ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【法廷傍聴】難波先生より

2014-02-27 08:18:47 | 修復腎移植
【法廷傍聴】松山での「修復腎移植」裁判の傍聴に行って来た。広島県中央部の里山に住んでいるから交通の便が悪く、15:53呉港発松山行きの水中翼船に乗るのに、自宅前を13:36に出る路線バスに乗らなければならなかった。松山のホテルに着いたのは19:00を廻っていた。まったく東京に行くより遠い。
 ホテルの前が裁判所なので、今朝はゆっくりできた。9:30に裁判所に行くと、もう20人ばかり傍聴者が集まっていた。それでも全部で50人くらいに留まり、傍聴券の発行にはならなかった。メールのやり取りをしている人やブログの開設者など、旧知の人にも会った。

 10:00から法廷が始まった。冒頭に光成弁護士が、私が傍聴していることを述べ、裁判長と被告側代理人(弁護士)の了承を求めたら、すんなり認められた。一泊してここまで来て、退廷ということになったら困るなと思っていたのでほっとした。
 午前中は吉田克法証人(奈良医大・病院教授:日本移植学会理事・広報委員長)の尋問があった。「病院教授」というのは「臨床教授」と同じような意味で、講座の教授でないので講座は泌尿器科に所属していると、本人から説明があった。昔、外部の講師を「非常勤講師」と呼んだが、いまは「臨床教授」と呼ぶ。あれと同じ意味の「名ばかり教授」ということだ。講座は「泌尿器科」に属しているとのこと。
 大学病院には医学部と違い、中央検査・診療部門があり、「臨床検査部」、「輸血部」、「救命救急部」などがある。「透析部」もその一つで、全科にサービスする部門だから各科の拠出金でなり立っている。臨床教授というのはそこの部長という意味で、講座の教授が部長を併任しているケースも多い。吉田は2012年から臨床教授に昇任したそうだ。現在の肩書には「日本移植学会理事」があるが、これは今年の2月からだとのこと。

 原告側弁護士の質問に応じて、要旨次のような答弁をした。
 「2006年当時、学会広報委員会の委員であり、学会の記者会見やメディアへの広報を担当していた。
 2007年3月30日の厚労省での高原発表の元になったデータは、市立宇和島病院から生データを移植学会が渡され、解析を依頼されたと高原から聞いた。このデータはカプラン=マイヤー法で解析されたと(高原から)聞いているが、誰が解析したかは知らない。高原は解析を担当していない。
 厚労省での高原発表に、自分は関与していない。関与していそうな人も知らない。全42例のうち市立宇和島の25例のみを解析の対象としたことについては、理事会の内部で批判があったという話は、高原から聞いた。」
 と、すべて重要な情報は高原現理事長からのものであることを一貫して強調した。
 ついで自分と修復腎移植問題とのかかわりについては、
 Am J Tranplant 2008((8:2479)の<尿管がんのある腎臓を用いる第三者間腎移植はドナーとレシピエントの生存を脅かす>という、(同年、同誌8:811-818に掲載された万波論文を批判した)高原論文に、共著者として名を連ねているのは、
 「出来上がった論文(実際はレター)のチェックを依頼されて文献等に遺漏がないかをチェックしたからだ」と述べた。
 この論文において、8例の予後が不良であるのを「尿管がんの転移・再発」と解釈している点については、「死亡原因は推測によるものだ」と述べた。

 2006/7/25に備前市立吉永病院で、万波廉介医師が執刀した70歳女性の腎摘例は、病理検査で「腎石灰化嚢胞」と判明、後に誤診及び無承諾で摘出腎を移植に用いたとして、患者側が3700万円の損害賠償を求めて裁判になった。患者及び家族を煽ったのが、当時、厚労省調査委員会の委員長として「ドナー提供病院」の調査にあたった東邦医大の相川厚である。
 相川は「日本の臓器移植:現役腎移植医のジハード」(河出書房新社、2009)を出版し、その中で吉永病院の事例を微に入り細に入り書き立て、手術の不当性をなじっている。
 この裁判で吉田は原告側(患者側)の求めに応じて、「腎臓摘出は不要であった」という意見書を提出している。(なお、事件そのものは2013年10月10日、備前市が1700万円の和解金を支払うことで、原告と和解が成立した。)
 この問題についても吉田証人は「摘出は不要であった」と同じ意見を述べた。

 修復腎移植に関する2007年3月31日の「4学会統一声明」については、冒頭陳述で、
「未来永劫にわたって禁止すべきとは言っていない。2007年の時点ではこれは認められない。現時点でも修復腎移植が安全であるとは確認されていない」と述べた。
 陳述の終盤では、「修復腎移植が安全と立証されるには、何年くらいのスパンにわたる追跡が必要か、また再発危険率はどの程度なら許容されると考えるか」という原告側弁護士の質問に対して、要旨以下のように答弁した。
 「腎癌は20年後にも再発が出てくる可能性があるので、10年の追跡では不十分だ。また
再発率が1%でも0.1%でも患者に危険がある以上、認められない。またドナーの安全性を確認しないといけない。これも10年、20年にわたる予後追跡が必要だ。」
 他方で、被告側(移植学会側)弁護人に質問には次のように答えた。
 「献腎移植の場合、ドナーの腎機能は20%低下する。献腎移植はドナーの愛情が背景にあるので、ドナーの不利益はICの際にきちん説明されていない。」

