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【ブログ記事】安倍晋三ファシストが最優先課題としている北朝鮮による拉致事件に何の進展もないのはなぜか

2016年01月19日 13時57分40秒 | 政治・社会

いつもお世話様です。                         

【杉並からの情報発信です】【YYNewsLive】【市民ネットメデイアグループ】【家族勉強会】【草の根勉強会】【山崎塾】【1000万人情報拡散運動】を主宰するネットジャーナリスト&社会政治運動家の山崎康彦です。

昨日月曜日(2016.01.18)に放送しました【YYNewsLive】の『メインテーマ』を加筆訂正して【ブログ記事】にまとめました。

【ブログ記事】

■安倍晋三ファシスト首相が、北朝鮮による日本人拉致事件の解決を最優先課題と位置付けているが何の進展もないのは、一体なぜなのか?

▼北朝鮮による日本人拉致事件とは?(Wikipediaより抜粋)

北朝鮮による日本人拉致事件(きたちょうせんによるにほんじんらちじけん)と は、1970年代から1980年代にかけて、朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮)の工作員や土台人、よど号グループなどにより、多数の日本人が、日本から極秘裏に、北朝鮮に拉致された国際犯罪事件である

それは以下の四つの理由があるだろう。

第一の理由:

拉致被害者家族会の元事務局長蓮池透さんが言っているように、安倍晋三は拉致被害者家族を利用して首相になった人物であり、最高権力者になった今 利用価値がなくなった拉致事件はどうでもよくなったからだ。

【関連記事1】

▼元家族会・蓮池透氏インタビュー(前編)蓮池透氏が安倍首相の“逆ギレ”国会答弁に堂々反論!「安倍さんは議員バッジよ
り先にブルーリボンを外すべきだ」

2016.01.13 Litera

http://lite-ra.com/2016/01/post-1888.html

【関連記事2】

▼元家族会・蓮池透氏インタビュー(後編)蓮池透氏がさらに安倍首相の詐術を徹底批判! 「安倍さんはきっと北の核実験
を利用し、逃げ道にする」

2016.01.14 Litera

http://lite-ra.com/2016/01/post-1891.html

第二の理由:

1970-1980年代に各地で日本人が北朝鮮の工作員によって拉致され失踪していることは、当時の自民党政権は警察庁や警視庁公安部や海上保安 庁からの捜査情報で知っていたが、北朝鮮利権を狙う当時の金丸信自民党幹事長と田邊誠社会党副委員長らによる北朝鮮訪問(1990年実現)を前に して捜査をみ消したのだ!

すなわち当時の自民党政権と当時の社会党と一緒に北朝鮮利権を独占するために、警察と海上保安庁に捜査中止を強制して事件をもみ消したのだ。

安倍晋三にとってこのことが暴露されると困るのだ。

【関連情報】

■北朝鮮による日本人拉致事件を最初にもみ消したのは誰か

2008-01-08 杉並からの情報発信です

http://goo.gl/QOylxJ

http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/9fef45787dc978aff856fb44edfedaf7

私がほぼ毎日読むブログの一つに、元レバノン大使で小泉純一郎の自衛隊イラク派遣に反対して、事実上外務省を罷免された天木直人さんの「天木直人のブログ」があります。

1月4日付け記事に【「声なき声に応えたい」と年頭に誓う読売新聞社会部長】という題の、大変面白い内容が書かれておりましたので、少し長いですが以下に引用させていただきます。

◇ ◇ ◇

「声なき声に応えたい」と年頭に誓う読売新聞社会部長

「国家的犯罪から身の回りの病理現象まで……記者の一人ひとりが追及すべき悪の対象を胸に秘め、取材している。あとはいま書ける事を書き切るだけだ。過去の苦い悔いを繰り返さないように……声なき声の代弁者でいたい……」

これは年頭にあたって読売新聞社会部長の中井一平という記者が1月4日の読売新聞朝刊に寄せている誓いである。その言やよし。読売新聞の記者は本当にそれを実行してくれるだろうか。この1年の読売新聞の記事を私は注視して行きたい。

