わたなべ正博の「万歳録」

日本共産党上田市議会議員「渡辺正博」の日記帳(まんさいろく)
2009年5月3日スタート

沖縄県知事選挙は沖縄だけでなく日本全体の今後の進路にも大きな影響を与える

2014年10月27日 22時22分43秒 | 日記
日本における米軍基地の74%が沖縄にあり、その存在は沖縄県民を苦しめてきました。
沖縄県民が米軍基地の撤去を望むのは当然です。
しかし、このような沖縄県民の願いに、日本政府は全く応えようとしてきませんでした。
日本政府は、沖縄の米軍に出て行ってほしくないからです。だから、国外移設を主張し
ないだけでなく、新基地の建設や思いやり予算など積極的に米軍の引き留め策を講じよ
うとしてきました。

そもそも、米軍普天間飛行場の移設について持ち出したのは、1995年の米海兵隊員に
よる少女暴行事件を契機にした県民感情の悪化と普天間基地の危険性に大きな危惧を
抱いた米政府の方でした。当時、共同通信の記者としてこの件をワシントンで取材し
ていた春名幹男さんは、その著『秘密のファイル(下)―CIAの対日工作』(共同通
信社、2000年)の314頁で次のように書いています。

1996年2月23日、カリフォルニア州サンタモニカでクリントンに会った橋本は、
「本当に言いたいことはないのか」とクリントンに促されて、「あえて付け加えると
すれば、普天間返還を求める声は強い」と口を開いた、という。
だが、現実には、この時点でアメリカ側は、〝落としどころ〟は「普天間返還」と読
んでいて、橋下の発言を予想していた。
橋本がなかなか口を開かないから、クリントンの方から誘い水を向けたのである。
つまり、「普天間返還」が決まったのは「クリントンの方から誘い水」を向けられた
からなのです。
それに促されて橋本首相が「普天間返還を求め」たのが、この問題の始まりでした。

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