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2012-08-28

浅草でサンバ!!

ももたんの夏はダンスづくめ
 今回は毎年8月に行われる浅草のサンバ祭りのお話だよ

nullサンバはブラジルのダンスなのに
何で浅草?

 浅草は
 新しモノ好きが多くて
 昔から大衆娯楽が流行った土地柄

それでサンバが始まったらしい


ブラジルの国旗を持っている人もいた 


     日本最初の映画館が出来たのも浅草らしいけど
     今年の秋には
     浅草の映画館は全て営業を止めてしまうんだって
     昭和が、終わるのを、感じてしまうね・・・

ちなみにももたんは浅草っ子の血を引くんだけど
新しモノよりも古いモノの方が好き
  突然変異か、それとも橋の下の子なのかなぁ・・・

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

浅草のサンバは今年で31回目
残暑厳しいというか、まだまだ夏そのものの日にサンバを見てきた ^-^


孔雀の羽みたいな飾りを頭に付けて
おへそやお尻を
プリンプリンに見せちゃうサンバの衣装
  




 サンバダンサー



さすがセクシーなブラジル女性 って思ったら
日本人女性も
セクシーな男性もいました






 男性のダンサー

null













演奏者の笑顔も良い   
  イケメンだからそう言ってるんじゃないよ ^0^  


ダンスだから
音楽に合わせて踊る
  
音楽を奏でる楽隊や
大道芸のような格好の人もいて
大勢の人が
サンバ祭りを演出していた


オソロイの服の演奏者たち

    当然、沿道は黒山の人だかり ^-^
      前の人の頭しか見えない ^0^

最近のデジカメはこういう時に便利
ファインダーを覗き込まなくても腕を伸ばして高い位置から撮れるんだもん

nullでも考えることは誰しも同じ
 
結局
黒山と、
ニョキニョキ伸びた腕と、
他人様のケイタイ画面を
いっぱい撮影してきた ^0^




黒山の向こうにサンバダンサーが・・・


    まあまあの写真を紹介したけど
    本物の迫力を感じたい人は是非浅草まで行ってみてね
      今話題の東京スカイツリーも目の前だし
      もちろん、観音様もいらっしゃる
      大通りから離れて買い物に興じたり食べ歩きするのも楽しい街だよ
    
はい、紫芋のアイスクリーム食べてきました ^0^ ^0^

by ももたん
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2010-06-07

「モノブロッコ」ジャパンツアー最終日

昨日、「モノブロッコ」のライブを見に名古屋へ行ってきました。

モノブロッコ(Monobloco)は2000年に結成された
リオデジャネイロのパーカッショングループ。
リオのカーニバルでも人気のグループで、
カーニバル時期に毎年行うパレードには、
40万人ものファンが集まるという人気ぶりです。
今回、結成10周年にして初来日し、東京と名古屋でライブを行いました。

この日、6月6日はジャパンツアーの最終日。
会場のSamba Brazilは、 繁華街・栄の路地に面したビルの1階。
お客さんは日本人とブラジル人が半々くらいという印象。
ステージが始まるまでは皆ドリンクを片手に談笑していましたが、
モノブロッコが現れると、
次々と怒涛のように繰り出されるブラジルリズムに、フロアは一気に加熱。

ヒット曲「タジ・マハール」

ステージが進むにつれ、フロアにはサンバを踊るお客や、
知らない客同士10人くらいで「電車ごっこ」のように肩を組んで、
場内を左右に行きかう集団も次々出現。
盛り上がってくると、もう日本人とブラジル人の区別なんてなく、皆一緒。
もうここは名古屋ではなくてリオ!
音楽は途切れることなく、ノンストップの怒涛の150分でした。

個人的には、オールスタンディングのライブに行くのは4~5年振り。
朝起きると足腰が微妙に痛く、動きがぎこちない・・・

今もまだ「タジ・マハール」のリズムが頭の中で鳴り響いてます。
リオの雰囲気を満喫!の名古屋の夜でした。

2009-11-18

ももたん流 外国語の覚え方

外国語の勉強の話かぁ
なのに、写真もない記事でゴメンチャイ、
  でも頑張って読んでくれたら
  外国語の勉強が
  少しは楽しくできるようになると思うよ
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

「日本語は難しい」と外人さんは言うけど
生まれたときから日本語を話している日本人には
英語とかフランス語とかの方が、よっぽど難しいよね~

  言語学的な勉強をしたことないから
  ももたんの勝手な推測なんだけど
  日本語の挨拶って時間と動作が合わさっているみたいな気がする
    朝の挨拶「おはよう」は、漢字で書くと「お早う」でしょ
    これは「朝早くから元気に過ごしてるね」ってことじゃないかなぁ
    何が朝早くて何が元気なのかは
    例えば、「早くから起きて畑仕事に精を出しているね」とか・・・

  「おやすみ」は夜の別れの挨拶と、寝る前の挨拶だけど
  「もう寝なさい」って意味でも「お休み」って言うし ^-^
    面白いのはママが子どもに「お休み」って言うだけじゃなくて
    先に寝る子どもも、
    ママに「おやすみなさい」って挨拶すること
    ママはまだ寝ないのに

**************** **************** **************** ****************
Good Morning / Good Afternoon / Good Evening
それに比べて、英語の挨拶は日本語の形とぜんぜん違うよね~
「良い朝(昼/夜)だね」って言っているんだもん
  日本語と英語とでは
  文法だけじゃなくて、助詞(て・に・を・は)がどうのこうのだけじゃなくて、
  言葉そのものができていく仕組みが
  根本的に違うんだろう

そうやって考えると
日本語が難しいって言われるのも わかんないこともない

し・か・し
ももたんたち日本人にとっては、英語の方が難しいのだ ^-^
そんで
英語ができれば海外旅行が楽しくなるかというと
ももたんが好きなヨーロッパは英語圏とは言えない
  英語圏なのはイギリスとアイルランドとマルタだけ、かな?

ドイツに行くならドイツ語を、フランスに行くならフランス語を、
イタリアならイタリア語を覚えなくちゃ
・・・っていうことになる ^-^

「英語だってムリなのに、そんなのやってられん」って言う人に
とっておきの勉強方法を伝授しちゃうね

そうは言っても ももたんが伝授できるのは
ゲルマン語系とラテン語系だけ
  つまり西側ヨーロッパで話されている言葉だけのお話
  後の言葉はまだ研究が及んでいない ^-^

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★  
英語の朝の挨拶は「良い朝ですね」って言ったでしょ
  ヨーロッパの挨拶は、ほとんどこのシステム

例えばドイツ語だと
おはようはGuten Morgen(グーテン モルゲン)で、直訳すれば「良い朝」
こんにちわは、Guten Tag(グーテン ターク)で「良い日」って意味 ^0^

ほら、もうドイツ語の単語を5個も覚えられたよ
  挨拶の単語2つと、「良い」と「朝」と「日」をね

Tag が「日」って意味だとわかると
レストランの入り口に出ている看板の Tages Menuが
「今日の定食」ってことも理解できちゃうし
メニュー表の中の
Tages Suppeも 今日のスープ のことだって、わかっちゃったりする
  語尾変化があるから元の単語を考えてみたり
  知らない単語を
  「英語のスープと似てるよね」って考えてみたりする
  多少の想像力は必要だけどね ^0^

**************** **************** **************** ****************
「発音は? ねぇももたん、それをどうやって読めばいいの?」
発音なんて後回し、どーでもいいのだ

メニュー表を指さしゃ、間違いなくそれが運ばれてくる ^-^
  もし「Tages Menu 今日の定食」がメニュー表に載っていなかったら
  ウェイターのおにーさんをレストランの入り口まで連れて行って
  入り口においてある看板を指さして「これ」って言えば通じるよ
  この方法なら、日本語で言っても大丈夫 ^0^

第一ね、
もし流暢なドイツ語で注文をしたら
おにーさんもドイツ語でイロイロ言ってくるよ
  「ワインはどれにしますか」
  「どうぞ召し上がれ」
  「お味は、いかがですか」
  「飲み物のお代わりはどうですか」
  「コーヒーやデザートはどうしますか」

これね、ももたんが適当に並べて書いたんじゃなくて
レストランで食事をすれば
大抵これぐらいの言葉は話しかけられる
    
自分の言いたいことはナントカ言えても
相手の言うことを聞き取って、質問に答えるのは至難の業でしょ
  だから「ドイツ語で言わなくちゃ」って思う必要なし ^0^
  短い旅行ならこれで十分だよ
  ・・・短い旅行を何度もしていても
  指差し会話から成長できない ももたんだけど ^-^


朝の挨拶は全て「良い朝」かと思うと
Buon Giorno(ブォン ジョルノ/イタリア語)もBonjour(ボンジュール/フランス語)も
「良い日」って意味で
英語やドイツ語とはちょっと違うね
ドイツ語は昼の挨拶が「良い日」だったモンね
  英語では良い日 Good Dayという挨拶はしないけど
  オージー・イングリッシュ(オーストラリアで話す英語)だと
  Good Day が縮まって「グッダィ」って挨拶する

でも挨拶の言葉は同じ仕組み(良い + 時間帯)だよ
  ももたんの研究が及んでいないスラブ語(チェコ語とかポーランド語とか)も
  挨拶に関してはこの法則どおりみたいだね 

イタリア語とフランス語の挨拶が似ていたように
同じラテン語系の言葉だと、いろんな単語が似ていることも多い
  すると、
  あるイタリア語を覚えたら
  同じ意味のフランス語も覚えられたりする、とっても便利
  例えば
  「良い」はイタリア語でBuono で、フランス語だとBonって一緒に覚えちゃう
  ありゃ、フランス語で「セ・ボン」って言うけど
  もしかしたら、このボンも「良い」のことかなぁって思えるようになったら
  ももたん流の勉強方法をマスターできたよ ^0^

こんな風に知っている単語の数を増やしてみてね~

ヨーロッパの東にあるルーマニアは
その周辺がスラブ語系なのに、
ルーマニア語はイタリア語と同じラテン語系の言葉
ルーマニア語の「こんばんわ」は Buna Seara ブナ セアラっ言うんだって
      正確にはBuna の a の上に vマークがつく
  イタリア語の「こんばんわ」 Buona Sera ブォナ セーラとよく似てるよね
  もちろん、イタリア語もルーマニア語も「良い夜」って意味だよ

文法なんて知らなくて大丈夫
  少しでも知ってる単語があれば
  10日ぐらいの旅行は問題なく楽しめるよ


最後まで頑張って読んでくれた人は
 ルーマニア語まで覚えちゃったね!! 
by ももたん
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2009-10-03

リオデジャネイロ五輪決定!

2016年のオリンピックがリオデジャネイロに決まりました。
各国の最終プレゼンテーションをTVで見ましたが、
南米初開催を訴えるブラジル勢のスピーチが、
共感を呼ぶ力があったように思います。

東京の関係者の方々には残念でしたが、
サッカーWカップとオリンピック開催で、南米への注目はさらに高まることでしょう!
南米に関わる者として、素直に喜びたいと思います。

開催までの課題はたくさんあるのでしょうが、
ブラジル人持ち前の前向きな心とホスピタリティーで、
ぜひ成功させて欲しいものです!

