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新古今和歌集私撰:百人の歌人コミュの藤原家衡(いえひら)

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1620 厭ひてもなほ厭はしき世なりけり
       吉野の奥の秋の夕暮れ 家衡


「世を嫌って吉野の地に来て見たが、
(ここも人の世であることに変わりなく)
一層、世がうとましくなることだ。
吉野の奥深く山あいの地に秋の夕日が
沈んでいく。」という歌でしょう。

「厭ひてもなほ厭はしき世なりけり」と
いうストレートな詠みかたは新古今には
珍しく、どきりとします。
仏教的な無常観は当時の一般常識の
ようなもので世を厭いなげく歌は
珍しくはないのですが、この歌には
作者の本音が深く感じられます。
 作者と「吉野の奥」の結びつきが
歌からはよくわかりません。
小学館本は「世をきらって」吉野の奥に
「隠れ住んで」もと訳しています。
根拠はありませんが、隠者となって
住んだというより、なにかひどくつらい
ことがあり、一時的に吉野の奥にやって
きたという印象があり、そのように
訳してみました。
「吉野の奥の秋の夕暮」に遠くから見る
ような気持ちの上での距離感を感じる
からです。

 家衡(いえひら)は新古今には2首しか
見えません。


92 吉野山花やさかりににほふらん
       故郷去らぬ峰の白雲


「吉野山は今頃は桜がにおうばかりに
盛りだろうか。
遠くの吉野の峰あたりに白雲が(まるで
むかしの都をなつかしむように)いつまでも
とどまり、山を彩る桜のように見えることだ」
という歌でしょう。
良い歌です。
「故郷去らぬ」に何か格別の思いが
込められているのかもしれません。
「故郷」は脚注では吉野にむかし離宮が
あったものとしている。個人的な故郷では
ないことは確かでしょうが、ニュアンス
としては山里という捉え方でも
よい気がします。

 藤原家衡は有家の甥らしい。
吉野を詠んだ歌が2首収められたのは
偶然なのか、本人が歌のように吉野に
なんらかの形で関係があったのかは
わかりません。
新潮社本には「治承三年(1179年)生まれ。
嘉禄元年(1225)出家、没年不詳」と
あります。出家後に吉野に住んだとも
考えられますが、新古今成立は1205年ですから、
この歌が作られた時点では出家していな
かったことになります。
歌の力量からはもっと多く採られても
よい歌人に思えます。
「厭ひてもなほ厭はしき世なりけり」という
重い詠み方に、なにか格別の事情が
あったのかという想像も誘いますが、
それ以上はわかりません。

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