かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

"自由意志がベースの社会とは”・・・韓国からの友人探訪記

2013-01-22 14:42:01 | アズワンコミュニテイ暮らし

 1月17日から20日まで、韓国各地から13名の人たちが、鈴鹿

アズワンコミュニティを訪れた。

 昨年8月来訪したノンシル人文学校のユ・ギマンさんやウオンさんが

呼びかけて、ソウル・京畿道・忠清道・全羅北道などから集まった。

 

 この4日間、サイエンズスクール研修所に滞在した。

 到着の夜は、歓迎の食事会だった。

 一人ひとり、いまなにを願って暮らしているか、発表した。

 

 「個々人バラバラになっている、人と人のつながりを 回復

したい」

 「個人の内面の変化と社会との調和がバランスよく展開する

には・・・」

 「子供たちとしあわせに暮らす、そういう村をつくりたい。深く

じぶんをみることからとおもっている」

 「子どもを躾てきたが、ノンシル人文学校で気づくことがあり、

いまは子どもの気持ちをみるようにしている

 「”人間の本性に適した社会”を読んだ。はじめ、現実 的で

ないとおもった。輪読していくうち、現実は現実と して、現実

をこえたところを見据える、ということを考えはじめている」

 なごやかで、そして夫々から熱いものがにじみでていた。


   18、19日、あちこちを訪ね、そこで活動し、暮らしている人と

出会った。

 

19日、最後の夜の懇談会の様子。

 

 Lee Jinhog(イ・チホン 1973生 社会活動家)

 ーー”益山希望連帯”で仲間と活動している。事業やプロジェクト

    については、いっぱい話題になる。でも、自分についてとか

    お互いについては話題にならない。自分を見つめ直す、これ

    大事かなと感じた。

     これまで、他人の視線を気にしてきた。その意味では悪い

    ことはしてこなかったけど、自分の気持ちを素直にありのまま

    にだしてこなかったかも・・帰ったら、髪にパーマをかけようと

    おもっている。(おお!という反応)

    「やってはいけない」というところ、越えていきた

    い。2013年、変化の年にしたい。


 You Kiman(ユ・ギマン 1973生 昨夏来訪)


 ーー 昨夏以降、ノンシル人文学校で「人間の本性に適した社会」の

     輪読をしている。自分の考えをゆっくり考えなおしてみている。

     先回は、頭で理解しようとして混乱していた。今回は楽な気持ち

     で過ごせた。 あたたかく迎えてもらった。どんなふうに暮らして

     いるか、伝わってきた。


 Park Jinsun(パク・チンス 1972年生 通訳できる)


 ーー 短い期間だったけど、楽に過ごせたわ。ここには人を包み込む

     ような空気がある。日毎に変わっていく自分があった。なぜ

     そうなるか、今から見ていきたい。

     ご飯も美味しかった。作ってくれた人の気持ちが伝わってくる。

     また、来ちゃいそう・・・


 Lim Kyunghong(イム・キョンファン 1978年生男性 代案学校)

 ーーはじめて会ったんだけど、自分のやっている活動について、よく

    聞いてもらった。

    コミュニティ・ハウスは江口夫妻が、誰かから言われたというの

    でなく自分から、好きで開放しているようだ。

    今回のドライバーも毎回違う。どうやってきめているか?不思議。

     やりたいことをやる、やりたくないことはやらない、そういう暮らしを

    している、と聞いた。

     人の自由を妨げない。そうだとおもうけど、そこが悩みでもある。

     活動を支援してくれている団体に報告書を出さなくてはならない。

     実は、出したくないのでしばらくほってある。いいのかなあ、と。

     (笑)

      ここにある程度長い期間暮らしてみたら、分かるかも。


 Jin Yongsug(シン・ヨンス 1991年生 大学生)

 ーー表面だけを、ちょっと見たという感じかな。いい話もたくさん聞けた。

    素晴らしい機会だったけど、実際はどうなんだろう?もっと、奥を

    探ってみたい。

     この経験、友だちにどう伝えたらいいのかなあ。すごく大事な

    ことだとおもう。


 An Gumok(アン・グモック 1964年生 ヨンスの母 教師)

(右側の人)

 ーーアズワン・コミュニティって聞いて、街から離れた森のなかで、

    共同生活していることを想像していた。来てみて、すべて

    壊れた。(笑)

     たくさんの質問をした。だんだん、自分の考えの整理が

    できてきた。

     わたしたちは、たくさんの時間をつかっていろいろ考えているが

    ほんとうに必要なことを考えていないんじゃないか。

     同じところで暮らしていなくても、離れていてもつながっている

    コミュニティはできる。一人ひとりの願いをありのままに見ていく

    こと・・・

     サイエンズスクールのマイライフセミナーに先ず娘が参加、あとで

    わたしも・・・


 Ju Soyeon(チュ・ソヨン 1978年生 小学教師)

(左側の人)

(似てないかな?)