中井社会部長がこのような決意を書いた理由は、氏がかつて駆け出しの頃、横田めぐみさん拉致事件に関して、「国策も絡むのなら記事にできないか」と独り合点して取材のほこを収めたからだ。筆を折ったからだ。

その時の経緯を今思い返して、中井部長は次のように書いている。
 
……77年11月、当時中学1年生の横田めぐみさんが下校途中、北朝鮮工作員に拉致されたとされる自宅近くの道を、(海鳴りの)音に向かって進む。

松林を抜け、荒波が打ち寄せる日本海が目に入った時、かぶさるように、ある光景が思い浮かんだ。85年の秋口、東京都内の警視庁公安部の刑事宅。深夜、帰ってきた顔なじみの刑事が、玄関先で沈んだ声で言った。「急に、『もういい』となった。

何なんだろう」門灯の薄明かりにも、さえない表情はうかがえた……「上の方」から捜査にストップがかかったという。「政治的な思惑らしい。でも日本人が無理やり、連れていかれているんだよ」。刑事はいつしか涙声になっていた。

そのころ大物政治家が日朝の関係改善に動いていた……。
 
こう書いたあと、中井部長の前掲の言葉が続く。

「国策が絡むのなら記事にできないか」。真偽は確かめられないまま独り合点して取材のほこを収めた」そして、中井部長は次のように更に続ける。「あのとき書いて世に訴えていれば」「いや、それでどうなったか」。悔いと言い訳が胸中で交錯した。年を重ねるごとに膨らむのは悔いの方だ……ならば中井部長にお願いをしたい。今からでも遅くない。たかだか20年ほど前の話だ。

あの時どのような配慮から拉致問題を不問にするという政治的判断がなされたのか。

その判断を下した政治家たちは誰か。その政治家の判断に黙って従った警察庁や外務省の官僚たちは誰か。

(引用終わり)

天木直人さんは、「日朝の関係改善に動いた大物政治家」の名前を知らないはずはありません。名前を出すと、その影響と反感が大きいので敢えて書かなかったのかと推測されます。この大物の政治家は、当時自民党幹事長の「金丸信(1914年9月17日‐1996年3月28日)」と日本社会党副委員長の「田邊誠(1922年2月25日 生まれ現在85歳)」だと私は思います。

その当時の「金丸信」と「田邊誠」の行動を「Wikipedia」で調べると、以下のようになっています。

●「金丸信」に関する「Wikipedia」の記述の一部。

*1990年、日本社会党の伝手を頼り田辺誠らと訪朝団を編成。団長として朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問する。金丸と金日成主席が、日本語を用いて差しで対談を行う。しかしやり取りが文書として残っていないため、一体何を話したのかが謎となっている。

この空白の数時間の間に取り決められたといわれる約束が、日朝の交渉においてしばしば「金丸さんが金日成主席と約束した」という形で北朝鮮側から持ち出されることがある。このとき自民党の代表として国交正常化や統治時代の補償とともに『南北朝鮮分断後45年間についての補償』という約束を自民党、社会党、朝鮮労働党の3党で交した。

*(後に、金丸の脱税捜査の際に発見されたとされる無刻印の金の延べ棒数億円分はこの時北朝鮮から貰ったのではないかとする噂が流布された。また、この延べ棒と同じ溶鉱炉で製造されたとされる延べ棒がオウム真理教の施設から発見されている)
      
*拉致疑惑についても何の進展もなされなかった事もあり、この約束は帰国後「土下座外交」と批判を浴び、自民党の承認を得られず反故とされる。

(引用終り)

●「田邊誠」に関する「Wikipedia」の記述の一部

*1977年12月、飛鳥田一雄委員長の下で国会対策委員長に就任。国対委員長時代には、自民党の金丸信国対委員長とのパイプを築いた。金丸との盟友関係は金丸の死去まで続き、互いに「マムシとナマズ」と呼び合うほどだった。

*1989年自民党が惨敗した7月参院選で社会党が躍進後に副委員長に就任。

*1990年金丸信(自民党元幹事長)と共に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問し金日成国家主席・朝鮮労働党総書記と会談した。

