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民数記2章2節

2016年04月29日 06時28分55秒 | 聖書


★「イスラエル人は、おのおのその旗のもと、その父祖の家の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の回りに、距離をおいて宿営しなければならない。

ヤコブの手紙1章25節
★ ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。

■O:今日のコラム
しゃろーむ!4月26日の朝です。今日1日も、主から御言葉を受け取り、その御言葉を宣言し、実行していきましょう。僕らは、頭でっかちに御言葉をためていくのではなく、御言葉を実行していくときに、御言葉の約束をみることができるからです。その行いによって祝福されるのです。

603,550人のレビ人以外のイスラエル人が荒野で移動するために、それぞれの旗じるしのもとにとどまり、会見の天幕を中心に進んでいきました。神様が移動するタイミングをいつも気にかけ、自分がいるべき場所を確認し、行動していく必要がありました。旗を見上げることを実行し続けていくことで、祝福を受け取っていきました。

その道から外れる時には危険が伴いました。自分がやりたいと思うことと違う道を歩んでいる時、僕らは、本当にこれで良いのかと不安になります。神様がゴーを出してくれない時、辛くてたまらなくなります。しかし、旗じるしを見上げ続けることは、自分の思いを脇におき、主の思いを第一にしていくことです。天のお父さんであられる神様の御国とその義とを求めていくことです。その時に、それに加えてすべてのものが与えられます。僕らの思いを脇に置くとき、主は、僕らの思い描いていたこと以上の祝福で満たしてくださいます。


完全な律法、すなわち自由の律法は、イエス様が成就された十字架と復活の勝利による律法です。この福音の力を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。僕らは、御言葉を実行する者になれます。そのためには、一心に見つめて離れないことです。

僕らの主の旗じるしは、愛です。主の十字架の愛を受け取っていきましょう。血潮の愛を注がれていきましょう。聖霊様を歓迎していきましょう。


■A:考えてみよう
主の旗じるしにとどまるために、今、何ができますか?
十字架を見上げ続けていくために、僕らには何ができますか?


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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