タペストリー【tapestry】
タペストリー
【英】:TAPESTRY
【別称】:タピスリー
フランス語でタピスリー、英語でタペストリーと読む綴織壁掛(つづれおりかべかけ)のこと。製織方式は平織(ひらおり)の文様織。ふつう竪機(たてばた、経糸を垂直に張って織る機)を用い、経糸(たていと)に麻糸、緯糸(よこいと)に太い毛の染め糸(また絹や金銀糸なども)を用いる。緯糸を適当な長さに通して絵柄を織り出し、自由に絵画的主題を表現する。すでに古代エジプト時代から知られ、古代ローマやコプト、ペルシアなど東方諸国で制作された。西欧では、13〜14世紀にモニュメンタルな建築装飾として登場し、聖堂や城館の壁面や柱間を飾った。制作地は、フランドルから北フランスにかけてで、アラス、パリ、ブリュッセル、トゥルネ、ヴァランシエンヌ、ドゥエー、リールなどが名高い。代表作には、ニコラ・バターユ作「アンジェの黙示録」や「一角獣をともなった貴婦人」(パリ、クリュニー美術館)などがある。14〜15世紀が全盛時代で、16世紀からは次第に絵画化する。17〜18世紀には、フランス王立ゴブラン製作所が中心となって多くの作品が作られた。
タペストリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 14:05 UTC 版)
タペストリー(英語: tapestry)は、壁掛けなどに使われる室内装飾用の織物の一種。タペストリーは英語で、中期英語ではtapisseryといい、仏語のタピスリ(tapisserie)からきている。製織の技術では日本の
- ^ a b 図解入門業界研究最新インテリア業界の動向とカラクリがよーくわかる本本田榮二、秀和システム, 2010
- ^ “曳山のタペストリー ベルギーからの舶載品” (PDF). 公益財団法人 長浜曳山文化協会. 2014年10月24日閲覧。
- 1 タペストリーとは
- 2 タペストリーの概要
- 3 製法
- 4 歴史
- 5 図像
- 6 参考文献
タペストリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 05:02 UTC 版)
国立中世美術館は特に6枚の連作タペストリー『貴婦人と一角獣』を所蔵していることで知られるが、他にも『荘園の暮らし』、『聖ステファノ伝』などの大きなタペストリーがある。パリでデザインされ、15世紀末のフランドルで織られたこのタペストリーは、1841年、歴史的記念物監督官であった小説家のプロスペル・メリメによりブーサック城(現在のクルーズ県)で発見された。生地を守るために光量を落とした円形の特別室に展示された6枚のタペストリーはすべて千花模様(ミルフルール)を背景に貴婦人と一角獣が描かれ、うち5枚はそれぞれ「視覚」「聴覚」「味覚」「嗅覚」「触覚」の寓意を示している。最後の1枚は「我が唯一の望みに」と題されているが、「我が唯一の望み」とは何なのか、その意味はいまだ謎に包まれている。 「貴婦人と一角獣」も参照 触覚 味覚 嗅覚 聴覚 視覚 日本では2013年4月24日から7月15日まで国立新美術館(東京)で、次いで2013年7月27日から10月20日まで国立国際美術館(大阪)でこの作品を展示する「フランス国立クリュニー中世美術館所蔵《貴婦人と一角獣》」展が行われた。
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タペストリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 03:44 UTC 版)
ペリーは15m×3mのタペストリーである"The Walthamstow Tapestry"を2009年に作った。大きな織物のタペストリーで、生から死までの人生の段階にいる大きな人物の周りに多数のブランド名があらわれている。 ペリーは2015年に「ハウス・フォー・エセックス」用に大規模な一対のタペストリーを造っており、これは"The Essex House Tapestries: The Life of Julie Cope"というタイトルであった。
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タペストリー
