ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

インセプション:クリストファー・ノーランが描いた映像美と最後の謎

2011年01月02日 | 映画♪
監督は「ダークナイト」のクリストファー・ノーラン、主演はレオナルド・ディカプリオ、共演は渡辺謙。荘子の胡蝶の夢を思わせるような、夢と現実を曖昧にする多層構造の物語。何よりも映像美とその雰囲気がクリストファー・ノーランらしいのだろう。そういう意味でのノーランらしい傑作。

【予告編】

映画『インセプション』予告編


【あらすじ】

ドム・コブ(レオナルド・ディカプリオ)は人がいちばん無防備になる夢の中にいる状態のときに、その潜在意識の奥底に潜り込み、他人のアイデアを盗み出すという犯罪のスペシャリストである。危険極まりないこの分野で最高の技術を持つコブは、陰謀渦巻く企業スパイの世界で引っ張りだこの存在だった。しかしそのために、コブは最愛のものを失い、国際指名手配犯となっていた。そんな彼に、幸せな人生を取り戻せるかもしれない絶好のチャンスが訪れる。そのミッションは、インセプションと呼ばれるものだった。それは彼の得意とするアイデアを盗むミッションではなく、他人の潜在意識に別の考えを植え付けるという難度の高いミッションで、ほぼ不可能だと言われていた。それでもコブは、それを最後の仕事と決め、業界トップの類まれな才能をフルに活用し、万全の準備をしてミッションに挑む。しかし、予測していなかった展開が彼を襲う。(「goo映画」より)


【レビュー】

荘子が語った説話に「胡蝶の夢」というものがある。夢の中で胡蝶となってゆらゆらと飛び回った荘周は目がさめた後も、自分が胡蝶となったのか、胡蝶が自分になったのかが分からなかったという。このインセプションという物語も「夢」と「現実」が混在したものだ。しかもそれは1つの現実と1つの夢ではない。夢の中の人物が更に夢を見て…といった潜在意識の多層世界が描かれている。

物語の造りとしては複雑なものだけれど、そこはノーラン監督がさりげなく導いてくれる。

彼らは皆で夢を「共有」する。夢というものが潜在意識下での現実だとするならば、この「夢の共有」というのは、ユングの言うところの一種の「シンクロニシティ」と見なすことができるのかもしれない。

登場する世界は5つ。現実の世界を0階層とすると、最初の夢の世界でもある1階層目が「バン」が疾走する都市、2階層目、つまり夢の中の夢の舞台が「ホテル」、3階層目は「雪山」、4階層目がモルがいた世界あるいは虚無の世界となる。

ここでこの夢の世界のルールとして、潜在意識に潜る度に脳の働きが20倍加速するという。覚醒時には人間は脳を10%程度しか利用できていないというから、睡眠中の潜在意識では普段使われていない部分も使っているということなのだろう。これが実現すると、現実での1分は、第1階層では20分、第2階層では400分、第3階層では8,000分、そして第4階層では16万分、18年分にも相当するという。

こうした時間のずれをうまく使いながら物語は進行する。基本的にはこの構造が頭に入っていれば、登場人物たちが主体的に活動するのは1つのシーン(階層)だけなので、物語は混乱することはない。

物語は、企業スパイとして活躍しているコブがサイトーの依頼を受けてライバル企業の新社長であるロバートの潜在意識に、ある情報を「インセプション(植え付け)」を目指すというもの。ロバートはいずれ、「自分で考えたことのように」その情報を現実化し、やがては企業を弱体化させるだろう、と。

こうした「サブリミナル・インパクト」は何も今に始まったことでもないだろう。僕らの行動の多くは何らかの情報によって導かれているのだから。それも本人の気付かぬうちに。通常であれば、メディアから発せられる情報や自らが接触している情報を通じて、こうした無意識下への欲望の喚起や概念の醸成はなされていく。誰かと議論をすれば、どこかで聞いたことがある反論を食らうのはそのせいだ。

こうした意思の「種」を仕込むのに、夢を通じて相手の潜在意識に植えつける、という「からくり」がこの映画のベースにはあるのだけれど、作品を見た感想からすると、その「からくり」の面白さ以上に、そうした(夢の世界に入ることで)世界を創造できる「映像」の面白さにこそノーラン監督は惹かれたのではないか。これがジャパニメーションであれば、もっと「からくり」そのものに深遠な意味を見出そうとしたかもしれない。

この作品の中ではロバートへのインセプションと同時に、もう1つの物語が存在する。それが「コブ」と「モル」の物語だ。

コブにはモルの死に対する罪悪感がある。それは彼の深層心理の「影」として、彼が潜る度に現れ、コブを死の世界(虚無)に導こうとする。現実から遠く離れた世界で2人で生きたいというモルの言葉は、しかし同時にそれがコブの潜在意識である以上、彼自身の声でもある。そしてコブが仕事を行うたびに、つまり「生きる」ことを続けようとする度に、彼の仕事を邪魔しようとする。

ここで注意しておく必要があるのは、コブが子供たちとともに現実社会で生きていくためには、単に今回のミッションを成功させ自身の犯罪暦を抹消させるというだけではなく、「父親らしい仕事」をし、「モル」への罪悪感を克服することだ。そう考えると、この物語に1つの疑念が浮かび上がる。

果たして、「現実」は「現実」だったのか。

この物語ではロバートは父親の存在を克服し、自らの信じる道を歩くという「種」が植えつけられ、実際、そのような考えを見出すことになるだろう。それはロバートの目覚めた時の晴れやかな表情からもうかがえる。

しかし同時に、コブ自体へのインセプションだったとも考えられるのではないか。彼自身が、犯罪から身を洗い、モルへの罪悪感から自身を赦し、虚無的な世界から現実にポジティブに生きようとするためのインセプションだったのだ、と。

ラストシーン。子供たちの待つ家に戻ると、彼は「トーテム」を回す。トーテムが倒れれば「現実」、トーテムが回り続ければこれは「夢」の続きだ。そのトーテムが倒れる前に、コブは子供たちのもとへと駆け寄っていく…

その結末は観客に委ねられているのだろう。エンドロールの終わりにあの音楽が鳴り響くのだった――。


【評価】

総合:★★★★☆
映像美は見事です!:★★★★★
物語にもう少し深みがあれば…:★★★☆☆

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インセプション


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