ある日町が透明なドームにすっぽりと覆われてしまい、外界から完全に隔絶されてしまう。飛行機がそれに激突して墜落してしまうほど高く、また地中深くにも潜っている。
それが透過させるものはごく小さな微粒子だけで、雨粒なども通さない。
異常事態に巻き込まれた小さな町、チェスターズミルの住人たちを、さらなる不幸が待ち受けていた。有力者の一人が、外界から手出しができないのをいいことに、独裁者として町を牛耳ろうと動き始めたのだ。ならず者を臨時警察官として任用して私兵のように使い、食料や酒の販売を禁じて生活手段を掌握しようとする。その邪悪な意図に気づいた一部の住民たちが、彼を排斥しようとして水面下で動き始めるが、一度権力の座についた者は、容易にその地位を諦めようとはしない。両勢力の衝突が、新たな悲劇を生んでしまうのだ。
ドームの外にいる人は、悪化していく事態を眺めていくことしかできない。
ホラーの帝王、スティーヴン・キングの新作『アンダー・ザ・ドーム』は、上下巻で1300ページを超す大作だ。一つの都市が外界から隔絶される、という設定自体はそれほど珍しいものではない。日本でいえば、小松左京に『物体O』『首都消失』などの作品がある。最近でいえば、2007年のアニメ「ザ・シンプソンズmovie」もそういう設定だ。そういえばネットで『アンダー・ザ・ドーム』は「ザ・シンプソンズ」にインスパイアされた、という説が囁かれたこともあり、キングを大激怒させたとか。
本書の作者あとがきに「この『アンダー・ザ・ドーム』を最初に書き始めたのは一九七六年のことだったが」と冒頭に断られているのも、「ザ・シンプソンズ」に影響されたわけじゃないよ、と一応前置きしておきたかったのでは、というのは下衆の勘ぐりですか。
わざわざ断ることではないかもしれないが、『アンダー・ザ・ドーム』は、素晴らしいオリジナル小説である。何よりもその書きぶりに特色がある。この小説で描かれるのは、ドームに閉ざされた内部の出来事だけなのである。こうしたパニック小説の場合、普通の作家なら事態収拾に向けて対策をとる政府の動きを書いたり、軍隊による作戦を事細かに描いたりする。それはほとんどなし。
ドーム外の描写は最小限に抑えられ(名前を与えられる人も3人ぐらいしか出てこない)、ドーム内の、神経が参ってしまいそうな状況がひたすら描かれていく。
何十人もの登場人物が出てくるが、特に印象的なのは町の権力者、ビッグ・ジム・レニーだ。彼は、キリスト教原理主義者なのである。胸が悪くなるような陰謀を企み、平気で人を殺す。そうした悪漢なのに、異常なほどキリスト教の規律には忠実なのである。酒を飲まず、いわゆるフォーレターワーズの類も口にはしない。
そうした人物が民主主義の原則を踏みにじっていくのである。自分こそが法律であるとうそぶき、裁判なしで囚人を死刑にしようとする。聖書を盲目的に信奉し、黙示録に描かれた終末を待ちわびている、狂信的な原理主義者のカリカチュアがレニーだ。彼のような人間が、今のアメリカ合衆国では大きな権力を握っている。それを皮肉ったものだろう。『アンダー・ザ・ドーム』は、キングが諷刺家としての顔を見せた小説でもあるのだ。


この超大作の刊行を記念して、5月13日(金)に新宿2丁目の「Club EXIT」で「スティーヴン・キング酒場」のトークイベントが行われた。ホスト役を務めたのは白石朗・永嶋俊一郎(文藝春秋)。そしてゲストは画家の藤田新策だ。『アンダー・ザ・ドーム』の翻訳者・編集者・装丁家の揃い踏みである(総合司会は杉江松恋)。
トーク第1部は、藤田新策が手がけたキング本の装画について、それぞれコメントをするという形で行われた。藤田が表紙を最初に描いたキング本は文庫上下巻の『ペットセマタリー』だ。
原作を映画化した作品も公開されることになり、編集者は大部数を刷った。しかし思わぬ事態が待ち受けていたのである。連続幼女誘拐殺人事件の容疑者として宮崎勤が逮捕されるというショッキングな出来事があり、ホラー関連の業界はすべて自粛ブームに。映画も1週間で打ち切りになってしまったのだ。
その後も藤田は次々にキング作品の装丁に携わり、『IT』『ザ・スタンド』などの代表作も手がけてきた。その中には『ドリームキャッチャー』のように、全巻を繋ぎ合わせると一つになるような仕掛けのものも多くある。『ドリームキャッチャー』の表紙は、画面を横切って走る鹿が全巻に書かれているのだが、これが音楽でいう通奏低音のような働きをし、連続性を出しているのだ。絵によるDJのような効果を狙っているといってもいいだろう。キング作品は、人口1000人そこそこというスモールタウンが舞台となることが多い。というよりも大都会がそのままの形で出てくることはまずないのである。藤田が幼少期を過ごした静岡の町がまさにそうしたスモールタウンで、『IT』のようにそのイメージが重ねられている装画もあるという。

藤田が装画を描くときには原稿を読み、作品を代表するような「絵」が浮かんでくる場面を探す。キングはそうした場面をつかみやすい作家だそうなのだ。たとえば、最新刊の『アンダー・ザ・ドーム』では「ピンクの星が降っている」という印象的な場面があり、もちろん装画にも反映されている。このことに関して、藤田は興味深い仮説を述べていた。村上春樹『1Q84』に「月」や「空気さなぎ」などの印象的な視覚ギミックがあったように、「絵になる場面」がすぐ頭に浮かぶヒット作は特に最近になって増えてきた。これは現代の流行作家には共通した傾向なのではないか、というものだ。視覚という観点から作品をとらえた、傾聴に値する意見であると思う。

トークイベントの第2部では、最新作『アンダー・ザ・ドーム』の話題に始まり、キング作品全般について、意見が交わされた。実はここで来場していたファンを驚かせる出来事があった。「たまたま会場にいた」評論家・滝本誠氏や、翻訳家・風間賢二氏がホストの2人に呼び寄せられる形でぶらりと登壇してきたのだ。Ustreamの中継を見ていた人が「なにこのスーパーロボ大戦」とツイートしていたが、もっともな意見だと思う。ホラー業界の重鎮が舞台上に集結してしまった(ちなみに白石氏と風間氏は、同じ出版社の元同僚)。キングから波及してディーン・クーンツ、ロバート・マキャモンといった他の作家にまで話題は及び、日本のモダン・ホラー受容史を振り返るような形であっという間に2時間が過ぎたのであった。

この「キング酒場」は、Club EXITを主戦場として開催されているトークイベント「Live Wire」の一環として開催された。会場に来られなかった人、中継を見逃した人はアーカイブでイベントの模様を観ることができるので(無料!)、ご覧いただきたい。トークの内容を充実させることはもちろん、一つの題材を肴にしてファンが集い、盛り上がる拠点にしようという意図もあり、ミステリ・ホラー好きな人が集う拠点「ミステリ酒場」としてシリーズ化される。とりあえず次は夏。納涼にふさわしく「ゾンビ酒場」、さらに新刊発売に合わせて「ジェイムズ・エルロイ酒場」などの企画が予定されている。今後の展開にも注目いただけるとありがたい。(杉江松恋)