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タペストリーは、他のやり方では頻繁にできない、より大きな寸法と色での作業をするチャンスを与えてくれた (「こんなに大きくできるとは思ってもみませんでした」)とキキ・スミスは述べている。キキ・スミスは、2010年代初頭から、ファインアートスタジオのMagnolia Editionsから発行される9x6フィートの12個のジャカード織りのタペストリーを作っている。2012年、ニューバーガー・ミュージアム・オブ・アートで、これらの織り版の3つのシリーズの展示している。2019年の早い時期、イタリアのフィレンツェにあるピッティ宮殿で「道路で見たもの(What I saw on the road)」展示の一部として12個のタペストリー全てが一緒に展示した。
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タペストリー
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タペストリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 10:24 UTC 版)
「ベルナールト・ファン・オルレイ」の記事における「タペストリー」の解説
当時のタペストリーは絵画よりも高く評価されており、金糸銀糸が織り込まれることもある高価な工芸品だった。単なる装飾としてだけではなく、宮殿や教会内陣の広く、むき出しで冷たい感じのする壁を隠すことができる付加価値も併せ持っていたためである。ベルナールトは若年のころからタペストリーのデザインを手掛けており、1530年以降になると絵画制作はほとんど行わず、タペストリーとステンドグラスのデザイン画に専念するようになった。 ベルナールトが手掛けた最初期のデザイン画と考えられているのは、フランス・ファン・タクシスの依頼によって1516年から1518年に描かれた、ノートルダム・デュ・サブロン教会のタペストリーをデザインした4枚の下絵である。それらのうちの1枚にはパトロンのファン・タクシスとマクシミリアン1世と皇帝3世の2人の神聖ローマ皇帝が描かれている。これはファン・タクシスがブリュッセルと他の帝国領での郵便制度の独占権を与えられたことへの暗喩となっている。二次元上に多くのモチーフが過密に表現されたこれらの作風は、当時のタペストリーの伝統的なデザインだった。 1520年代からベルナールトがデザインするタペストリーは、現在マドリード王宮やいくつかの美術館に散逸しているキリストの受難を表した一連のタペストリーや、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する『哀歌』に見られるように、伝統的なものからイタリア・ルネサンスの影響を受けた彼の絵画に似たものになっていった。ピーテル・デ・パンネメイカーらの職人が仕上げたこれらのタペストリーにはラファエロが描いたタペストリーの下絵や、デューラーの人物表現からの影響が明確に見られる。デューラーがベルナールト邸に滞在していたときに、タペストリーのデザインについて二人が話をした可能性がある。ベルナールトは聖ガウゲリクス教会の聖セバスティアヌス組合の会員になっているが、この組合会員の半数は専門の織物職人だった。 ベルナールトは晩年の1521年から1530年にかけて、カール5世か他の帝国宮廷人の依頼で、おそらくはヤン・ヘーテルを助手として12枚のタペストリーの下絵を描いた。現在ルーブル美術館が所蔵する『マクシミリアンの狩猟』と呼ばれるこれら一連のタペストリーは、12枚がそれぞれ12カ月に対応しており、ベルナールトがデザインした中でもっとも有名な作品となっている。制作には2年の歳月と16人の織物職人が必要で、ブリュッセル近郊の広大な森林か、ソワーニュの森で行われた狩猟を表現している。ベルナールトの下絵に描かれている厳密な構成は、躍動感にあふれたものとなっている。写実的で表現力に富み、細部まで詳細に描かれた風景で構成されたこの作品は、ベルナールトの創造力が見事に発揮されたものとなっている。 ブレダ領主ヘンドリック3世・ファン・ナッサウ=ブレダの依頼で1528年から1530年ごろに作成された有名なタペストリーも存在した。ナッサウ家の歴代当主を賛美したタペストリーで、1760年の火災で焼失してしまったが下絵は現存しており、ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵している。 7枚からなる『パヴィアの戦い』も有名なタペストリーで、現在はナポリの国立カポディモンテ美術館に展示されており、7枚の下絵はルーブル美術館が所蔵している。 『天球を持ち上げるヘラクレス』は1530年にポルトガル王ジョアン2世の求めで制作されたタペストリーで、現在はマドリード王宮で見ることができる。天球はポルトガル王家のシンボルだった。
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