歓喜に沸くリオの映像を見ていて、ちょうどブラジル旅行中で、
今まさにリオに滞在中のお客様がいらっしゃることを思い出しました。
大騒ぎのコパカバーナ海岸のすぐ横を通られたかもしれません。
お客様も私も、こうなるとは当然知らなかったので本当に偶然なのですが、
開催決定の歴史的な瞬間に居合わせるのはどんな感じなのでしょうか?
ぜひご帰国後にお伺いしてみたいものです。

リオ開催決定を伝えるブラジル地元TVの中継

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続きがあります

2009-06-29

美味しい♪ ブラジル料理教室

日曜日、地元の町の国際交流協会が開いた「ブラジル料理教室」で
日系ブラジル人のご家族に、ブラジル料理を教わった。

普段、料理をほとんどしない私なので、
正直、「料理教室」はなんだか敷居が高く、ちょっと気が重かった。
でも今日は、参加者の誰もほとんどブラジルの料理を知らないから、
ベテラン主婦さんも料理の素人の私もスタートラインは一緒で、 気が楽だ。

集まったおよそ30人が班別に分かれて調理開始。
講師の先生の方で下ごしらえは済ませていただいているのだが、
今日作る料理は計4品と、結構品数が多い。
野菜切って、肉に下味付けて、炒めて、茹でて、ほぐして、
そして肉焼いてなどなど・・・と、
ベテラン主婦さんも慣れない料理に勝手が分からず苦戦の様子。
約2時間の長丁場の末、同じテーブルの方と力をあわせて無事完成!

お楽しみの味見!
出来上がり 
やわらかく炊いたフェイジョ(豆)を、にんにく入りご飯と一緒にいただくと、
ブラジルのレストランの懐かしい味!
ワンプレートに盛るのがブラジル風だ。

赤い沢庵みたいに見えるのは、南米でよく料理の付け合せに出てくる赤い株。
(砂糖大根。ポルトガル語でベッテハーバ。スペイン語圏ではレモラチャ)。
個人的に大好きなこの野菜と、久々の嬉しい再会。

講師を務めてくださったのは旦那さんが日系3世のご家族。
アマゾン川上流、ボリビア国境に近いロンドニア州ポルトベーリョから来られて、
滋賀で暮らして3年とのこと。
とても控えめなご夫婦だった。
小さい子供は、むちゃくちゃ関西弁しゃべってて元気だったが・・・

地元にいながらにしてブラジルの味を楽しめた、楽しいひと時。
これを機に、もうちょっと料理しないとな・・・

(6月28日 滋賀県高島市・安曇川ふれあいセンター)

地元タウン情報サイトの記事になってました。(この写真が私です・・・)

≪♪ 今日のレシピ ♪≫

ビーフィ アセポラード(牛肉料理) 

■材料■
牛肉の薄切り(約4~5ミリの厚さ)・・・4~5枚(人数分)
にんにくのすりつぷしたものを塩で混ぜたもの・・・お好みの量
玉ねぎ・・・約1個
ピーマン・・お好みの量
酢またはレモン
サラダ油

■作り方■
1.牛肉薄切り(4~5ミリの厚さ)ににんにくと塩で揉んで、味をしみ込ませる。
2.フライパンに油を敷いて牛肉を焼く。
3.両面焼けたらお皿に出し、同じフライパンで玉ねぎ.ピーマンを炒める。
4.お好みで塩を振り入れ、酢またはレモンを加えて炒める.
5.玉ねぎ・ピーマンが妙まったら出来上がり。

フェイジョン コン ベーコン (豆とベーコン) 

■材料■
Feijao (豆)
べーコン
玉ねぎみじん切
にんにく みじん切

こしょう
サラダ油

■作り方■
1.前日お水につけて量いた豆をそのお水で柔らかくなるまで煮る。
2.フライパンにサラダ油でべーコンをちょっと焼き、玉ねぎとにんにく入れ炒める。
3.塩とこしょう入れ、弱火でとろみがついたら出来上がり。

コーヴィ コン ベッテハーバ (サラダ)

■材料■
コーべ(ブラジルの葉)
ベッテハーバ(砂糖大根)
トマト
玉ねぎ
レモン

■作り方■
1.ベッテハーバを圧力鋼で煮る。
2.材料を切って、混ぜる。

マカホナーダ(鶏むね肉を使ったスバゲティ)

■材料■
パスタ
鶏むね肉
たまねぎ
トマトピューレ
ニンニク
ブラジルの塩
サラダ油

■作り方■
1.パスタを半分に折って、ゆでる。
2.鶏むね肉をゆでて、フォークを使って細かく引き裂く。
3.にんにく、玉ねぎをフードカッターで、細かく切る。
4.3を油で炒めて、トマトピューレを入れて、混ぜる。
5.ゆでたパスタの上に、4のソースをかけて、できあがり。

ブラジルの食材は、日本ではブラジル人の方が多い地域のスーパー等や、ブラジル食材専門店の通販でも入手可能。
お試しください♪

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続きがあります

2009-05-17

名古屋でブラジル三昧!エキスポ・ビジネス2009 (2)

名古屋のポートメッセで開かれた
ブラジル関連ビジネスの見本市「エキスポ・ビジネス」。
この日のメインの講演は、
日本での美容師としての成功を捨ててブラジルに渡り、
ブラジル第二の美容室チェーン
SOHO Hair Internacional(蒼鳳) を一代で作り上げた、飯島秀昭さん

SOHOはサンパウロでは知らない人がいないほどの大手チェーン。
飯島さんは店舗運営やブラジル人スタッフの教育に
例えば時間厳守といった日本式のやり方を取り入れ、成功を収めたそうだ。
ブラジルに渡ったきっかけから、仕事や事業に対しての考え方、
そして苦境に立たされている在日ブラジル人への励ましのメッセージまで、
ユーモアとジェスチャーたっぷりに、熱く語ってくれた。

ポルトガル語での講演を同時通訳を通して聞いたので、
みんながドッと反応するところで同じタイミングで反応できないのが悔しい、
それくらい大いに盛り上がっていた。
講演後は、大勢のブラジル人のお客さんがサインと写真撮影に長蛇の列。

同行の永石さんが飯島さんと前からの知り合いである関係で、
夜に市内のヒルトンホテルで開かれる関係者のレセプションに
特別に入れてもらえることになった。
来日中のサンパウロ市長(先日麻生首相と会談していた)も出席とのことで、
そんなところに一般人が入れてもらえるなんて、普通ではありえない。
レセプション

会場は名古屋ヒルトン2階の「SEASONS」。
照明を落としムーディな雰囲気の中、ポルトガル語でにこやかに談笑する
スーツ姿の各界有力者と思しき方々。
こちらは普段着なので、本当にいいの!?と思いながらも入る。
お茶をすすりながら周囲を観察しつつ待つ。

やがてレセプションの主役、ジルベルト・カサビ サンパウロ市長が到着。
その場の全員一人一人と握手しながら
「ボア・ノイチ」(こんばんは)と挨拶して周る市長。
市長の物腰は自然でさわやか。
私達のところにも来て握手してくれたのに感激!

ブラジルでサンパウロ市長といえば、
大統領の椅子も近いと言われる有力ポストだそうだが、
そんな大物をしてこのフランクさは、やっぱりお国柄かも。
サンパウロ市長 
挨拶するジルベルト サンパウロ市長。

やがて「サウーヂ!」で一同乾杯。
飯島さんは講演では話しきれなかった
熱い思いの続きをたくさん聞かせてくれた。
日本やブラジルの現状を嘆き、
社長業を引退した今は日本とブラジルの架け橋になるべく、
社会的な活動に力を入れたいと話す飯島さん。
日伯の良いところをあわせ、ブラジルをもっとよくしていきたいとのこと。
今の倍の年齢まで生きるつもりだと笑い、
「今はまだ人生の折り返し点」と、豪快に語ってくれた。

もっとお話をお聞きしたかったが、滋賀まで帰らなければならない私達は、
後ろ髪をひかれる思いで早々に会場を後にした。

広い国土に大きな可能性があり、
親日的で心あたたかい人たちが暮らしているブラジル
遠くても近いこの国の魅力を、もっとたくさんの人に知って欲しい。

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2009-05-17

名古屋でブラジル三昧!エキスポ・ビジネス2009 (1)

パン屋さんのブース
人気のブースは浜松から来ていたパン屋さん。ブラジルで食べた味がした!


5月16日、中南米ビジネスを支援している
公認会計士の永石さん夫妻に誘っていただき、
名古屋のポートメッセで開かれたエキスポ・ ビジネスに行ってきた。

エキスポ・ビジネスは、
在日ブラジルコミュニティと企業とのビジネス促進を目的として、
2003年から毎年行われている見本市。
日本に住む日系ブラジル人は中部地方を中心に約30万人と言われ、
食品・日用品・金融・IT・通信・運送・航空など、
彼らをターゲットとしたビジネスを展開する様々な企業がブースを構えPRしていた。    本のブース 
ポルトガル語の本の販売。

GAROTOのチョコレート
有名なGAROTOのチョコレート。

展示販売の他にも、料理やメイクの実演から、
ブラジル経済の現状に関する講演などもあり、
ブラジルに興味がある人から、ビジネス目的の方まで楽しめそう。

来場者の大半はブラジルの人たちのようで、日本人は少数派。
響きが心地よく、でも意味が分からないポルトガル語が、
ごく普通に飛び交っていた。
とはいえ、ある程度の日本語も分かる人が多いし、
ブラジルの人たちはみんな感じが良くて親切だから心配はいらない。
会場の様子 

この後、特別ゲストの登場と、さらに意外な大物との遭遇が・・・  (その2に続く)

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2009-02-23

カーニバルがやってきた

どうも日本で言うカーニバルは
お祭りとか、山車の出るイベントと同意語化されている気がするんだけど
カーニバルは carne vale というラテン語が語源らしい(一説によると)
これは「肉よ、さらば」という意味なんだよ
  謝肉祭って日本語でもいうよね

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆★
40日間の断食に入る前に
盛大に食べたり はしゃいだりしよう というのが
ヨーロッパでのカーニバル
  40日間の断食はキリストの受難を分かち合うために
  自分も断食という受難を受けるということだから
  カーニバルはキリスト教の行事だよ

ある地域ではカーニバルにパンケーキを食べる習慣があるんだけど
断食中は食べてはいけない卵を残さないようにってコトだったらしい
  旅行前に冷蔵庫の中身を空っぽにするのと同じだね   

で、その40日の断食が終わるとイースター(復活祭)
イースターの日が毎年変わるから
   2008 3 23 春の到来 移動祝日のお話
当然カーニバルの日も毎年変わる

どれぐらいの期間かはその町によって違うみたいだけど
終了日は断食が始まる「灰の水曜日」の前日と決まっていて
今年は2月24日 明日だー
  だから日本で夏や秋に行うカーニバルって言うのは・・・ ^-^
  ただ、農耕祭で船を仮装した山車 carrus navalis を語源とする説もあるんだって
  これだったら日本の「カーニバル」も半分は正しい?

