のんきに介護

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毎日新聞 / 「230万人はどのように戦死したのか」

2014年08月21日 20時56分40秒 | 天皇制と戦争
毎日新聞が

「230万人はどのように戦死したのか」

と題して、

230万人と推計される

戦没者数を

死地別に書き込んだ

地図を

アップしてました。

☆ 記事URL:http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data1.html

これです。




どの戦場でも

戦死者の6~8割が「餓死」という世界でも例がない惨状です。

このデーターの参考にした資料は、

「インパール作戦」に参加した中隊長が記した手記なようです。

歴史学者・藤原彰氏が独自分析されたようです。

毎日新聞の

上掲サイトに次のような記述がありました(〔餓死、戦病死が約6割 兵站軽視のツケ〕参照)。

――「中隊310人のうち、戦死40人、戦病死96人、患者42人」と記録していたことなどに着目。同作戦が展開されたビルマ・インド方面の戦没者約18万5000人のうち、約78%に当たる約14万5000人を戦病死者ではないかと推定した――と。


盛田隆二 / Ryuji Morita‏@product1954さんが

――日本軍の「ブラック企業」体質は70年前から現在に一直線に繋がっている〔23:20 - 2014年8月15日 〕――

というツイートをされています。

さもありなんですな、残念ですが――。

半藤一利さんがインタビューで仰る通り、

戦前の日本は、

近代国家の体をなしていなかったのだろうと思います。

――「戦没者230万人」という数字はそのことを端的に示していると思います。国民を戦地に送り込むならば、国家は責任を負わなければなりません。いつ、どこで、どのように戦没したのか。確実に把握していなければならない。ところが、「戦没者230万人」という大枠のみが残り、具体的なデータは部分的にしか残っていません。――

というくだりを読んで、

情なさでいっぱいになりました。

戦死者の6~8割が「餓死」という数値さえ

推測に基づくのです。

普通、戦争犯罪は、

相手国からなされるものです。

しかし、日本軍の場合には、

「敵は、本能寺ならぬ、日本の司令部にある」

という頂けない事情が背景にあります。

自軍を壊滅させるのは、

司令部に指導力がないからです。

棚からぼた餅で

勝利が舞い込んでくるように

考えていて、

兵站への配慮がまったくなかったのです。

そのくせ、

根こそぎ動員をしました。

そんなことをすれば、

負けるべくして負けてしまいます。

しかし、軍の指導部に

その配慮ができませんでした。

追い詰められたからそうなったのでなく、

国民は端から人間ではなかった、

ということでしょう。

言うならば、将棋の駒ならばらこそ

降伏が許されませんでした。

陸軍の特攻作戦を指揮した冨永恭次は、

出撃前の訓示で

「諸君はすでに神である。君らだけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する」

と豪語する一方、

自分は敵前逃亡で生き延びたと言います

(ウィキペディア「富永恭次」の項目参照*http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%B0%B8%E6%81%AD%E6%AC%A1)。

結局は、ただの口約束に終わったわけです。

でも、この大将、岸信介などと同じで、全然、良心の痛みなど、

持たなかったでしょうね。

不幸にして、

日本軍のリーダーは、

そういう輩ばっかりでした。

なぜ、こんな愚か者に指図されて戦わねばならなかったのか。

ひとつは、

真珠湾やマレー半島などにおける緒戦の戦果が、

目をくらませましたということが

挙げられます。

もっと根本的には、

天皇を中心とする司令部が

本質的に

‟他人任せ”だったからです。

すなわち

「靖国の神」

という

人ならぬ死者に任せっ切りにしてしまったから

愚かなことが平気で行われ、

反省どころか、

逆に、どんどんそれが美化されて行ったわけです。

結果として、

戦陣訓を人に押しつけるばかりの戯けが戦闘を指揮して、

大本営発表という

嘘が罷り通るようになりました。

それを私達は、

後の世代に教訓として

伝えていかねばならないでしょう。


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