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◆バビロンのつかさたちが彼のもとに代言者を遣わし、

2016年06月29日 17時03分31秒 | 聖書
この地に示されたしるしについて説明を求めたとき、神は彼を試みて、その心にあることをことごとく知るために彼を捨て置かれた。(Ⅱ歴代三二・三一)
 
ヒゼキヤは心ひそかに増長し、神の恵みをもって高慢になったので、自らを義とする心が起こり、肉の安全に頼るようになった。その結果、活発に働いていた神の恵みが一時取り去られた。これは、彼のバビロニヤ人に対する愚行を説明するものである。神の恵みが最高のクリスチャンから離れるようなことがあるなら、その心にある罪は、彼を極悪な犯罪者にさえ変えてしまうからだ。あなたがもし捨てられるならば、あなたのキリストに対する熱心はたちまち冷却し、ラオデキヤ教会の「なまぬるさ」となるであろう。今主の御前に、立派な徳と節操をもって歩んでいるあなたが、よこしまな思いによろめくようになるであろう。
月のように、私たちの光は借りものである。恵みが私たちを照らす時、私たちは輝く。しかし義の太陽が沈むなら、私たちは暗黒になる。だから、神が私たちを決して見捨てられることのないように、神に向かって叫ぼう。
「主よ。あなたの御霊を私たちから取り去らないでください。あなたは『わたし、主は、それを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも、それをそこなわないように、夜も昼もこれを見守っている』と言われました。それで、主よ。どこにいても絶えず私たちを守ってください。若くて熱情が強くなりすぎる時、私たちを守ってください。年老いて自分の知恵に思いあがり、それゆえ若者よりも愚かで尊大であることを露呈してしまうような時、私たちを守ってください。私たちが死に臨む時、私たちを守ってください。最後の瞬間になって、あなたを拒むことのありませんように。私たちが生きている間、死のうとする時、働いている時、苦しんでいる時、戦っている時、休息している時、私たちを守ってください。どこにいる時にもお守りください。神様。私たちはどこにおいてもあなたを必要としていますから。」
 
 
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