書

「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。
彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない」(イザヤ29:13)

多くの民が神殿へ行き、献げものを献げていた。
沢山の人々が宮もうでをしていた。
今で言えば、人々は皆、教会へ来ていた。しかし、形だけであった。
形だけで神をあがめ、すべてを儀式的に執り行っていた。
形は整っているが、イザヤの時代の民達も、今の時代の形式的な人々も、決して神の言葉を受け入れてはいなかった。
口では受け入れていると言うが、心ではそうでは無かった。
彼らはやみの中で事を行ない、そして言う。
『だれが、私たちを見ていよう。
だれが、私たちを知っていよう』と」民は神が見ていない、知らないとの前提に立ち、生活していた。
その心は神から遠く離れ、御言葉は聞きたくない。
神に従うより、自分の思い通りに、好きなように、自分を神として生きて行きたい。
干渉されたくない。教会に来て礼拝しているが、私達も心の底はそのようだろうか。
しかし、神は外側でなく心を見られる。
その頃、神の言葉が封じられた書物のようになった。
なぜか。民が御言葉に聞かないため、神が彼らの心を閉じられたと。
私達の態度はどうだろう。
へりくだってまず御言葉に聞こう。
神は語られ、生き生きとした愛の交わりに入る。
---------------------
礼拝が習慣となってはいないか。
神様によって、世から取り出され愛する神様に霊とまことをもって賛美と祈りをささげられることを感謝し、自分自身を献げていこう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日の聖人の記念日 | トップ | ◆私の愛している人を私は見つ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

聖書」カテゴリの最新記事