(引用終り)

読売新聞の中井社会部長が、駆け出しの社会部記者として警視庁公安部の刑事宅を夜回りした際、「上の方」から捜査にストップがかかったことを聞かされ、「国策が絡むのなら記事にできないか」と勝手に思い込み、「横田めぐみさん拉致事件」の真相追及を止めたのが1985年でした。

当時は、日本社会党が唯一北朝鮮と交流があったわけで、金丸信は、盟友であった日本社会党副委員長の田邊誠を対北朝鮮の窓口にして、1990年に実現する「北朝鮮訪問」の準備をしていた時期にちょうど重なります。

当時の日本社会党委員長は、土井たか子(1928年11月30日-現在79歳)でした。田邊誠はその後日本社会党委員長(1991-1993年)についています。

民主党の小沢一郎は、当時金丸信の一番弟子で秘蔵っ子であり、「訪朝団」の一員として訪朝しています。(1990年 金丸訪朝団の一員として北朝鮮を訪問する=

Wikipedia)

もしも、1985年段階で、「横田めぐみさん拉致事件」の捜査が「政治的な思惑」で打ち切られる事なく、マスコミの追求も止めないでいて、「拉致事件の真犯人は北朝鮮工作員」であることがその時点で公表されていたならば、その後の展開は全然

違った方向になっていただろうと推測されます。日本全国で警戒態勢と監視体制がとられたであろうから、その後の拉致事件は防げたのではないでしょうか?

ま」た、「北朝鮮による日本人拉致事件」が、小泉純一郎や安倍晋三など「国策で捜査をストップさせた」当事者の自民党の政治家達に、自分達の人気取りに利用されつづけてきた「拉致被害者とご家族」の運命もまた違っていたのかと思われます。

ブログの最後に、天木直人さんは、次のように書いています。

「ならば中井部長にお願いをしたい。今からでも遅くない。たかだか20年ほど前の話だ。あの時どのような配慮から拉致問題を不問にするという政治的判断がなされたのか。その判断を下した政治家たちは誰か。その政治家の判断に黙って従った警察
庁や外務省の官僚たちは誰か」

金丸信は1996年に死亡していますが、田邊誠は85歳で今でも存命しています。土井たか子は79歳で現役で活躍しています。小沢一郎は民主党代表で現役です。少なくとも上記3人の政治家には、天木さんの読売新聞中井部長への質問と全く同じ質問をしたいと思います。「あの時どのような配慮から拉致問題を不問にするという政治的判断がなされたのか。その判断を下した政治家たちは誰か。その政治家の判断に黙って従った警察庁や外務省の官僚たちは誰か」

彼ら3人の政治家は、当事者として国民に真実を述べる義務があります。特に田邊誠は、金丸信と「マムシとナマズ」と呼び合うほど親しく、1990年の「金丸訪朝」の準備と訪朝を企画・実行した中心人物です。すべを語って欲しいものです。

(記事終り)

第三の理由:

拉致事件が発生してからすでに30-40年近く経過しており、拉致被害者のほぼ全員がすでに死亡しているため、北朝鮮は日本政府に約束した拉致被 害者の安否調査報告ができないのだ。

第四の理由:

安倍晋三は、横田めぐみさんが1994年4月10日に精神病院・平壌49号予防院で[劇薬・薬物の過剰投与]で30歳で死亡したことを知ってお り、これを隠ぺいするためにわざと解決を遅らせているのだ。

【関連情報】

■安倍自公政権はこれで一挙に崩壊するだろう!

2014-11-08 杉並からの情報発信です

http://goo.gl/ffnfgH

http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/192d84048da619ea07a8ff1aa36d6a54

安倍自公政権はこれで一挙に崩壊するだろう!