**************** **************** **************** **************** ****************
ももたんは本物のカーニバルを見に行ったことはない
  だって、この時期のヨーロッパはまだ寒いんだもん ^-^

ベニスやニースのカーニバルはツアーも一杯あるから
きっと今頃、たくさんの日本人が
イタリアやフランスに行ってるんだろうねー
  もちろん「お祭り」目当てだろうけど
  中にはパンケーキを食べたい人もいるのかな ^0^

それ以外の国でもカーニバルはあるよ
スイス、オランダ、イギリスとか。
ヨーロッパ以外ではリオのカーニバル(ブラジル)のが有名だよね

ドイツにはドイツ3大カーニバルって言うのがあるんだよ
  ちなみにその3つは
  ケルン、デュッセルドルフ、マインツのカーニバルだけど
  異論を唱える人もいるかもしれないので
  そこんとこ、よろしくー
by ももたん

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2008-12-11

アマゾンでロッジに滞在

ボートでリバーサイドロッジへ

2007年2月、ブラジルのマナウスからアマゾンリバーサイドロッジを訪れた。
アマゾンの中心都市、マナウス。
その近郊のセアザ港からアマゾン河をおよそ1時間、
モーターボートで遡ったところにアマゾンリバーサイドロッジはある。

案内してくださったのは、マナウス在住のベテランガイドの東さん。
日本生まれでアマゾンへ移住され、当初は農業をされていたそうで、
アマゾンの自然に大変詳しく、ご自身の体験談を交えながらガイドしてくださった。

まずはロッジへ向かう船上から、アマゾン河とネグロ河の合流点を見学。
黒い水がネグロ河で、赤茶色のがアマゾン河。
2色の水は全く混じりあわずに、はるか下流まで流れていき、
その様子は衛星写真からでも確認できるという。
合流点
乾季と雨季では河の水量が違い、川幅や水位も大きく変わるそうで、
6月頃に水が増え、11月頃には減水する。
そういえばマナウス港の桟橋も、
水位が変動してもよいように水に浮く構造になっていた。

途中、東さんがボートをとめて集落に立ち寄ってくれた。
集落には学校があったが、この日はお休みで無人。
大きな板根を持つ木がそびえ立っていた。
板根 板根2
自分(身長約180cm)を入れて撮ってみた。大きさがお分かりだろうか。

ボートで再びアマゾンを走り、いよいよリバーサイドロッジへ到着。 
ロッジの廊下

このロッジは、 マナウス周辺では唯一、アマゾン河の本流に面しているロッジだそうだ。
目の前には大きなアマゾン本流が流れているので、
ジャングルの奥地に分け入ったという雰囲気ではないが、
支流沿いにあるロッジとは違い、雄大なアマゾン河を存分に満喫できる。

ウェルカムドリンクをいただき、お部屋へ。
アマゾンリバーサイドロッジ室内 
全15室で、温水シャワー、水洗トイレ、電気、タオル、石鹸、シャンプーなど
清潔で設備が整った客室。
エアコンはなかったが(ファン有)、風が適度にあり、暑くて困ることはなかった。
マナウス市内で泊まっていた安ホテルの何十倍も快適で、
アマゾンにいるのを、つい忘れそうになる。
日本人スタッフが常駐していて、いろいろと話が聞けるのも楽しい。

レストラン 
レストランの目の前はアマゾン河。

川辺にあるロッジ専用の船着場にはハンモックが吊るされ、
暇なときには川風に吹かれてのんびりすることもできる。
私達はベレンからマナウスまでの船で、
通算7日間ひたすらハンモックの上で過ごしてきたので、
さすがにそれは遠慮させていただいたが・・・

ロッジを上から見る
ロッジの近隣は開発の手が及んでいない土地で、背後はジャングル。
これから、このロッジを拠点に、
アマゾンの自然や暮らしを知るプログラムを体験する。

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2008-11-06

アマゾニア展 生命(いのち)の森、アマゾンの危機と未来。

アマゾン リバーサイドロッジの眺め

東京で「アマゾニア展 生命(いのち)の森、アマゾンの危機と未来。」が開かれる。

世界最大の熱帯雨林、アマゾン。
昨年この地を訪れた際、どこまでも続く大きな河とジャングルに圧倒された。
しかし現地を良く知る日本人のガイドさんが、
最近のアマゾンの気候がおかしくなっていると話していたのが印象に残った。

この展覧会を機に、豊かな自然と文化を持ち、私達の地球の財産でもあるアマゾンについて考えてみませんか。

■アマゾニア展 生命(いのち)の森、アマゾンの危機と未来。

開催期間:
2008年11月8日(土)~2009年1月12日(月・祝)
午前10時~午後5時(入館は閉館時間の30分前まで)

休館日:
毎週火曜日、12月28日~1月1日
※12月23日(火)、2009年1月6日(火)は開館

開催場所:
日本科学未来館 1階 企画展示ゾーンb

入場料:
大人1,200円、18歳以下600円
団体(8名以上):大人1,000円、18歳以下460円
友の会:大人700円、18歳以下400円
※常設展示見学可
※小学校未就学児は無料

アマゾニア展はアマゾン流域に根付く多様な文化、そして限りない可能性を一堂に集めたマルチ・カルチャーの展覧会です。
森の外側からではなく、内側から見たアマゾンの貴重な展示によって、森からのメッセージを感じることができるでしょう。
8つのゾーン構成で、森の内側から見たアマゾンの実像を紹介します。

■ アマゾニア・スペース
  ブラジル・アマゾンのジャングルを体感

■ 科学とアマゾン
世界最大級の植物の葉や昆虫など、国立アマゾン研究所が所蔵する貴重なコレクションの数々

■ 気候変動
衛星写真で見る地球の気候変動の驚くべき現状とアマゾンの機能

■ 森林伐採と消費
伐採や火災による森林の消失と地球規模での消費の実態

■ 森の精霊たち
森の精霊たちからの心を揺り動かすメッセージ

■ アマゾンの明るい未来
アマゾンを未来につなぐために

■ アマゾンの地域社会
アマゾンに暮らす人々の生活

■ 森の中の経済
森の中の工芸品やアートの数々

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2008-09-11

歌うブラジル(元)文化大臣♪ジルベルト・ジル来日公演

ジル最新作・色とりどりの傑作!待ちに待った!いよいよ楽しい夜がやってきた!
ブラジルの偉大なる音楽家、ジルベルト・ジルの来日公演!
大阪厚生年金会館は、そんな嬉しい気持ちでいっぱいの観客達でにぎわっていた。
来日公演は10年ぶりで、大阪公演はなんと18年ぶり!だそう。

まずは、日本きってのブラジル音楽愛好家、宮沢和史がプレゼンターとして登場。
「ここにいる方々に、僕から彼のことを紹介するのは野暮かもしれませんが・・・」
とはじまりジルベルト・ジルについて、愛情を込めて的確な言葉で語り、
そしてついに神々しい彼がゆっくりと現れ、会場は喜びに包まれた。

自由奔放で、温かくて楽しくて、幸せな音楽を体現し続けるジルベルト・ジル。
体が音楽でできている人、ジルの音楽は無限大。

ついこないだの7月まで、約5年間ブラジル文化大臣を務めた。
やはり政治活動と音楽活動との両立は、とても難しく、
「ようやくルーラ大統領が自由の身にしてくれた」そう。
彼が音楽に専念できるようになって、私達みんな嬉しい!

途中で1曲、宮沢和史が三線を持って再登場し共演した。
ザ・ブームの、いまや世界に広がったあの名曲を。
半世紀にも渡るブラジルのスパースター、ジルと!
「日本ブラジル交流年」にふさわしく、なんとも感慨深い。

ブラジルのミュージシャンは、還暦を過ぎても、常に最盛期。
それどころか、どんどん魅力が深まっていくばかり。
これからもずっと、わくわくする音楽を世界に届けて下さい、ジル!



今回のツアー、カメラ・ビデオ、持ち込み・撮影自由でびっくり。知っていたら・・・。
みんな、撮りまくってました。なので、たくさんウェブ上にアップされています。
もちろん、生ライブには到底かないませんが!

大阪公演を皮切りに、東京、名古屋などに登場!
9.11(木)東京国際フォーラム
9.14(日)名古屋市・久屋広場「愛知ブラジル交流フェスタ」入場無料
9.15(月・祝)横浜赤レンガパーク
   「10,000 SAMBA~日伯移民100周年記念音楽フェスタ」入場無料

美しい弾き語りアルバム「声とギター」初期の傑作!「セレブロ・エレトローニコ」長いキャリアを綴ったベスト盤 

ブラジルのお気に入り音楽♪

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2008-08-16

ハンモック

ハンモック



滋賀県の北部・高島市の我が家。
大阪の友人からは「涼しい?」と聞かれるが、やっぱりこちらも毎日暑い。
とはいえ、周りが田んぼなので風が抜け、
エアコンなしでも何とか過ごせているのは、この環境のおかげだ。


思い立って、ブラジルで買ったハンモックを庭に吊るしてみた。
ハンモックはアマゾン河の船旅の必需品。
昨年、河口のベレンから中流のマナウスまで船旅をしたときに、
ベレンのハンモック屋さんで買い求めたものだ。
ちなみにハンモックはポルトガル語ではRede(ヘーヂ)と言う。


ヘーヂはピンからキリまであるが、
せっかくなら日本に帰ってから飾ったり、使えそうなものをということで、
選んだのは、作りがしっかりしてそうで装飾性も高いもの。
飾りのひらひらが綺麗で寝心地も悪くなく、船旅で大活躍してくれた。
しかし結構重く、船旅の後マナウスの郵便局から日本へ送り返したら、
購入代金より高い送料がかかってしまったという
間抜けな思い出付きの品だ。


庭に吊るしてみた感想は、「結構いい!」
日が陰る夕方、風に吹かれながら寝そべって読書したり、
そのまま居眠りなどすると最高だ。
しかもボサノバなどをかければ、まるで気分はブラジル!(やりすぎ)
しかし狭い庭なので大きな木がなく、ヘーヂが日陰になる時間が限られるのが難点。

とはいえ、暑くてどこに行く気力もない週末など、
自宅で優雅な気分が味わえるヘーヂはおすすめ!
そんなスペースがないという方は、適当な公園の木などに目を付け、
持ち込みで吊るされてみてはいかが?(怪しまれるかも・・・)



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2008-08-10

ペルー観光セミナー

8月8日、ザ・リッツ・カールトン大阪で開かれた、
ペルー政府観光局デルタ航空共催の旅行会社向けセミナーに参加した。


人気の世界遺産マチュピチュを抱えるペルー。
南部のクスコやナスカ、チチカカ湖は日本人旅行者も多いが、
セミナーでは、まだあまり知られていない北部を積極的にアピールしていた。

アマゾン河と言えばブラジルが思い浮かぶが、源流はペルー。
ペルー北部、上流のイキトスでは
ジャングルに滞在するツアーや河のクルーズなど、
いろいろな方法でアマゾン河を楽しめる。
運がよければピンク色のイルカも見ることができるという。
そしてペルー最高峰と美しい氷河湖で知られるワスカラン国立公園、
最後のインカ皇帝が捕らえられたことで有名な温泉があるカハマルカ、
また黄金のシパン遺跡があるチクラヨなどなど、北部にも魅力がいっぱい。
マチュピチュだけではない、この国のいろいろな顔を見ることができそうだ。

説明後はペルーのお酒ピスコと料理が振舞われ、
フォルクローレグループのミニステージまであり、
真夏の大阪にいながらにしてペルーの雰囲気となった。






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2008-02-03

レンソイス・マラニェンセス大砂丘

レンソイス・マラニェンセス大砂丘
2007年1月30日、ブラジル・マラニョン州の州都サンルイスのホテルを早朝に出発し、
車で約5時間かけてバヘリーニャスという小さな町にやってきた。
目指すは海岸に広がる大砂丘、レンソイス・マラニェンセスだ。

「レンソイス」とはポルトガル語で「シーツ」の意味。
その名の通り真っ白の砂丘の中に、
雨季には無数の湖が出現することで知られている。

面積はおよそ15.5万Haというから東京23区の約2.5倍。
砂丘中心部には車が入ることができず、
科学的研究はまだまだ進んでいないという。

観光用のトラック

旅行者はバヘリーニャスでトラックに乗り換えて砂丘を目指す。
荷台に備え付けられたイスに座り、荒地を疾走。
一見優雅そうだが、油断していると振り落とされそうな、ワイルドなドライブ!

