父はこうして母を介護し、そして亡くなった。

15年にわたり母を介護した、そして亡くなった父。
彼の残した日記を読んでみることにしようと思う。

1992年12月26日 初めての外泊に向けて。

2014-05-17 01:26:11 | 日記
●倒れて以来の外泊が、すぐそこに迫っている。「家に帰る」ということがこれほど大変だとは思わなかった。

[1992年12月26日(土)]
・仕事。病院へは行けず。

・留守中、息子がベッド持ってきてくれた。

[1992年12月27日(日)]
・病院、午前中に着く。リハビリも他の訓練も来年1/5まで休みとなる。昨日1階の売店まで自分で紙オムツ買いに行ってきたという。

・外泊まであと二日。どんな思いで自宅で休みたいか考えれば、口に出して言わないだけに、言葉に詰まる思いだ。

[1992年12月28日(月)]
・明日、外泊迎えのため、会社17時であがる。私事で会社の皆さんに本当に迷惑かけっぱなしで申し訳なく。助かります。

・帰宅後、ベッドの柵づくり。

[1992年12月29日(火)]
・本日より外泊。息子も来て迎えに出発。病院着9:30。ナースセンターの皆さんに挨拶し10:30頃病院発。12:00、家に着く。

・思えば3/27朝、M医科大学病院に行って以来約10か月。途中家に帰りたいと思ったこともあったろうに、今までよくこらえた。短い時間だがゆっくり休むといい。

・同じ病室で残るのはWさんだけ。事情あってのことだとは思うが、何か気の毒で申し訳ない気がする。

・帰宅後、一番気がかりだった4階までの階段、息子が背負って上がりきる。次回帰宅の時は1階。階段の心配はなくなる予定だ。

[1992年12月30日(水)]
・7:00起床。7:40朝食。うまそうに食べる。病院借用の車椅子と食事のときは取り付けテーブル使用。午前中K先生見える。しばし話して帰る。餅をいただく。恐縮。

・午後、Aさん、Fさん、Y先生来てにぎやかに話す。笑い見える。皆さんから果物いただく。

・長兄のところからまた荷物届く。こんにゃく、銀杏、みそ、みそ漬け等々。いつも申し訳ない。夜、御礼の電話。

・隣のSさんより京都土産いただく。感謝。

・夕方、民生委員の方見えて慰問金(2,500円)くださる。(川崎市社会福祉協議会より)

・夜、息子来る。引っ越し他打合せする。2月14日ころどうかということで進めて行くことにする。

・昨夜はトイレのため2回起こす。他に変わったことなし。入浴は、浴槽には入らずシャワーのみにする。移動と言葉以外は何とかわれわれの力で運びそうだ。やるだけやってみるだけだ。

・22時就寝。



●書いていて思ったが父の物言いは決定的に上から目線だ。「ゆっくり休むといい」って、王様かい。

●一番の問題は、本人がそのことをほぼ自覚していないということであった。最後まで治らなかったなあ。


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