韓国紙【東亜日報】は、1977年11月15日新潟市で下校途方に北朝鮮工作員に拉致された当時13歳の女子中学生横田めぐみさんが、1994年 4月10日に精神病院・平壌49号予防院で[劇薬・薬物の過剰投与]で30歳で死亡したとの詳しい報告書を単独入手して11月7日付け記事で報道 した。

【東亜日報】は記事の中で「めぐみさんを直接埋葬した脱北者の口から死亡の可能性が提起されたことは、拉致被害者家族と日本国民にメガトン級の衝 撃を与えることは明らかだ」「こうした事実を知りながら隠してきた安倍政権も不信を抱かれるとみられる」と分析し「北朝鮮に利用されたとの批判は 免れず、政権発足後、最大の政治的危機を迎えるとみられる」と述べている。

2014年9月11日付けのこの報告書は、日本政府の拉致問題対策本部職員が韓国人の拉致被害者家族会代表とともに、めぐみさんが死亡したとする 精神病院・平壌49号予防院の関係者2人に第三国で面会した時の報告書であり、報告書に日付の9月11日から遅くとも1週間以内に安倍晋三首相と 菅官房長官に内容が報告されていたのだ!

安倍晋三首相と菅官房長官は、20年前にすでに横田めぐみさんが[死亡]している詳細な報告書を受け取り[死亡]の事実を知っていながら、このこ とをめぐみさんの両親にも国民にも知らせず、13歳の横田めぐみさんを拉致し30歳で精神病院で殺した犯罪国家・金正恩北朝鮮独裁政権と【拉致被 害者電撃帰国】のサプライズ演出のために口約束だけで制裁を事前解除して交渉を進めて北朝鮮に完全に利用されていたことが、これで暴露されたの だ!

1977年-1980年にかけて主に日本海岸沿いで組織的に行われた【北朝鮮による日本人拉致事件】の主犯は、当時の金正日北朝鮮総書記であり、 共犯は北朝鮮との国交回復による【北朝鮮利権】を狙い拉致事件の捜査を妨害し中止させた当時の金丸信自民党幹事長と歴代自民党政権なのだ!

また北朝鮮と金丸自民党を結び付け【北朝鮮利権】に食い込もうと画策した田辺誠社会党委員長ら当時の社会党執行部は【北朝鮮による日本人拉致事 件】は共犯だろう!

それにしても安倍晋三ファシスト首相の報道禁止令にしたがって、この衝撃的な重大情報を一切報道しない、NHK.朝日新聞、読売新聞、東京新聞、 日経新聞はもはや報道機関ではないだろう!

とりわけスクープ報道した【東亜日報】と直ちに配信フォローした【ハフィントンポスト日本語版】と【特別提携】している朝日新聞が一切沈黙してい るのはまさに犯罪的だ!

【関連情報1】

▲横田めぐみさん「劇物・薬物の過剰投与で死亡」韓国紙が報告書入手と報道

【北朝鮮・ 拉致問題】

2014年11月07日 ハフィントンポスト日本語版

http://www.huffingtonpost.jp/2014/11/06/yokota-megumi-dead-dongailbo-reported_n_6118782.html?utm_hp_ref=japan

韓国の大手紙・東亜日報は11月7日付で、北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんが、「劇物や薬物の過剰投与で死亡した」とする「日本政府の極 秘調査」 の報告書を単独入手したと報じた。

安倍内閣に報告されたというこの報告書には、2014年9月11日に、日本政府の拉致問題対策本部職員が、韓国人の拉致被害者家族会代表ととも に、めぐみさんが死亡したとする精神病院・平壌49号予防院の関係者2人に第三国で面会した内容が含まれている。

証言によれば、めぐみさんは「完全隔離病棟」に収容され、30歳だった1994年4月10日に死亡し、15日に付近の山に埋葬された。証言者たち は「精神安定剤、 睡眠薬を主に服用し、注射された」とし、睡眠薬のハイミナルなど、薬の種類と 服用した量に言及した。

証言者たちは「患者が死んだ当時、全身に青い斑点があった」「劇物や過剰な量の薬物を飲んだり注射されたりしたとき見られる所見」とした。さらに 「(め ぐみさんの)遺体は(国家安全)保衛部(労働)党組織の指示で、トラクターに乗せられ、他の遺体5体とともに山に運ばれ、棺もなくそのまま 同じ穴に埋められ た」という。