そして車ごと船に積まれて川を渡る。
車も川を渡る
車で行けるのは途中まで。最後は歩いて砂丘に入る。
サンダルを脱いで砂山を登ってゆく。裸足の感触が気持ちよい。
砂丘を登る
登りきると、目に飛び込んでくる見渡す限り一面の砂の世界!
想像以上の景色の広がりに息を呑む。
大砂丘 
ひたすら続く砂丘。
一緒に歩くツアー仲間の姿が豆粒のようになり、
距離と方向の感覚が徐々に麻痺してくる。
この感動をカメラに収めようとあちこちへレンズを向けるが、
あまりに大きすぎて、うまく切り取ることができない。

砂の中を上り下りしながら歩くこと数十分、やっと湖が姿を現した。
正確に言えばもっと早くから見えていたのだが、見渡す限りの砂丘の中、
歩いても歩いてもなかなか近づかなかったのだ。
砂丘の中に現れた湖
雨季ではなかったので湖は小さかったが、
雨季にはもっとたくさんの湖が姿を現すそうだ。
砂漠のオアシス
周りは白い砂山に囲まれ、水は透き通っている。
砂漠のオアシスと言うのはこんな感じなのだろうか?
非現実的な景色の中、しばしの水浴びを楽しむ。

天気がよければこの後夕暮れに染まる砂丘が見れるのだが、
この日はあいにくの曇り。
暗くなる頃にバヘリーニャスへ戻る。
ツアーの帰り
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2007-11-14

「毎日がカーニバル!」ブラジルの古都・サルバドール



海沿いの街ヴィトリアから、夜行バスに揺られ20時間弱、
1月23日、ブラジル北東部の港町・サルバドールへ到着。

サルバドールといって思い浮かぶのは、映像ではなくまず「音」だ。
街の中心では、いつもどこかで打楽器のリズムが響いている。
リオデジャネイロのサンバやボサノバとはまた違った独特のグルーヴ。

通りを歩いていると、おもむろにパーカッションが鳴り、人が踊りはじめた。
上半身裸のドレッドヘアーの男の人や、裸足の女の人。
演奏とダンスはどんどん過熱していく。その迫力に、ただただ圧倒された。

ブラジル南部から来て、まず目に入ってくるのは、黒人が多いことだ。
300年前頃のポルトガル支配下で、サトウキビを栽培する為に、
アフリカから奴隷としてたくさんの人達が連れてこられたからだ。
その後、彼らがこの地で音楽をはじめ独自の文化を発展させてきた。
色々なものが融合された奥深い文化が、多くの人々を魅了し続けている。



教会や歴史ある建物が並ぶ旧市街は、世界遺産に登録されており、
国内外から絶えず、たくさんの観光客が訪れている。
そして海岸地区にはリゾートホテルが立ち並び、こちらもまた賑やか。
長い砂浜の向こうはもう、どこまでも続いていそうな大西洋だ。


旧市街からメルカド・モデロ(土産物市場)方面を望む。


滞在した部屋からの眺め。夜は前のレゲエバーがうるさかった・・・。


今度は、地響きのような太鼓の音と共に、パレードがやって来た!
まずは踊る子供達の集団。


次は太鼓を叩く華やかな女の子達。


そして大迫力の男性陣。アグレッシブ!

どうも、世界的に有名なパーカッション・グループ「オロドゥン」
の音楽学校のパレードのようだ。

何パターンものリズムを奏でる太鼓の大音量が、街に響き渡る。
これがサルバドールの日常?! 

わざわざライブ会場に音楽を聴きに行かなくても、
街に居るだけで「音楽」をカラダで感じることができる場所!

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2007-10-19

「南北アメリカふたり旅」永石ご夫妻とお会いしました

永石夫妻と「カフェラック」にて
琵琶湖のほとり cafe Lacにて

2003年から南北アメリカを旅し、今年帰国した永石夫妻が、
先日、我が家に遊びに来てくれました。
アラスカから旅を始め、北米から中米へと南下した後、
南米パラグアイで車を購入。
そしてパラグアイを拠点に車で南米各国を周遊されました。

ご夫妻と知り合ったのは今年1月、ブラジル・ヴィトリアにて。
2004年、南米自転車旅行のときにお世話になった、
歯科医の高崎さんのお宅に、
今年のブラジルの旅でも立ち寄らせていただいたとき、
ヴィトリア滞在中のご夫妻を紹介してもらいました。

永石夫妻の旅は観光地を巡る旅ではなく、人と会う旅です。
夫の修一さんは、旅行前は鉄鋼メーカーのエンジニアから公認会計士、
さらにベンチャーキャピタリストへと転身し活躍していました。
もともと人と会うことを仕事としていた永石さんは、
旅の間も日系の方や現地の人などと積極的に会い、
感じたことをWEBで発信してきました。
車の旅ならではのエピソードや、
南米から世界に向けてダイナミックに動くビジネス、
南米の日系の方々の暮らしなど、
日本で暮らしているとなかなか見えにくい世界を教えてくれます。

永石夫妻のホームページ【南北アメリカふたり旅】
永石夫妻のブログ 【『ラテン』って何やねん?!】
              onドリームゲートBlog「海外ビジネス最前線」

永石さんは帰国後、南米と日本とを結ぶ新しいビジネスを構想中です。
日本と南米の結びつきがより強くなり、
しかも互いのためになるような仕掛け作り。
ぜひ、実現して欲しいと思います。

夫妻と訪れたのは琵琶湖沿いにある、
前から気になっていた、週末限定営業のカフェ。
古い家を改装した店は、入ると目の前に琵琶湖が広がります。
秋晴れの休日、湖を望むオープン席が気持ちよく、
お店の自慢の熟成カレーとハヤシライスをいただきながら、
日本やブラジルのことなど話が弾んだ、贅沢な時間でした。

コミュニティ カフェ「cafe Lac」(カフェ ラック)
滋賀県高島市今津町浜通り(JR湖西線近江今津駅下車)

2007-05-05

ブラジルの母なる大地の声♪ミルトン・ナシメント

ミルトン・ナシメント(Milton Nascimento)。

ブラジル、ミナス・ジェライス州育ちの
大御所アーティスト。
唯一無二の存在。

一度聴いたら忘れない、ブラジルの大地や風を感じさせる温かな声と、個性的で素朴な音楽で、世界中の多くのファンを魅了し続けている。

デビューは1967年。
ミナス派と呼ばれるミュージシャン達と独自の音楽を創り出し、70年代にはジャズ界の大御所、ウェイン・ショーターやハービー・ハンコックらとの共演を経て、ジャンルを越えて世界に名を知らしめた。

ブラジル音楽といって思い浮かぶ海岸沿いの都会の雰囲気とは異なり、
内陸のミナス地方ならではの風景を彷彿とさせる、母なる大地のような音楽。
この、すべてを包み込むような声と音楽には、本当に他には無い魅力がある。

その彼も現在65歳。
近年は体調を崩したり、それほど精力的な活動は行っていないようだが、
いつか生で彼の音楽を聴いてみたい!という想いがあった。

そして、嬉しいことに来日が決定したのだ。
東京でしか公演は無いが、これは行くしかない!
会場は、初めて行くブルーノート東京。
午後3時に手に入れた4番!の整理券を胸に、
足を踊らせながら夜9時からのステージへと向かった。

まさに「かぶりつき」の最高にイイ席を確保すると、
その日のスペシャルメニューであるというカクテル(高いっ!)、
その名も「ミルトン」を注文して過ごす。
ブラジル名産のフルーツ、アサイーが入ったワイルドな一品。

ミルトンの音楽世界をイメージさせる民族音楽っぽいBGMが流れ、
開演時間を少し過ぎた頃、待ちに待ったミルトンとバンド達が登場した。

想像通りの、貫禄のあるいでたちとオーラ。
やはり全盛期のような、きらめきのある声は聴くことができないが、
そこにはまぎれも無く彼独特の音楽世界があった。

大大大名曲「砂の岬(Ponta de Areia)」のイントロが流れると、
やっぱり 目頭が熱くなる。
が、全曲ではなく、メドレーの一部だったのが残念。
これをミルトン節全開のフルバージョンで聴くことができたなら、
最高に感動することだろう。

彼の声が生で聴けたという喜びと、
やはり万全の健康体ではなさそうな様子に、
時代の流れを感じて感傷にふけりながら時間は過ぎていった。

それでも力を温存していたのか、
最後には迫力のある声で盛り上がりを見せてくれた。
全盛期とは言えなくなっても、それでも彼の「声」を求めて、
たくさんの人が集まってくる存在なのだ。
これからもずっとずっと、いつまでも、皆、彼の音楽を聴き続けることだろう。

次回ブラジルに行く時こそ、ミルトンの故郷・ミナスの大地をふみしめてみたい。

ブラジルのお気に入り音楽♪

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2007-04-17

ブラジルから届いた物語~フランシスコの2人の息子~

フランシスコの2人の息子
ブラジルのど真ん中、ゴイアス州の片田舎。
照り付ける太陽。広がる畑の風景。
澄んだ深い瞳をした少年の無垢な歌声に、
涙腺がゆるむ。

ブラジルの国民的人気兄弟デュオ「ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノ」の成功までの実話を描いた映画、「フランシスコの2人の息子」が日本で公開されている。

クライマックスでは、ファンで一杯になった大きな会場での、
本人達が歌う実際のコンサートのシーンが流れた。

映画の中ではボサノバでもサンバでもない、
ブラジルの素朴で温かな音楽がじっくりと満喫できる。

描かれる普遍的なブラジルの家族の光景。
大切で、あたたかいものを私達に伝えてくれた。
そして子役の子供がまた、素晴らしく魅力的!

この映画、ブラジルでは大ヒットしたそうだが、
日本では上映期間も短く、観に行くと昼の部がなくなっていて夜の部だけ。
劇場は狭かったが、それでもガラすきだった。週末だったというのに。
みんなこんなに良い映画を見ずに、いったいどんな映画を見ているのだろう?