 吉田の証言を聞いていて、「この人は英語がちゃんとできるのだろうか?」という疑問をもった。というのは、原告弁護人が、高原2010論文(Transplant Proc. 42:2822-)にある、「according to the Japanese law, the period to preserve hospital medical records is only 5 years; almost all materials including operative records and pathological reports were discarded legally.…Only one hospital, Uwajima City Hospitals, kept almost complete records, including the survivals of 25 recipients who were transplanted with diseased kidney
grafts」という文章について、「メディカル・レコードとはカルテのことで、市立宇和島病院だけがカルテをほとんど完全に保存していた」というのは、事実と違うではないか、と糾したところ、「レコードは医療記録の意味ではない」と答えたからだ。もう唖然とした。

 もう一つ、光成弁護士が、「どれくらいのスパンがあれば、修復腎移植が安全かどうか確かめられるのか?」と質問したところ、「スパン」の意味がわからなかった。
 さらに吉田が単独著者の「病腎移植の問題点と今後の展望」(「腎と透析」2008/9, 441-445)には、病腎移植は悪い医療だという自説が述べてあるが、引用されている3つの個人研究者の論文のうち2篇(Kauffman 2000, Kauffman 2007)は、がんのある個体や臓器をも移植に利用しようという米UNOSの立場から執筆されたもので、修復腎移植支持の論文である。
 吉田は文脈を無視して、これらの論文のデータを修復腎移植に反対するものとして勝手に引用している。
 これは要するに英語力が貧弱で、自分の思い込みで論文を解釈したか、よほど品性が劣悪で論文の論旨を知りながら、勝手に部分だけを都合良く引き合いに出したかのどちらかであろう。

 午後は13:30から再開され、原告側証人の藤原和義氏、野村正良氏による証言があった。野村さんはネフローゼ腎の移植を受け、現在はまったく健康である。藤原さんは広島市在住で、2006年から透析に入り、修復腎移植を希望しているが、なかなか「臨床試験」に当たらないでいる。
 藤村証言の要旨。
 「毎週3回透析に通っている。患者の半数が、糖尿病が原因で透析に入った者。透析生活8年になるが、数年すると半分が入れ替わる。医者はいなくなった患者のことを教えてくれないが、患者同士の情報交換により死亡したことがわかる。
 糖尿病で透析を受けている患者は数年すると、脚を切断したとか、脳梗塞を起こしたとか、症状が悪化する人が多く、とても悲惨な状況だ
 一日も早く、修復腎移植を認め透析から解放されるようにしてほしい。」

 野村証言の要旨:
 「学会を相手とした訴訟ではなく、学会の役員等を相手としたのは、当時の移植学会は任意団体だったからと一部の役員の発言や行動がメディアに影響を与え、修復腎移植は悪い医療だという報道をもたらしたからだ。
 厚労省を訴えなかったのは、超党派議連の活動を通じて、厚労省がこの問題について前向きに検討を始めるという手ごたえが感じられたからだ。
 民事訴訟の性質上、「損害賠償」請求というかたちを取らざるえなかったが、我々の目標は金銭ではない。移植学会にこれまでの姿勢を改めてもらい、修復腎移植を承認してもらい、一人でも多く、一日でも早く、多くの透析患者を、つらい透析から解放するのが目標である。」

 公判が終わって、16:00前から、松山弁護士会館で記者会見が開かれ、弁護団から次回公判は3月18日(火曜日)で、
 午前10:00~=大島伸一(元日本移植学会副理事長)の証人尋問
 午後13:30~=光畑直喜医師(呉共済病院)、難波紘二(広島大名誉教授)の証人尋問
が行われ、裁判が結審すること、
 今の裁判官は3人目で、これが判決を出すこと。判決は早くて夏かあるいは秋になること、(陪席判事の転任があるため)が明らかにされた。
 野村NPO「移植への理解を求める会」副会長の方から、早ければ修復腎移植の「先進医療」としての再申請を4月にも徳洲会が行う可能性があること、がアナウンスされた。

 帰りは藤村さんの車に同乗させてもらって、瀬戸大橋―尾道経由で自宅に戻った。藤村さんは脳梗塞に見舞われ右足が麻痺しているが、左脚だけでアクセルもブレーキも操作できる装置を車に着けていて、運転は滑らかである。自宅まで送り届けていただき、20時過ぎに帰宅した。
 公判のことは新聞では「愛媛」が短く報じている程度だ。
 http://www.ehime-np.co.jp/rensai/zokibaibai/ren101201402264962.html
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