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マタイの福音書12章31~32節

2015年01月30日 07時51分37秒 | 聖書

★だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。
また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。

■O:今日のコラム
パリサイ人たちは、イエス様が御霊の力によって悪霊を追い出したということを薄々(もしくは、はっきりと)感じつつも、イエス様を疎ましい存在とするがゆえに、その奇跡を「悪霊ベルゼブルの仕業だ」と断言しました。

妬みとは、恐ろしい感情です。
妬みや批判は御霊を冒涜します。
どこかの教会、どこかのミニストリー、教会の中での誰か、自分よりも恵みを受けているように見えたり、自分よりも油注ぎが多いように感じる相手に対して、妬みを覚えてしまう時、私たちはその教会、その働き、その人を批判します。
たとえ、それが御霊のゆえになされていることであると、感じていても、分かっていても、妬みや批判が生じる時に、人間は、その人(教会、ミニストリー)のどこか気に入らない所、どこか足りない所、どこか弱い所、どこか…etcを吊るし上げ、批判します。
けれども実は、それは御霊に逆らうことに繋がるのです。御霊の働きを否定することに繋がるのです。

では、今日のもう一つの箇所にはなんと書いてあるでしょう。

★詩篇133篇1節~3節
見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。
それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。

・「頭に注がれた尊い油」とは、聖別を意味します。祭司アロン、また宮の器具を聖別しきよめるための油です。
一致する者はさらに主の栄光のために用いられる尊い器として油注がれ、聖別されます。

・「ヘルモンの露」
昨年、初めてイスラエルに行きました。イスラエルはとても空気が乾燥している上に、私たちが2週間ほど滞在している間に雨を1度くらいしか経験しませんでした。
けれども毎朝、早くにバルコニーに出ると「夜のうちに雨が降ったのかな?」と思うほどに、床がいつも濡れていました。
それはなんと、朝露のゆえでした。
雨があまり降らないイスラエルの土地を、朝露が潤すのでした。
それを通して、乾いたイスラエルにとって、朝露はなんとも貴重であることを感じました。

・「祝福を命じられた」
主の命令は絶対です。
主が祝福を命じられたのなら、絶対に祝福されるのです。

私たち、神の家族が互いを批判することや互いに対する妬みを捨て、御霊の働きを尊び、一つとなることを努める時、その教会、そのミニストリー、その人は主の栄光のために聖別され、油注がれ用いられます。
そして、そこをいつも主が潤して下さり、絶対に祝福されるのです!ハレルヤ??
そして、詩篇はそのことを「なんというしあわせ、なんという楽しさであろう」と歌っています!アーメンです。

教会内での互いに対する妬みや批判を捨て、また教会と教会同士の妬みを捨てていきましょう!そして主にある祝福を共に受け取ってゆきましょう!


■A:考えてみよう
自分自身で、御霊に助けて頂きながら、以下のことを心に問うてみましょう。
自分が批判している人(ミニストリー、教会)はいるだろうか?
その背後に妬みがあるのではないだろうか…?


■P:祈り
主よ、理由が何にせよ、批判することを捨てます。正しいのは主よ、あなただけですから。
私の心のうちの妬み、裁く思いをどうぞ許して下さい。聖霊様、あなたを悲しませる私の性質を、どうかきよめ、新しく造り変えて下さい。
キリストの御体として、兄弟と共に一つになって住むことを喜びとし、選択します。聖霊様、どうか、このしもべに力を与えて下さい。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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