「フランシスコの2人の息子」公式サイト
「ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノ」公式サイト
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2007-04-07

ブラジルで教わった「人生成功の秘訣」

轟くリオデジャネイロから、北へ約700km夜行バスに揺られ、
海沿いの街ヴィトリアへと向かう。
前回の旅でお世話になった高崎さんを訪ねるためだ。

高崎さんご夫妻(前回お会いしたときの写真ですが)
福岡ご出身の高崎さんは、10代の頃に農業移民として単身で海を渡り、ブラジルに移住された。
今から約30年前、今ほど情報が無い時代に、10代でそんな大きな決断をしたという事だ。
その後、働きながら大学に通い、歯科医の免許を取得され、現在は診療所を営んでいる。

ブラジルではかなりたくさんの歯医者さんをみかけるが、
高崎さんは多くの患者さんに信頼されているようで、
わざわざ遠くから通って来られる人達も結構いるそうだ。

ブラジルに知り合いなど居なかった、前回の南米旅行中、
高崎さんが私達のホームページを見てくださり、
ヴィトリアに呼んでくれたのだ。
ご自宅に泊めていただき、1才の時に両親と共にブラジルへ来られたという奥様の、手作りの和食の数々(プロフェッショナル!)をご馳走になったり、近郊を案内してもらったり、歯の治療までしてもらったりと本当にお世話になった。

「またブラジルに来るときは必ずここに来ます。」と言って、
ヴィトリアのバスターミナルで見送っていただき早3年。
この街を再び訪れることができて、嬉しい限りだ。

朝ヴィトリアに到着すると、もたもたしてなかなか降りて来ない私達を心配して、前とぜんぜん変わっていない高崎さんがバスに入って来た。
「リオのホテルに何度も電話したけど、つながらなかったよ。
 教えてくれた番号、違ってたんじゃない?」
「え!す、すいません・・・(一応旅行の仕事してるんだけど・・とほほ)」

今回は、高崎さんや奥様と同じ入植地だった方達や、
北中南米を3年半ものあいだ旅行中の永石ご夫妻とともに、
近郊に出かけたりして賑やかに過ごし、あっという間の3日間だった。

永石さんご夫妻と
永石修一さん・千賀さん夫妻は、
高崎さんの歯の治療を受けるため、
ヴィトリアに長期滞在中。
大阪出身の気さくなご夫妻と、
旅や仕事や色々な話をして、
とても楽しい時間を過ごさせてもらった。
世界を深く観察していて、
「人が好きやねん!」と言う永石さん。
これからどんな人生を選択していかれるのでしょう。

永石夫妻のホームページ【南北アメリカふたり旅】
永石さんのブログ【『ラテン』って何やねん?!】
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高崎さんには前回お会いしたときに、
「3ボレ」という言葉を教えていただいた。
それは「人生を成功させる秘訣」だ。

「自分の仕事に惚れろ」
「自分の住んでいる土地に惚れろ」
「自分の家族に惚れろ」


高崎さんはブラジルへ渡り、「3ボレ」を実現した。
3人の息子さん達を立派に育てられ、
これからは奥様と旅行に行く機会を増やしたいとのこと。

私達も「3ボレ」ならぬ「5ボレ」くらい目指して、生きて行きたい。
そしてまた、ヴィトリアを訪ねたいと思う。

2007-03-16

リオデジャネイロ再び!

リオで迎えた朝

日本を発って丸一日、飛行機で地球を半周してようやく到着した。
待ちに待ちに待った、夏のブラジルだ!

頭がぼーっとしたまま、空港のATMで現地通貨を引き出して、
コパカバーナ方面へのバスに、ふらふらする体をやっとこさ押し込んだ。

今回の旅のスタート地点、リオデジャネイロの街の印象は、
2年半前に訪れた時とは全く違ったものだった。

熱い空気。入り乱れるバスや車の喧騒。
素朴なレンガ造りの住宅街の路地でたわむれ、ボールを蹴る子供達。
バスの車窓から目に入ってくるものすべてが鮮烈だった。
日本とはまるで別世界、地球の反対側の異国にやって来たことを実感した。

前回は、半年以上南米の国々を周った後に訪れたリオデジャネイロだったせいか、
「これが有名なリオデジャネイロの街か。海と山の景色がいい所だなあ。」
というくらいの第一印象で、こんなに新鮮に感じることはなかったのに。

そうこうしているうちに、
中心街(セントロ)の渋滞に巻き込まれた。
平日の午後。
ビジネス街や商店街は、人と車でいっぱいだ。
「ああ、この辺りをよく歩いたね。」と、
見覚えのある通りを見つけて懐かしむ。

セントロを抜け、海岸沿いをぐんぐん飛ばして行くと、
高層の綺麗なマンションやホテルが整然と並ぶコパカバーナの街並みが見えてきた。

ホテルにチェックインすると早速街を散策したいところだが、
飛行機酔いと夏バテのせいか、頭も体もくらくらして地に足が着かない。
食事をしに出かけるのがやっとで、すぐに部屋に戻りベッドに倒れこんだ。

熱いブラジルのこの空気に、本当にこれから慣れることができるのだろうか・・・。


街を一望できるスポット、ポンジアスカルへ。

ポンジアスカルから眺めるコパカバーナビーチ。

コパカバーナビーチ
夏のビーチは、晴れるとどこまでも人、人、人・・・。
コパカバーナビーチ
アツイ・・・。

MODERNSOUND
コパカバーナのお洒落なCDショップ「MODERNSOUND」は、
暑くてバテる昼下がりに、涼みに行くのにぴったり。
MODERNSOUND
毎日ライブをしています。この日はゴキゲンなボサノバ。

コパカバーナの朝焼け
奮発して、オーシャンビューの部屋を予約して良かった!
(1泊目だけは宿を予約しました)
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2007-03-12

ブラジルへ行ってきました!

バスの車窓より

広い広いブラジル北部を周り、ようやく帰ってまいりました。
夏のブラジルはさすがに暑くバテ続ける日々で、結構疲れました。
日本は暖冬といえど、私達にはさすがに寒いです。

ルートは予定通り、リオデジャネイロ→ヴィトリア→サルバドール→
フォルタレサ→サンルイス→ベレンとバスで北上、
アマゾン河を船で遡り、サンタレンを経てマナウスへ。
空路でブラジリアへ移動、再びバスで北パンタナール・クイアバへ。
最後はボリビアに抜け、長ーい帰国便に無事乗り込みました。

特にトラブルもなく、暑い~(熱い)ブラジルを楽しみ満喫して来ました!
(暖かなボリビアも少し)

とりあえず、もうしばらく飛行機はゴメン、って感じです・・・。
でももちろん、また何度でも南米に行きたいと思っています!

追々、旅の様子などブログを通じてお伝えするつもりですので、
どうぞよろしくお願いします。

2007-01-15

灼熱の国・ブラジルへ行ってきます!

リオデジャネイロ・コルコバドの丘より

今回の旅は、残念ながら自転車持参ではありませんが、
前回の南米旅で周れなかったブラジル北部へ行ってまいります!

まずは、日本から丸一日強かけて到着するリオデジャネイロの街から、
バスで北上し世界遺産の街サルバドール経由でサンルイスへ向かいます。
そして近郊のレンソイス・マラニャンセス国立公園を訪ねます。
ここは、大砂丘のくぼみに無数のラグーン(湖)ができる不思議な光景で
知られている場所です。

その後さらに北上して、アマゾン河口の港町ベレンへ。
ジャングルの真ん中で栄える大都市・マナウスまで1,500km、
船でアマゾンをさかのぼります。
できれば大湿原・パンタナールにも立ち寄りたい!と思っています。

ブラジルの今は真夏。そして雨期真っ只中です。
リオのカーニバルも行きたいところですが、今回はおあずけ。
ブラジルのでっかい北部を堪能してきます!

帰国後また、このブログで紹介していきたいと思っていますので、
どうぞよろしくお願いします。
続きがあります

2006-11-23

南米の大地に暮らす家たち

チチカカ湖・タキーレ島にて

見知らぬ土地をめぐる時、雄大な景色を満喫するのも良いが、
何といっても人との出会い、そして彼らが暮らす家々を見ることは、
旅での大きな楽しみだ。

田舎を自転車で移動している時。町を散策している時。
家並みを外から見ているだけでも、楽しくて目移りする。

民宿に泊まった時やお呼ばれした時、家の中がどの様になっているか、
彼らがどの様に暮らしているのか、興味深々で観察してしまう。

広い広い南米大陸では、やはり色々な家を目にした。
世界中どこでもそうだが、気候や風土が変わっていくと、
目に入ってくる家の様子が、明らかに違ってくるのが面白い。

木々が豊富な森林がある地帯では、もっぱら木の家ばかり。
森林が途切れ、乾燥した地帯に入るとレンガの家々。

南米の国々ののあちらこちらで、周りの景色に調和した、
人の暮らしの息遣いを感じる魅力的な家たちがたたずんでいる。


チリ・コジャイケの街を散歩中に出会った家たち。
木が豊富にあるチリの南部には、カラフルでかわいらしい木の家がいっぱい!
台所での調理がガスではなく薪キッチン・薪オーブンの家も多かった。
薪オーブンで焼く手作りパンは最高!


チロエ島付近では、うろこ模様の板張りの家が多く見られる。
世界遺産に指定されている教会の壁も、みなうろこ模様。

乾いた大地。吹き荒れる風。
パタゴニアの荒野の中のオアシス。
アルゼンチンの小さな町、
ペリトモレノには短い夏に訪れた。
店が少ないにもかかわらず、
ものすごく美味しいピザ屋があった。

美しい花のアプローチが魅力的な家。



世界最南端の町。
アルゼンチン・ウシュアイア。
ここには「置いた」だけの移動式の家が多い。

いつでも「家ごと」引越しができる。




もう一度行きたい!アルゼンチンのあの家やブラジルのあの家たち・・・。
地球の裏側で、今日も元気に暮らしていることだろう。

ボリビアの田舎で

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2006-11-07

ボサノバの神様♪夢の時間~ジョアン・ジルベルト

ジョアン 声とギター
夢心地で宝物のように貴重な時間は、
ただただ夢心地のまま、
あっという間に終わってしまった。

ジョアン・ジルベルト(Joao Gilberto)。75歳。
ボサノバを創ったといわれている、
伝説のブラジル人音楽家。

2003年、2004年にも奇跡の来日公演があったが、
運悪く私達の南米旅行と見事にぶつかってしまい、非常に悔しい思いをした。
もう、この耳で生の演奏を聴くことはあきらめていたが、
またまた奇跡の来日公演が決定し、大感激!
彼はかなり日本を気に入ってくれてたようだ。
日本中の熱心なブラジル音楽ファン達にも感謝!

残念ながら関西公演はないので、夜行バスでいざ東京へ。
巨大都市に翻弄されながらも、早めに東京国際フォーラムに到着した。
待ちきれず、開場と同時に入場。
先行予約で取った席も、なかなか良い場所で満足だ。
期待が膨らむ。

彼を愛する人達によって書かれた、来日記念パンフレットを読みながら
公演を待つ時間も、なんとも幸せな気分だ。
これからはじまる夢のような時間を、少し緊張しながら静かに、ゆっくりと待つ。
でも心はウキウキ。会場はそんな雰囲気に包まれている。

開演予定時刻になったころ、アナウンスが流れた。
「開演の時刻ですが、アーティストがまだ到着しておりません。
開演のめどが立ち次第お知らせ致します。」
皆がどっと笑い、会場が和んだ。怒る人などいない。

前回の来日公演では、演奏の途中に20分ほど身動きしなくなり、
瞑想状態になったという。
何があっても、すべてを含めてジョアン・ジルベルトなのだ。

再び40~50分待ち、「アーティストがホテルを出発しました。」
のアナウンスのしばらく後、
「アーティストが到着いたしましたので、お席でお待ち下さい。」
との案内に変わった。
そして、会場の緊張もほぐれ、リラックスしたちょうどよい雰囲気の中、
予定から約1時間遅れて、ようやくギターを持った彼が現れた。

あの声とギターが、本当にすぐそこにある。
年齢による衰えは、みじんも感じない。
ジョアンが歌う。ジョアンが呟く。ジョアンがハミングする。
洗練された、彼に寄り添うギターのリズム。
何もかもが最高!

耳を澄まし、天に昇るように聴き入る、研ぎ澄まされた音楽。
数あるジョアンのどの名盤よりも、間違いなく最高の声。最高の演奏。
究極のボサノバだ。

「声」と「ギター」。それだけ。
彼がギターに触れ、声を発すれば訪れる、至福の世界。
だれもが魔法にかけられたようにうっとりする。
彼以上のギター弾き語りは存在しないのではないかとさえ思った。

もう一人のボサノバの巨匠、アントニオ・カルロス・ジョビン
すでにこの世に居ない為、生演奏を聴くことはできないが、
共に時代を築いたこのジョアン・ジルベルトのそばで、
きっと見守ってくれているはずだ。

神様と過ごす幸せな時間。
「もう一度」というぜいたくなことは言わないが、
やはりできることなら、また味わってみたい。
ありがとう、ジョアン!