 ーー(あっ、パク・チンスさんと似ている、と誰か発見。ああ、ホント!

    しばらくその話題)

     自分の成長が感じられる機会になった。

     アズワンって、どんなことでも探求の対象にして、終わりなく

    究極的なところを探っていっている。そういう暮らしをしていき

    たい。


 Oh Dongsuk(オ・トンソック 1965年生 大学教授・憲法学)

 ーーアズワンは、個人の自由を大事にする社会を長い時間をかけて

    つくってきた。

     法の研究をしてきて、法は人を拘束したり、命令したりするもの

    ではなく、個人の自由意志からの出発が本来のものだと考えて

    いる。

     実際は、法の拘束の影響下で育ってきている人たちの社会

    なので、その出発は何か、アズワンには、そこを問い直す意義が

    ある。

     いくつか疑問。社会は、自由意志だけでは終わらない。秩序や

    約束事はあるんじゃないか?

     人間の本質というものは、一つではないとおもう。それを科学で

    説明できるか?これから考えていきたい。

     すべての人をそのまま認めるのはむずかしいのではないか?

     心配。コミュニティの内部では平和でも、なんかのときに外部を

    排除することがないか?他のコミュニティとの連携は?

     いろいろ言ったが、大事な出発点を実践している。

     そこから、いろいろな可能性が開けてくるとおもった。

 

 Han Jihye(ハン・チエ 1991年生 人権活動家)

 ーーこの間、アズワンの人たちの話を聞きながら、もう自分の心が

    いっぱいいっぱい、飽和状態。

     消化できない感じで、夜も眠れない。ドキドキもした。

     これまで、高校を辞めたり、大学に行かないなど、人生の

    変わり目があったけど、今、変わるキッカケを感じる。

     自分の中を一つひとつ見ていき、新しくわたしをつくっていく。

     力はいるかもしれないけど、やってみたい。

     来年、長期でアズワンで暮らしてみたい。


 Prak Jinsun(パク・チンス)

 ーー帰って、時間をとって考えなおしてみたい。やさしいコミュニティは

    できる、希望が持てた、感謝します。

     人に強いるのではなく、一人ひとりがおもっていることを自発的に

    言える、そんな社会、お互いの心を開ける社会・・・


 Won Sungjea(ウオン・ソンジェ 1961年生 昨夏来訪 小学教師)

 ーー2回目も訪問は楽だったです。

     今回は、コミュニテイ・オフィスやPIEESSネットワークの話が

    新鮮でした。

     ずっと家族のなかにいる感じでした。

     プレッシャーに感じないで欲しいいんですが、ほんとにいいですか、

    お料理が夏にくらべて、いちだんと美味しくかんじました。(笑)


 Lee Kyunghee(イ・キョンヒ 1972年生 ウォン氏夫人 教師)

 ーー楽しく、愉快な三日間でした。お別れは残念です。

    アズワンでやられていること、やれるのではないかと希望があるが

   その内容をもっと分からないと、このままでは一歩も歩けない感じ

   がする・・・


 Lee Jinhong(イ・チホン)

 ーーこの間のこと、詩にしてみたんです。聞いてもらえますか?

   (ハングルで。それを、石角聡くんが翻訳してくれた)

   

     希望に満ちた人は それ自身 希望だ

     道を探る人は それ自身 道だ

     真に生きる人は それ自身 真だ

          素晴らしい人は それ自身 素晴らしい世界

     人こそが 希望

 

 Kim Yongsiru(キム・ヨンシル 1968年生 教師) 

 ーー(最後の夜は、懇談会には参加しませんでした。)

  


  この最後の夜の懇談会の通訳は、石角聡くんがやってくれた。

 彼は、韓国に3年暮らし、韓国が好きだ。ハングルのよく分かる。

 ”韓国との架け橋になる人は それ自身 架け橋だ”

 ありがとう。


  20日、サイエンズスクール研修所の前で別れを惜しんだ。

     


 

 



    

     

     








    


  


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