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(国策の果て もんじゅの20年:下)原子力開発、根幹への疑問符

2015-11-21 | ニュースから

朝日新聞連載から

(国策の果て もんじゅの20年:下)原子力開発、根幹への疑問符

2015年11月21日05時00分

写真・図版

「もんじゅ」の中央制御室を模したシミュレーター室で原子炉起動準備の操作訓練をする運転員ら=17日、福井県敦賀市、大野正智撮影

 高速増殖原型炉もんじゅの運営見直しを原子力規制委員会が勧告した13日、日本原子力研究開発機構の前理事長、松浦祥次郎相談役(80)は真意を測りかねていた。「この勧告は、いったいどんな成果を期待しているのか」

 文部科学省の幹部は「これは、答えのない問いだ」。

 勧告は、機構に代わって運転を安全に行う能力がある者を「具体的に特定する」よう、馳浩文科相(54)に求めた。

 開発をずっと担ってきたのは動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の流れをくむ人たちだ。機構の他にこの施設を熟知した集団があるはずはない。東京電力福島第一原発事故でふつうの原発の再稼働もままならない原子力界に、先の見えない研究開発炉の運営を担う余力は乏しい。

 戦後の原子力開発に黎明(れいめい)期からかかわってきた住田健二・大阪大名誉教授(85)は現状を憂う。

 「このままもんじゅをだらだらやって、もし事故か何かがあれば、原子力全体がめちゃくちゃになる。いったん開発から撤退し、スタートからやり直すくらいの気持ちが必要だ」

 消費した以上の核燃料を生み出す高速増殖炉を開発し、エネルギーの自立を果たす。それが日本の原子力開発の最終的な目標だった。規制委の勧告は、その根幹を突いた。

 

 ■変わる位置づけ

 世界の主要国は当初、みな高速増殖炉に魅せられた。高速増殖炉こそが原子力の利点を最大限に引き出すと考えていたからだ。

 もんじゅと同じ段階にある原型炉は、旧ソ連のBN350が1973年にまず運転を開始。翌74年にフランスのフェニックスが続き、76年には英国のPFRが稼働した。日本は85年にもんじゅに本格着工し、後を追った。しかし、技術的な難しさや、巨額な開発投資に見合う利益が簡単には得られそうにないことなどから、英独は開発から撤退。フランスも原型炉の次の実証炉まで建設したが、すでに廃止した。

 「開発に世界で50年にわたり10兆円以上が投入されたが、商業化できた国はない」「ふつうの原発よりずっとコストが高く、信頼性が低い」。フランク・フォンヒッペル・米プリンストン大名誉教授(核政策)は6日、都内であった核燃料サイクルのシンポジウムで、そう指摘した。

 日本でも、もんじゅの位置づけは様変わりした。消費した以上の核燃料を生み出すという利点は2000年の原子力開発利用長期計画で明示されなくなった。昨年4月に閣議決定されたエネルギー基本計画では「実用化」の文字も消えた。

 それでも撤退はしない。

 気がつけば、投じた国費は約1兆円に膨らんだ。国内外にたまった日本のプルトニウムは非核兵器国で最多の約48トンに。国際的な批判を受けかねない状況だ。

 

 ■「透明性が大切」

 勧告への答えは、どこにあるのか。

 20年前のナトリウム漏れ事故などを受けて設置された旧科学技術庁の動燃改革検討委員会。その座長を務めた吉川弘之・元東京大総長(82)は「透明性をもって情報をすべて公開し、国民が決めることだ」と話す。

 日本は高速増殖炉のない原子力開発の姿を描いたことはない。国民の声が届かないところで、原子力の世界の人たちだけで決めてきた。半世紀以上続くその構図が問われている。

 吉川さんは言う。

 「日本には様々な課題があるのに、50年後に高速増殖炉をやろうといって国民的な合意を得られるか。国民の支持がなければ、やめるしかない」

 (編集委員・上田俊英 桜井林太郎)

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