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「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、

2016年04月29日 16時41分13秒 | 聖書

自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって…」(Ⅱテモテ4:3)

ある人が聖書セミナーに出席した。
数日間、御言葉の学びが続けられた。
すると、その中で講師は毎回、罪について語った。
罪がいかなるものか、悔い改めの必要性、罪から離れなければならない事、又、自分を否み、自分に死ぬこと。
毎回、自分の罪が刺され、罪深さが見せられた。
気が重くて、聞くのが嫌でたまらず聞きたくなかった。
しかし出席者たちは真摯に受け止め、感謝し喜んでいた。
グループ別の交わりで、自らの罪が示され、悔い改め喜びに溢れて感謝している人々と接っした時、目が開かれ気づかされた。
自分は、神に愛されている事、自分が高価で尊い事、自分の人生には価値があり自分は有用であり…そんな事が聞きたいだけなのだと。
自分中心の信仰に気づかされた。
自分に都合の良い、心地良い言葉だけが聞きたい、ただ愛されている事だけを聞いていたい、幼子の信仰なのだと。
自分で聞きたい言葉を決めているわけで、それなら、それ以外の言葉は決して入って来ない事になる。
まさに「真理から耳をそむけ、空想話にそれて行く」ことになると気づかされた。
大きな気づきを与えられ、悔い改め、新たにされた。
私たちも聞きたい言葉を決めていないか、心地良い言葉だけを求めていないか。
主が、私に語られる言葉を受けて行こう。
本当の喜びを味わう。
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自分で聞きたい御言葉を決めていないか。心を探ってみよう。
それなら他の御言葉は入らない。
真理から離れ、空想話になる。
自分の思いを捨て、今一度、真摯に御声に耳を傾けよう。

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