Voz E Violao(声とギター)・・・2000年作品。感動の10年ぶりのアルバム。
                 静寂さえも彼の音楽の一部だと感じさせてくれる。
In Tokyo・・・2003年奇跡の来日公演にて収録されたライブ盤。涙・涙・涙・・・。

ジョアン・ジルベルト・フォー・トーキョー



来日公演を記念して発売されたベスト盤

彼のベストを「選ぶ」なんて、難しすぎる!


ブラジルのお気に入り音楽♪

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2006-09-21

TATOO in ブラジル

ヴィトリア近郊の海岸にて

どれにしようかな~!「公正」はどんな人が注文するんだろう・・・。
そういえば、サンパウロで地下鉄の切符売り場で並んでいるとき、
腕に「係」と書いたお姉ちゃんがいたっけ。

南米旅行中、あちこちの国で「漢字人気」を感じた。
Tシャツにプリントされたり体に書かれた様々な漢字(たまに変)。
そして日本車に見せる為?意味不明な漢字が書かれた車・・・。
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2006-09-13

ブラジルの風を感じるリズム♪ジョイスの音楽

2001年作品 Gafieira Moderna
いや~、カッコ良かった~!!

ジョイス(JOYCE)。リオデジャネイロ生まれの58歳。
ブラジルを代表する女性シンガーソングライター。
5ヶ国語を操る「才女」だそうだ。
1967年にデビューして以来、常に独自のスタイルで、
シンプルだが自由で瑞々しい音楽を発し続けている。



楽しみにしていた彼女の来日公演だ!今年は関西にも来てくれた。
梅田ハービスに移転してから初めて行く大阪ブルーノート
「カジュアル席」というリーズナブルな席(ワンドリンク付)ができていてありがたい。
黒ビールとトマトジュースでのどを潤す。「美味し~!」

そしてジョイス登場!嬉しくて顔がほころぶ。
「ああ正にジョイス」な音楽が鳴り出した。
涼しいけど味のある歌声。軽々と弾く超絶ギター。
ぴったりと息のあった熟練バンド仲間達。
自作の曲、ボサノバのスタンダードな曲、何をやってもジョイス100%!
しっとり優しいメロディから、疾走感あるグルーヴィなナンバーまで、自由自在。
生で聴くと、ホントそのカッコ良さにノックダウンさせられる。
聴いてる私達も気持ちいいが、本人もとっても気持ち良さそう。

ブラジルの音楽にこれほどまでに魅了されるのは、きっと、
自然で自由で、気取りが無いからだと思う。
肩に力を入れたりせず、心底楽しんでいる。
ブラジルにはそんな音楽が溢れている。
その上、才能の宝庫なのだ。
ブラジルの大地が育てる魅力的な人と音楽達。

ここ日本から見たら地球の裏側、遠きブラジルの地から、
こんなにも素敵な音楽を届けに来てくれるということに感謝、感謝。
「ああ、またブラジルに行きた~い!」の気持ちがさらに強まった幸せな夜だった。

♪こちらで試聴も可能
JUST A LITTLE BIT CRAZY・・・2003年作品。常に現在進行形なのがカッコいい!
フェミニーナ そして水と光・・・1980・81年の名曲揃いのアルバム。

フェミニーナ、そして水と光



1980年発表の「フェミニーナ」と1981年発表の「水と光」。
名盤2作を収めた人気アルバム。
この瑞々しい歌声と奔放な音楽は今も変わらない。


ブラジルのお気に入り音楽♪

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2006-07-22

南米で、食べる!食べる!食べる!

ブラジルでの幸せなランチ

私達の自転車旅では、「地元名物料理のレストランを食べ歩き舌鼓を打つ」という感じではなく、その時手に入る食材を調達しキャンプや宿で自炊したり、地元の安くて量が多そうな定食屋を探し空腹を満たすといった食生活が大半だった。


なので「南米の国々で美味しかったものは?」と訊かれても、
思い浮かぶのは、料理の名前よりもまずは食材の数々。

南米滞在中の食生活は、大変充実していた。
美味しい思いをたくさんして、大いに太ってしまった(妻のみ)。
基本的にシンプルな料理が多く、味付けがどうこうと言うよりも、
肉や野菜等、食材が豊富で美味しいのだ。
日本人の私達から見て、ほとんどの食材が自国産というのは、
とてもうらやましいことだ。

<チリ>
まずは南北に長ーいチリ。
首都サンチアゴから南下していくと、のどかな田園地帯に囲まれていく。
高速道路沿いで果物を売っていたり、ワインのボデガが点在するクリコ辺りでは、ぶどう畑が多く目に入ってくる。
時に、スープなどによく入っている香草(コリアンダー?)の香りがただよう。

春に訪れたので、町に着くなりイチゴを山ほど買っては食べつくした。

チリでは、とりわけトマトの丸かじりが最高だった。
町のレストランで食べる「En Salada De Chile(チリ風サラダ)」
というメニューにも、必ずトマトが入っている。
各家庭の味のチリソースにも、トマトがたっぷり。

スーパーへ行くと野菜が山積み。「1Kgいくら」という札が立つ。
量り売りで少しから買うことができるので、旅行者の私たちにもぴったりだ。
チリの野菜や果物も、結構日本に入ってきているようで、
チリのある町で、玉ねぎを日本の業者に売っているというおじさんに、
「日本で玉ねぎを一緒に売らないか」と誘われたりもした。

もちろん、日本に大量に入ってきている分厚ーいサーモンも、
煮ては焼いては、しこたま食べた。ごちそうさまでした!
でも、今度チリに行ってまず食べたいものは、パンかもしれない・・・。

<アルゼンチン>
広大な土地を有するアルゼンチンでも、もちろん野菜・果物が豊富。

かなり美味しいりんごや、
ウシュアイアの上野亭で絶品の蟹も味わったが、やはりアルゼンチンといえば「肉」のイメージが強い。

果物畑が多い地域、紅茶やマテ茶の栽培が盛んな地域等、
様々な特色ある地域を持つアルゼンチンなのだが、
まず思い出す景色はというと、果てしなく続くパンパ。
その中に暮らす大勢の牛達や羊達・・・。
アルゼンチンでの「肉」生活についてはこちら

アルゼンチンには農業を営む日本人の移民が多い為、
白菜や柿などの日本の野菜もよく目にする。
なぜか白菜は「Lechuga Japonesa(日本のレタス)」と呼ばれている。
お世話になったアルゼンチン人女性に、白菜の食べ方を尋ねられた。
「白菜は、生ではあまり食べません。煮たり、スープに入れたりするんです。」
と言うと、とても意外そうにしていた。

ブエノスアイレスからイグアスの滝へ向けて北上していくと、
みかん畑だらけの地域を通った。
道路沿いで日本風のみかんを買いこめるおかげで、私達の食生活は潤った。

ブラジル
ブラジルはまさに「フルーツ王国」。
バナナ、パパイヤ、マンゴー、
パイナップル・・・。
朝から果物に囲まれる。幸せだ・・・。
キャンプをしたイグアスのユースホステルの庭で、落ちてくるレモンを拾っては、ピンガ(サトウキビのお酒)でカイピリーニャを作った。

ブラジルである宿の人と、「日本人はよく働く」という話になった。
「日本ではすごく働かないと生きていけないんです。」と私達。
「ここではそんなに働かなくても食べ物には困らない。
ほら、庭にバナナもアボガドも生えている。」と彼。
いいな~。
でもブラジルの街では、食べ物にも困っている貧しい子供達が
たくさんいるということも事実。

ブラジルの健康的で幸せな食生活についてはこちら

<パラグアイ>
パラグアイは亜熱帯なので、やはり果物などが豊富。

お気に入りは・・・。
コペチン(安食堂)などの食事の付け合せで出てくる
「マンディオカ」(イモの一種でさつまいものような食感)
がたまらなく好きだ。

これとビールの大ビン(1L!)の組み合わせで過ごす
パラグアイの昼下がりが懐かしい。

そしてもうひとつ、無性に食べたいのが、「チパ」!
マンディオカの粉とチーズなどで作られた、もちっとした食感のパンで、
パラグアイの代表的な軽食だ。
長距離バスに乗ると必ず、チパ売りのお姉さん(とおばさんの間くらい)
途中で乗ってくる。
そしてついつい買ってしまい、まだ温かい焼き立てを頬張る。

<ボリビア>
ボリビアはというとまず、
じゃがいもの種類がすごく多い。
市場に行くと、じゃがいもの種類が多すぎて迷ってしまう。
多くの世界中の国々と同じように、ボリビアの食事にもじゃがいもは欠かせないものとなっている。

そしてその味も美味しく、南米一ではないかと思う。
お馴染みのじゃがいもから、見たことのない種類の芋まで。
さつまいものように甘い芋もある。

ボリビアでは、どんなに高地で気候が厳しい土地でも、
畑でじゃがいもを育てる人々の姿があった。

町では露店の市が大変盛んで、国中から集まってくるの色々な野菜や果物などを見ることができて、とても楽しい。

そして飲食店街で目に付くのは、鶏肉を食べる専門店。
(牛肉王国アルゼンチンでは見かけない!)
骨付き鶏肉の丸焼きから唐揚げまで、鶏肉がとってもメジャーだ。
また、高地の動物であるリャマの肉は、コレステロールが低く、
健康に良い食事とされている。
ボリビアの家庭でリャマの肉のバーベキューをいただいたが、
癖がなくなかなか美味しかった。

私は高地のボリビアしかまだ見ていないが、今度は低地の温暖なボリビアで、
ぜひトロピカルな食べ物を食してみたい。

リャマの肉を焼く
<ペルー>
ペルーへ入って、まず思ったのは、
「ご飯が美味しい。」ことだった。
南米の他の国の食堂で出るご飯は、お米が細長くてパサパサしていることが多かったが、それに比べてペルーのご飯は日本人好みでふっくらしている様に思う。

屋台の「アンティクーチョ(牛肉の串焼き)」等も美味しいけど、
やはり我々日本人にとって嬉しいのは、「セビッチェ(魚介類のマリネ)」など、
海の幸を食べられる機会が多いことだろう。
リマのセビッチェ専門店に行くと、海の幸のメニューがずらりと並び、
いやというほど、恋しかった美味しい海の幸が食べられる。
(いやにはなりません!)