■菅官房長官「信憑性はない」

東亜日報は「めぐみさんを直接埋葬した脱北者の口から、死亡の可能性が提起されたことは、拉致被害者家族と日本国民にメガトン級の衝撃を与えるこ とは明らかだ」「こうした事実を知りながら隠してきた安倍政権も不信を抱かれるとみられる」と分析した。「北朝鮮に利用されたとの批判は免れず、 政権発足後、最大の政治的危機を迎えると みられる」とも述べている。

一方、菅義偉官房長官は7日の記者会見で、信憑性はないとの見方を示し、「政府としては様々な情報収集を行っている。具体的な内容について は控えたい」 と話した。

■報告書全文「死んだ当時、全身に青い斑点」

同 紙によると、入手した報告書は「横田めぐみさんの死亡を目撃した北朝鮮の 関係者」に面会したという「日本政府の拉致問題対策本部と、韓国の崔成竜・拉北者 家族会代表の共同調査報告書」で、A4判に9枚。日本の拉致問題対策本部が用意した7個の質問に、証言者が手記で答える形で作られた。報告書の最後に「日本政府拉致問題対策本部事務局」が作成した文献であることが明示されている。その下に、拉致問題対策本部関係者3人と、拉北者家族会の崔代表の名前が書かれている。原本は日本政府が持ち、韓国政府当局もコピーを持っている。

同紙が報じた報告書全文は以下の通り。

----------

<1>その女性が日本の拉致被害者、横田めぐみさんであるとどうして分かったのですか? 横田さんはいつ、どこから烽火診療所(平壌の高級幹部専 用の病院)に来ましたか? 横田さんが来たとき、精神状態、身体の状態はどうでしたか?

A 病歴書(診療記録書)にリュ・ミョンスク(女性、めぐみさんの朝鮮名)1964年10月5日生まれ、1977年日本から朝鮮に囚われて入国し、(国家安 全)保衛部の調査を受けていたそうです。最初、病院に到着したときには健康状態、精神状態も良好でした。しかし過酷な調査を受けて健康状態が悪化 し、保衛部の病院で治療を受けたこともあったそうです。私に、日本の故郷の住所を示して、自分の消息を知らせてほしいと頼まれました。烽火診療所 はこの女性が行けるところではありません(注:横田さんが入院していた病院はここではないという意味)。

<2>横田めぐみさんの主治医は誰で、どのような経歴の医師でしたか? その主治医はめぐみさんにどのような治療をしまし たか? めぐみさんの看護を担当した看護師がいたなら、氏名と住所、職業と役職を説明して下さい。

A その日本の女性は精神科に入院し、治療を受けていましたが、担当の主治医は男性でした。精神安定剤、睡眠薬を主に服用、注射されていました。土曜、日曜や祝日には、医師や看護師が交代で勤務しました。平壌市●●区域●●洞●●班。(崔代表は「証人2人のうち1人」)と話した。証言者の安全のため 実名を公 開しない)

<3>横田めぐみさんは診療所で一日をどのように過ごしていましたか? めぐみさんとどのような話をしましたか? めぐみ さんを訪問したり病状を確認したりする人はいましたか?

A  一緒に拉致された男性(1978年に韓国から拉致された金英男氏)と結婚し、 日本から朝鮮にやってきたこと、故郷の父母の話、朝鮮幹部が 「朝鮮で教育を 受けたら日本に戻してやる」と約束した話をしていました。しかし夫に、約束通り両親に手紙を送ろうという話を巡って激しくけんか し、その後、 夫が女性を遠ざけるようになったそうです。夜になると、両親を呼ぶ悲痛な声「オサンオサン(注:お父さん、お母さんを聞き違えたと思われる)」が聞こえま した。保衛部が随時監視しており、面会も謝絶でした。海外同胞迎接部の人もときどき来ました。人民班長と周辺人物に秘密情報院を潜入させて監視しました。 病院に入院したときは、特別に隔離病棟に入りました。この精神病院(平壌49号予防院) は、鉄道の駅から歩いて数時間かかる山の中にありました。たまに患 者が逃げ出して付近の住民に迷惑がかかるため、遠隔地に病院を建てたそうです。

<4>横田めぐみさんにどのような薬を、いつからいつまで、どのくらい投与しましたか?

A ディアゼパム(Diazepam)0.002 1錠、1日2~3回、1回2~5錠、内服。患者の精神安定目的。

ハイミナル(Hyminal)0.1 1錠、1日2回、1回2~4錠ずつ内服。強力な睡眠作用がある。5錠以上投与すると20時間の睡眠誘導効果があり、10錠以上投与すると致死量に至る。

アミナジン(Aminazin)錠剤、注射でそれぞれ処方。注射2ml~5ml程度(筋肉注射)。精神安定および睡眠誘導のため。

※「5mlを1日最大8回服用すると40mlになり、致死量の水準だ。体の弱い人は1日 10mlでも多量に服用したことになる。ハイミナル は呼吸抑制効果があり危険 だ」とする韓国人医師の見解が併記されている。

<5>横田めぐみさんが死亡したとすると、どのような原因でいつ死亡しましたか? めぐみさんが死亡したとき、そばにいた 人はいましたか? いたらその人はどんな人で、めぐみさんの死後に遺体を処理した人は誰ですか? めぐみさ んの遺体はどのように処理され ましたか?

A 私は1990年から95年までこの病院に勤務しました。この患者は1994年4月10日に死亡しました。数日後、4月15日に山に埋葬されました。遺体は 保衛部が党組織の指示で山に直葬されました。「直葬」とは、棺もなく、穴だけを掘ってそのまま埋めることを言います。トラクターに乗せた他の遺体 5体とともに、同じ場所に埋葬しました。当日、医師1人、看護師1人、看病院5人が処理作業をしました。この女性患者が死亡した当時、全身に青い斑点がありまし た。通常の遺体には現れない所見です。劇物や過剰な量の薬物を飲んだり注射されたりしたときにみられる所見です。

※匿名の専門医は「劇物や 薬物を過剰に服用すると、全身に青い斑点が現れることがある。劇薬で皮下治療を試みたのであれば、時間がたつにつれて出血部位が青くなること もある」と話 した。ただ「死斑の色だけで死因を推定するのは難 しい」との意見を述べる法医学の専門家もいる。

<6>烽火診療所の所在地 はどこですか? 烽火診療所および付属施設の位置関係を絵で示してください。北朝鮮は横田めぐみさんが入院した場所は49号予防院と主張 していますが、烽 火診療所と49号予防院は同じ施設ですか? 横田めぐみさんは診療所の何棟の何階、何号室にいましたか? 烽火診療所全体の医師、 看護 師、入院患者数は何人ぐらいですか?

A (烽火診療所と49号予防院は同じ施設では)ありません。平壌市49号病院 (予防院)、平壌市…(住所)

●●●(証言者2人のうちもう1人):医師10人、看護師11人、看病員15人、経理課職員4人、薬局職員3人、食堂職員3人、隔離病棟、特別隔 離病棟 が別にあります。男性病棟、女性病棟、ベッド数100、1病室に2~5のベッドがあり、ベッドがない床の病室もある。個室もある。食堂、院長室、医師室、 看護師室、処置室、注射室、青年学校、秘書室、経理課があった。完全隔離病棟は、意識障害の激しい患者が隔離されていた。すべての病室には扉に外からしか 開けられない鍵がついている。食事は重症の患者は病室まで運び、軽症の患者は食堂で食べます。

<7>横田めぐみさん以外に他の日本人拉致被害者について見聞きしたことはありませんか?