ただ、やはり外食が続くと胃が疲れるので、
各地の美味しい食材を買い込んで自炊するのが一番だ。

ペルー・リマの食堂にて

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2006-06-29

ブラジルサッカーの原点

リオ近郊・カボフリオの美しい海岸
南米で最も大きい国・ブラジルは、
地図を見ても分かるように、
長い長い海岸線を持っている。

自慢の美しいビーチはブラジル人に
とって、憩いの場であると同時に、
最もメジャーな遊び場だ。

年中、海水浴・日光浴・サーフィン・
ランニング・ウォーキング・
サッカー・バレーボール・凧揚げ・・・、
思い思いに楽しむ人達の姿がある。

どこまでも続く、柔らかい砂浜は、
とても美しい。


リオデジャネイロのビーチを歩くと、バレーボールのネットがあり、
ビーチバレーの試合をしている人達の姿があるが、
これがまたプロみたいに、ものすごく上手い。
ブラジルのバレーボールチームはかなり強そうだ。

そしてブラジルと言えば、やっぱりサッカー!
ビーチに行けば、必ずサッカーをして遊ぶ少年達がいて、
その光景は「サッカーをしている」というよりも、
「裸足でボールとたわむれている」といった雰囲気。
とっても楽しそうだ。

リオの海岸で遊ぶ少年達

ブラジルらしい風景だ~」と眺めながらビーチを散歩する。
と、目の前にまたすごい光景が・・・。
足だけを使ってビーチバレーのゲームをする少年達!
ラリーは延々と続く。上手すぎ・・・。

ブラジルサッカーの原点は、どうやらビーチにあるようだ。
サッカーを愛するブラジル人にとって、このビーチの存在はとても大きいだろう。

ブラジルのビーチの光景を見ると、日本や欧米の国々のサッカーが、
なかなかブラジルにはかなわないという事もうなずける。

今サッカー・ワールドカップで、日々熱い試合が繰り広げられている。
サッカーにはあまり詳しくないが、ブラジル選手のプレーは本当に華麗で、
「必死で戦っている」というよりも「サッカーを楽しんでいる」感じがする。

そんなブラジルの選手達をテレビで見ていると、
リオのビーチで見た少年達の光景が思い浮かんだ。

今日もブラジル中のビーチでは、未来のロナウジーニョ達が、
裸足でボールとたわむれている事だろう。

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2006-04-17

ブラジル移民・爽快な復讐劇

Amazon.co.jp: 本: ワイルド・ソウルこの本は南米旅行中にお世話になった、
ブラジル・ヴィトリアに住む日本人歯科医Tさんに教えてもらった。
作者・垣根涼介が本書の取材でヴィトリアを訪れたのだそうだ。

海外最大の日系社会を抱えるブラジル
だがその影に、多くの日本人移民の悲劇があったことを
初めて知った。

この作品は、日本政府に騙されてブラジルへ移民し、
苦難の末に底辺から這い上がった男達のリベンジの物語だ。
ブラジルと東京を舞台に、失った過去を取り戻すかのように、
国家への壮大な復讐劇を繰り広げる。

しかし復讐という言葉から想像される陰湿さは全く無く、
読後には高揚した気持ちと爽快感が残った。
そして「未来の国」「自由の国」ブラジルらしい、
将来は自らの手で掴み取るものだ、というメッセージを感じた。
 
なかでもハイライトと言えるのは、
カーステレオで大音響のサンバをかけながら、
早朝の東京の街を駆け抜ける、官庁襲撃決行のシーンだ。
移民達が過ごしてきた苦悩の長い時間。
それを今終わらせ、自分達が新たな歴史を作るという思い。
それらが軽やかな文体で短い瞬間に凝縮させている。

移民問題という重いテーマにもかかわらず、
個性ある登場人物の描写とスピーディーな展開が読者を飽きさせない。
かなりの長編のため読むのを躊躇していたが、
一度読み出したら早く先を知りたくなる、そんな本である。 

物語の背景となる移民問題もしっかり描かれている。
南米移民史に触れるきっかけとしてもおすすめだ。
 
「ワイルド・ソウル」(垣根涼介著 幻冬舎)


私の本棚
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2006-03-29

南米でコーヒー

同じ南米大陸と言えど、国によってコーヒー事情は随分と違う。

        

まず最初に訪れたチリでは、コーヒーと言えばひたすら「ネスカフェ」だった。
カフェや食堂、宿の朝食でも、常にテーブルの上には黒く丸いネスカフェの容器が。好みの量の粉をカップに入れ、お湯を注いでもらう、若しくは自分で注ぐ。
ちゃんとしたドリップコーヒーが飲める店はかなりまれだ。
スーパーでもレギュラーコーヒーは隅のほうに1、2種類あるだけで
(キャンプではこれをドリップして飲んだがなかなか美味しかった)、
棚一面にそびえるのは、大中小の「ネスカフェ」の山。
この「ネスカフェ」も、飲んでいるうちにだんだん美味しくなってきた。
インスタントコーヒーでも開けたては香りが良く、意外と美味しいのだ。
大衆に親しまれている為、きっと回転が速いのだろう。
ワールドワイドな「ネスカフェ」を感じ続けたチリでの日々であった。

お隣のアルゼンチンはと言うと、これがかなり違っていた。
イタリア人の移民が多いせいか、エスプレッソコーヒーがメジャー。
街のカフェではもちろんのこと、ガソリンスタンドでも自販機でエスプレッソコーヒーが飲めたりする。
ただしその存在自体は、国民的飲み物のマテ茶の陰に隠れている感じではある。
自転車旅行中、アルゼンチンの果てしないパンパを走りながらも、「ガソリンスタンドのエスプレッソコーヒーで一服」というのはささやかな贅沢だった。

そしてブラジルだ。やはりブラジルではコーヒーが盛んだった。
コーヒーはわざわざお金を出して飲みに行かなくても、どこにでもあった。
食堂でごはんを食べても、レジの脇にコーヒーのポットが置いてあって、
自由にキュッと飲んで帰る。
味は濃い目で、甘くして飲むのが一般的のようだ。
世界一のコーヒー生産国、ブラジル。赤い大地が育むコーヒー畑。
日本人移民とも深い関係があるコーヒー農園。
品質のより良いものは、輸出物や土産物に行ってしまうそうだが、
手を伸ばせばコーヒーが飲めるというのは、なかなか豊かな気分だった。

ボリビアやペルーには意外にも、自国産のコーヒーがある。
ラパスの市場付近にもコーヒー豆の専門店があったし、
クスコの広場の近くにもものすごく良い香りのするコーヒー豆の店があった。
(↑耐え切れず買って飲んだらメチャクチャ美味しかった!)
ボリビアやペルーでは、コーヒーの入れ方が少し変わっている。
まずは濃い~いコーヒーを落としておく。飲む直前にそれを熱いお湯で薄めるのだ。
ボリビアのポトシのパン屋さんでお世話になった時まだそれを知らず、
用意してくれた濃い~いコーヒーをそのまま飲んでしまい、
「ゲッ!にがっ!」とエラい思いをした。
しかしこれらの地域では断然、コカ茶やハーブティが日常的に飲まれているので、
コーヒーの存在感があまりなかった。

以前は「南米はコーヒー」というイメージがあったが実際に行ってみると、
コーヒー以外の飲み物、マテ茶・コカ茶・紅茶・ハーブティ等がかなり盛んで、
とても生活に密着しているということが分かった。

南米では、コロンビアもコーヒーの生産国として有名で、
街角のコーヒーもたいそう美味しいという話だ。
ぜひとも、コロンビアにもコーヒーを飲みに行ってみたいものだ。

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2005-10-10

ブラジルで栄養満点!

ブラジルの定食(約150円)

南米旅行中、食生活が最も健康的だと思った国は、断然「ブラジル」!
朝は、パパイヤやマンゴーなど、よりどりみどりの果物をたっぷりと。
昼には、たくさんの野菜や肉をモリモリ食べて、夜は軽め。
体にとって、理想的な食生活だ。

お隣りのアルゼンチンとは、全く食生活のリズムが違う事に驚く。
アルゼンチンでは夕食が主体な上、始まる時間がとても遅かった。
夜の8時半にお腹をすかせてレストランへ入ると、
「セナ(夕食)はまだだ。9時からなら食べられる。」
と断わられ、ひもじい思いをした事がある。
店内の客は、まだお茶とケーキを食べていた・・・。
そして10時頃からやっと、ワインで乾杯し、ゆっくりと夕食を楽しむのだ。
それも、肉とジャガイモが主体。太って当たり前だ。

よくある「ポルキロ」(量り売り)
 主食はご飯とフェイジョアーダ(豆を煮込んだもの)

ブラジルの町で主流なのは、「ポルキロ」と呼ばれる量り売りのお店。
たくさんの種類の料理が並んでいて、自分の食べたいものを、
食べたいだけ取る形式だ。
言葉の不自由な私達にとっては、大変ありがたいシステムだ。
自分の体調に合わせ、バランス良く食べられるので、健康的かつ合理的。
しかも大抵の食堂では、無料のコーヒーを「きゅっ」と飲んで帰れるように
なっている。

ムケッカ
 海岸沿いではシーフード料理もお楽しみ

街角にはジュース屋があり、何十種類もの果物をその場で絞ってくれる。
聞いた事がない名前の果物がたくさんあり、どのジュースを試してみても、
とっても美味しかった。

ブラジルに暮らす人達って、幸せだなー!

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2005-10-08

「マテ茶」でひと息

マテ茶 in アルゼンチン

口の狭い専用の器に「マテ」の葉をドバッと入れ、お湯を注ぐ。
そして少し蒸らした後、先が網のようになったストローで飲む。
好みに応じて、砂糖を入れたりしても美味しい。
カフェインがとても強いので、眠気覚ましに最適だ。

「マテ茶」はアルゼンチンを中心に、よく飲まれている。
味は、日本の緑茶を濃いーくした感じだ。
その香りは、甘く香ばしくて、癒される。

チリやブラジル南部でも見かけるが、アルゼンチンが最も盛ん。
アルゼンチン人と言えば、「マテ茶」か「ワイン」どちらかを飲んでいる
イメージがあるぐらい。
パラグアイでは、「テレレ」と呼ばれる冷たいマテ茶が主流だ。

アルゼンチンでは、行楽やドライブには必ず、マテ茶セットを持って行くようだ。
ガソリンスタンドにはマテ用お湯スタンドが絶対にあって、
マイポットにお湯を補給できるようになっている。

「スーパーで買い物しながらマテ茶を飲むおばさん」
「朝の通勤のときに歩きながらマテ茶を飲むOL」
そんな「マテ中毒」な人達もちょくちょく見かける。
アルゼンチンはイタリアからの移民が多いせいか、
エスプレッソ風の美味しいコーヒーもある。
でも断然、「マテ茶」の方が「なくてはならないもの」のようだ。

そう言えば、チリ南部の民宿で、
「資源が豊かだからって、アルゼンチン人はマテ茶ばかり飲んで、
ぜんぜん働かない!」
と、悪口を言っていたおじさんがいたっけ・・・。

それでも、マテ茶を飲んでいる時のアルゼンチン人達は、とても幸せそうだった。

「一緒にマテ飲もうよ」と誘われたら、友達だと認めてもらった証拠。
一つの器で、マテ茶を皆で回し飲みながらおしゃべりする。
一人が飲んだら、お湯を注いで次の人に。

お茶の時間は、ホッと安らぎ、家族や友人と過ごす楽しいひと時。
万国共通だ。

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2005-10-02

リオデジャネイロ

コルコバードの丘から

ブラジルの国際的観光都市、リオデジャネイロ。
「リオのカーニバル」で有名な街だ。

「海と山が近い街」という事で、我々日本人としては親しみを持ちやすい。
海岸沿いには高級マンションや高級ホテルが立ち並び、山の方には「ファベーラ」
と呼ばれる貧しい住宅街がある。

それにしても、海と山が入り組んだリオの地形はとても不思議で、美しい。
リオのシンボルとも言えるキリスト像がそびえる、コルコバードの丘から、
その景色を堪能できる。

コパカバーナ海岸

またリオデジャネイロは、海岸が美しい事でも有名だ。
ブラジルの海岸は、市民の憩いの場。
冬は泳ぐ人は少ないが、日光浴・サーフィン・ランニング・ウォーキング・
サッカー・バレーボール等、皆思い思いに楽しんでいた。
夏には、さぞかしすごい賑わいになるのだろう!