A 覚えていません。

2014年9月11日

【関連情報2】

▲【東亜日報】2014年11月07日付記事原文

http://news.donga.com/Main/3/all/20141107/67719661/1

【関連情報3】

▲横田めぐみさん:韓国紙報道「薬物過多で1994年死亡」

毎日新聞 2014年11月07日 

http://mainichi.jp/select/news/20141108k0000m030086000c.html

【ソウル大貫智子】韓国紙・東亜日報は7日付朝刊で、北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん(行方不明時13歳)について、日本政府の 拉致問題 対策本部と韓国の拉致被害者家族会による共同調査の結果、薬物過多などにより1994年に死亡したとの証言を得たと報じた。信ぴょう性は不明だ。

同紙によると、調査は今年9月11日に実施。めぐみさんが入院していたという平壌 市内の病院関係者2人と第三国で面会し、日本政府の質問に対して 手記により回答を得た。この病院関係者によると、めぐみさんは隔離病棟にいたが、精神安定剤や睡眠薬の多量服用により94年4月に死亡。 遺体は棺おけもな く他の遺体とともに山中の穴に埋められたという。生前は、夜になると「お父さん、 お母さん」などと日本語で泣きながら呼ぶ声が聞こえたと伝えている。

北朝鮮側は2004年の日朝協議で、めぐみさんは94年4月に自殺したと日本側に伝えた。

韓国の拉致被害者家族会代表は12年、めぐみさんが04年12月に死亡したと の情報を得たと述べていた。

【関連情報4】

▲拉致再調査 「横田めぐみさん、過剰投薬死」韓国紙報道 政府「事実と異なる」

産経新聞 11月7日

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141107-00000523-san-kr

【ソウル=加藤達也】韓国紙、東亜日報は7日、日本政府の拉致問題対策本部が今年9月に韓国の「拉北者家族会」の崔成竜代表と共同で脱 北者に対する調査を行った際の報告書を入手したと報じた。

報道によると、証言者は北朝鮮で拉致被害者の横田めぐみさん(50)=拉致当時(13)が入院していた国家安全保衛部の病院に勤務して いたとし、横田さんの朝鮮名「リュミョンスク女」と書かれた診療記録を見た際、「1964年10月5日生まれ。77年に日本で北朝鮮につかまって連れてこ られた」と記載さ れていたと話したという。また横田さんは「94年4月10日に死亡した」と主張。死因は睡眠剤などの過剰な投与だった-としている。

日本の政府関係者は産経新聞の取材に「報道された内容は日本政府が把握している事実関係と異なる部分が少なくない」とした上で、「拉致 被害者に関しては幅広く情報収集を行っている」としている。

【関連情報5】

▲横田めぐみさん死亡との報道、信ぴょう性ない=菅官房長官

2014年 11月 7日 ロイター日本語版

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0IR05920141107

[東京7日 ロイター] - 菅義偉官房長官は7日の閣議後会見で、韓国紙の東亜日報が、拉致被害者の横田めぐみさんが北朝鮮の薬物過剰投与によって亡くなっていたと報じたことについ て、報道は承知しているが信ぴょう性はないと語った。

韓国の東亜日報の報道について菅官房長官は「政府としては様々な情報収集を行っている。具体的な内容については控えたい」と述べた。東亜日報から 政府に通知はなかったとし、東亜日報が北朝鮮の調査報告書を入手したかどうかについては「まったく承知していない。そこはないと思う」と語った。

さらに菅官房長官は「今までも、生存情報とかいろんな情報が乱れ飛んでいる」 と指摘、「政府としては拉致被害者の全員の生存を前提に、懸命な取り 組みを行っている」と述べた。

また、菅官房長官は北京を訪問した谷内正太郎国家安全保障局長が中国の楊潔チ国務委員と6日に会談したことを明らかにした。会談内容については 「報告を受けていない」としたが、「日中関係全般、日中の安全保障政策について意見交換した」という。

アジア太平洋経済協力会議(APEC)の際の日中首脳会談については「形式にとらわれることなく両国首脳が胸襟を開いて会談することは極めて大事 だ」と述べるにとどめた。エボラ出血熱への対応について、菅官房長官は、日本として新たに最大1億ドルの支援を行うと発表した。週末からの一連の首脳会合の際に、日本の姿 勢を示 していくという。

(石田仁志)

(記事終り)

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