コパカバーナ海岸・イパネマ海岸が最も有名だが、
どちらも砂浜の砂がとっても綺麗だ。
これらの2つの海岸は距離的にも近いのに、良く見ると砂浜の砂が違っているのが不思議だった。
コパカバーナ海岸の砂は、白くてとてもキメが細かく、しっとりしている。
お隣のイパネマ海岸の砂は、黄色っぽくて粒が大きく透き通っている。
夕日に照らされると、金色に輝いていっそう美しかった。

砂浜を素足で歩くと、とても気持ちが良い。
「世界のコパカバーナ海岸・イパネマ海岸で砂遊び」するのも贅沢な気分!

リオの街角
 
泊まった宿は、少し治安の悪そうな
安ホテル街にあった。

週末、表で一晩中大音量の音楽が
流れ、路上で飲んで騒ぐ人達で、
うるさくて眠れなかった。

これが木、金、土と3日間続いた。
皆、いったいいつ寝るんだ?

リオは毎週カーニバルなのか!?


いつか、本物の「リオのカーニバル」も
観てみたい。

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2005-09-30

「南米のTOKYO」サンパウロ

どこまでも続く、高層ビル。
整備された地下鉄。

ブエノスアイレスが「南米のパリ」なら、
サンパウロは「南米の東京」だろう。

コロニアルな教会たちは、
このビル群の底に
埋もれてしまっている。

ブラジルのみならず、
南米の経済の中心、
サンパウロ。




サンパウロの街が近づくと、想像以上の「大都会」に驚く。
ここには約1500万人もの人が住んでいるのだ。



地下鉄の構内などに居ると、日本の東京の街にでも来ているような気になる。
現に、日本人ともよくすれ違う。それでも、向こうはこちらに気にも留めない。
東洋人がいるということが、ちっともめずらしくないのだ。

そこが、他の南米の国々と大きく異なることだった。
今までチリ・アルゼンチン・ボリビアなどで、
何度「ち~の!」と叫ばれたか分からない。
そんな事をしない品のある人達からでも必ず、
「あら、東洋人がいるわ」といった感じの視線を感じたものだ。

「色んな人種の人が居て当たり前」
そんな空気が感じられるブラジルは、妙に居心地が良かった。

リベルダーヂ地区

サンパウロ・リベルダーヂ地区の東洋人街は、日本語の看板だらけで、
歩いている人もみんな東洋系。まるで日本のどこかの商店街のようだった。
到着した日はたまたま、「ブラジル仙台七夕祭り」で、すごい人出。
やきそば、天ぷら、今川焼き等、日本食の屋台が大人気だ。

南米に移住し活躍するたくさんの日本人。
その裏には、大きな大きな苦労と挫折があった。
リベルダーヂにある「ブラジル移民資料館」では、
その歴史をたっぷりと勉強できる。

イビラプエラ公園
市民の憩いの場「イビラプエラ公園」

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続きがあります

2005-09-29

「自然の楽園」パンタナール

青の地底湖

パンタナールは、ブラジル内陸部に位置する、世界有数の大湿原だ。
その広さは、日本の本州ほどもあると言う!

ここには森林・原野・河川・沼地の広大な大自然が広がり、
季節によってその形態を変えていく。
そして、何百種類もの野鳥・野生動物・淡水魚たちが住んでいる。

このパンタナールには一年中、世界中から多くの観光客が、
自然観察や釣りなどをする為に訪れる。
アウトドア好きの人にとって、パラダイスのような所なのだ。

上の写真は、南部ボニート近郊の「青の地底湖」(Gruta Lago Azul)。
神秘的な深い青色の水と、無数の不思議な形の鍾乳石が印象的な、
洞窟の中の地底湖。 
この水がどこから来ているのかも、まだ分かっていないそうだ。

ボニート周辺の川

ボニート周辺の川

南部のボニート周辺は、美しい川がたくさんあることで有名。
「ボニート」とはポルトガル語で「美しい」という意味だ。
この透明な川で、魚たちと一緒に泳いだ。

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2005-09-18

「ミッション」の遺跡

トリニダー遺跡の教会跡

ブラジル南部・アルゼンチン北部・パラグアイにかけて、「ミッション」の遺跡が点在している。「ミッション」とは、今から約300~400年前、スペインから来たキリスト教の宣教師が、原住民とともに集団で生活していた場所だそうだ。

周りの緑に赤いレンガが映える。団地のようなたくさんの住居、教会や畑などの跡があり、ひとつの町のようになっている。

上の写真はパラグアイのエンカルナシオン近郊の「トリニダー遺跡」。教会の綺麗な装飾がたくさん残っている。最盛期には約4000人もの人達が生活していたと言われている。世界遺産にも登録されているのだが、観光客は数人しかおらず、静まり返っていた。辺りには小さな村があるだけだ。のどかで緑が多いパラグアイの風景を、遠くまで見渡せた。

サン・イグナシオ遺跡

アルゼンチン北部ポサダス近郊の「サン・イグナシオ遺跡」はかなり規模が大きく、良い状態で保存されている。ここの教会も大変立派で、住居跡の数がとても多い。人口密度が高そうだ。こちらは観光バスが頻繁に訪れ、賑わっていた。イグアスの滝まではバスで約6時間。

サン・イグナシオ遺跡


遺跡のレンガが赤い様に、
この地方の土は赤くとても鮮やかだ。


亜熱帯気候の肥沃な土は、
豊富な作物を実らせる。


この赤い土。見た目は綺麗だが、
いったん服に付くと洗っても洗っても、
ぜんぜん色が落ちてくれない!

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2005-09-07

「SHIMA-UTA(島唄)」

SHIMA UTA-Grandes E xitos-
いきなり日本の音楽だが、南米がらみなので。

ブラジル滞在中、お世話になっていた日本人のお宅で「日系新聞」を読んでいると、「宮沢和史サンパウロ公演」の予告記事が。元々はコンサートへ行くほどのファンではなかったが、日も近かったし、海外公演が観られるのは貴重なので行くことにした。日系新聞の宮沢和史の紹介文で、「来伯○○回のブラ吉ぶり!」と書かれているのが可笑しかった。

サンパウロでの公演は、スタンディングのライブハウス。
前の方に行けたので、すごい至近距離(2mくらい)。
間違いなく彼だった。
日本ではまずこんな会場では観れないだろう。
チケット代もわずか500円ほど。
客層はブラジル人ももちろん居るが、ブラジルに住む日本人、日系3世が大半だ。
ブラジルの人気ミュージシャンがゲストで共演という場面もあった。

久々のサンパウロ公演とだけあって、彼もかなり気合が入っているようだ。
観客のみんなも、ものすごい喜んでいる。
熱ーーーーいライブだった!
沖縄の楽器「三線」も、とっても人気が高い。
「みやざわ~!」という声援に混じって、「さんし~ん!」という黄色い声。
それには彼も苦笑していた。

いまや世界中で歌われている「島唄」。
ブラジル・サンパウロで聴く「島唄」もまた格別だった。
住む国は違っていても、「島唄」で心はつながっていると感じた。

アップル社の音楽配信「iTunes Music Store」が、
この「島唄」を世界20カ国に同時配信する。
まだまだ「島唄」は世界に広がりそうだ。

ブラジルのお気に入り音楽♪
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2005-09-01

イグアスの滝!

ブラジル側から

世界最大級の滝、南米・イグアスの滝。それはもう、巨大だった!

アルゼンチンとブラジルにまたがっているイグアスの滝は、
数え切れないほどたくさんの滝が連なっている。

アルゼンチン側からとブラジル側からは、見え方がぜんぜん違うので、
両側から見たほうが、よりイグアスの滝を堪能することができる。

アルゼンチン側より

アルゼンチン側の国立公園では、緑の中に張り巡らされた遊歩道から、
大小様々な滝に近づくことができて、じっくりと楽める。
川の真ん中にあるサン・マルティン島のトレッキングも自然が満喫でき、
時間があればおすすめだ。

アルゼンチン側から悪魔の喉笛

そしてアルゼンチン側には、数ある滝のなかでも最大の滝「悪魔の喉笛」に、
しぶきがかかるほど大接近できる場所がある。
膨大な量の水がすさまじい勢いで落下していく様子はまさに圧巻!

ブラジル側の国立公園からは、「悪魔の喉笛」を含む数々の滝の全貌を、
大パノラマで見ることができ、これまた見事だ。

国立公園内にて

イグアスの国立公園は自然が豊かで、蝶・鳥その他いろんな亜熱帯の動物も見かけたので、
生き物好きの人はより楽しいだろう。
滝に突っ込むボートツアーも爽快なのでぜひ。

*ボートツアーでは、カメラを入れるビニール袋は必ず「2重に」しましょう。(涙・・・)

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2005-05-17

ブラジル♪魅惑の歌声~カエターノ・ヴェローゾ!!

異国の香り~アメリカン・ソングス
5月15日、大阪フェスティバルホール。
カエターノ・ヴェローゾの来日公演に行ってきた。
60年代から活躍し、ブラジル音楽界の頂点を極め続けている大物アーティストの8年ぶりの来日だ。
ブラジル音楽ファン暦5年ほどの私は、
もちろん初の生カエターノ体験。

南米旅行中、ブラジルのリオデジャネイロに到着した日のTVニュースで、
前夜に行われたリオでの彼のライブの模様が10秒?ほど流れていたのを目にし、
悲鳴をあげたのはちょうど1年ほど前だ。
ブラジルで彼のライブを観るなんて夢物語だもの、
前もってライブ情報を調べたりしていなかった。
「日程の合う誰かのライブがあれば行けばいい」くらいにしか考えていなかった。
まだポスターの貼ってある劇場の前を通っては、
「あのカエターノがここで歌ったんだ・・・」
と感傷にふけったり悔しがったりしたものだ。

そして今、日本は大阪の地で、夢と感動のカエターノ体験が実現するのだ。
晴れの日曜日、気分はもうウキウキ。
地に足がつかない感じだが、何とか遅れずに会場に。
1階席は、音楽を愛する大人のファン達で満員だ。
私も含め、皆これからはじまる夢物語への期待に胸ふくらませ、
会場は何だかウキウキした雰囲気。
こんなにたくさんの人に愛されているカエターノ!

ついにカエターノ達が登場し、ゆっくりとていねいに静かに、
研ぎ澄まされた大人の演奏と歌がはじまった。
まぎれもなくカエターノのあの声が歌っている!(当り前)
前半は最新アルバムから、アメリカンスタンダードの英語の曲が多いが、
CDの100倍甘くダイナミックに、カエターノ節1000%!で聴かせる。
カエターノの音楽は本当に、美しく甘く、アヴァンギャルドでクラシカルで、
ロックで神聖で・・・。

往年の名曲の弾き語りで涙し、やがて絶頂のときがやってきた。
映画「ブエノスアイレス」の印象的なイグアスの滝のシーンで使われていた
私のお気に入りの曲「Cucurrucucu Paloma」。
まるで・・・・・・天国にいるようだった。
大げさに言うと、「魂が、体から離れて飛んでいきそう(アブナイ)」な体験。
鼻血が出そうで発狂しそうでたまらない!観客達を前に、
落ち着いた最高の歌と演奏を披露する、しなやかなカエターノ。
60歳を超えているなんて信じがたい官能の歌声。
本当にセクシーだった。
(べつにセクシーな衣装を着たりしてるわけでもない。あくまで自然体!)
とにかく、たまらない!

そんなこんなで皆を夢中にさせたまま、貴重な貴重な公演は終ってしまった。
私は骨を抜かれたように、とろとろになったまま家路についた。
ああぁ、もう一度体験したいー!

ブラジルのお気に入り音楽♪

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