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12月29日カンボジアのクメール・ルージュが1970年代の大量殺戮について謝罪。(1998)

2012-12-29 | Weblog

クメール・ルージュは、カンボジアの国名を「クメール共和国」から「民主カンボジア」に変更した。こうしたなか、農村での食糧生産はすでに大打撃を受けており、1975年4月にはUSAIDが「カンボジアの食糧危機回避には17.5万~25万トンの米が必要である」と報告し、アメリカ国務省は「共産カンボジアは今後外国からの食糧援助が得られなくなるため100万人が飢餓にさらされることになるだろう」と予測していた。こうした事態のなか、クメール・ルージュは食糧増産を図る為、プノンペンなど大都市住民、資本家、技術者、知識人など知識階級から一切の財産・身分を剥奪し、農村に強制移住させ農業に従事させた。学校、病院および工場も閉鎖し、銀行業務どころか貨幣そのものを廃止し、宗教を禁止し、一切の私財を没収した。さらに一切の近代科学を否定した。クメール・ルージュはこれを「階級が消滅した完全な共産主義社会の建設」と称した。
移住させられた人々は、「集団農場」で農業に従事させられる一方、知識人階級は「反乱を起こす可能性がある」とされ殺害された。親ベトナム派や反乱の可能性を疑われたクメール・ルージュ内の人間も殺された。革命が成功したことを知り、国の発展のためにと海外から帰国した留学生や資本家も、殺された。子供は親から引き離して集団生活をさせ、幼いうちから農村や工場での労働や軍務を強いた。
戦争で国内が疲弊し海外からの食糧援助がすべて打ち切られた状態の中、クメール・ルージュはソ連やベトナムとも断交し、高度な専門知識、工業、貨幣制度をも否定した。そして原始共産制社会を理想とする極端な重農政策を強行したが、非現実・非科学的な政策はカンボジア全土に一層深刻な食糧危機をもたらした。

この政策は、強制労働および飢饉を通じて、カンボジア人の大量死に至った。クメール・ルージュ政権は、更に旧政権関係者、富裕層、各種専門家および知識人への関係を持った者および親ベトナム派の党員、ベトナム系住民を殺戮した。
クメール・ルージュによって殺戮された人々の数が、さまざまな立場で検討されている。ヘン・サムリン政権は330万人が死んだと主張した(これはのちに下方修正された)。CIAは5万~10万人がクメール・ルージュによって殺害されたと推測したが、これには飢餓による死者数を含まない。アメリカ国務省、アムネスティ・インターナショナル、イェール大学・カンボジア人大量虐殺プロジェクトの3者は、それぞれ120万人、140万人および170万人と推計している。これらの機関は内戦時代の爆撃や戦闘による死者数については数字を出していない。 フィンランド政府の調査団は、ポルポト以前の死者(戦闘・爆撃による)を60万人、ポルポト以後の死者を100万人としている。カンボジアでは1962年を最後に国勢調査が行われておらず、内戦時代には大量の死者および国内難民が発生しており1975年までの正確な人口動態がつかめていないために、こうした諸推計にも大きく開きが出ている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/クメール・ルージュ

他には---------------------------------------------
シャンソンの日


▲平将門、京都に召喚される(935)
▲松平家康が徳川に改姓(1566)
▲イギリスでコーヒー禁止例が発布(1675)
▲米・マサチューセッツ州で、ズボンをはいた罪で、女性が逮捕される(1851)
▲阪堺鉄道・難波~大和川(現在の南海本線)が開業。日本で2つ目の私設鉄道。(1885)
ウンデット・ニーの虐殺(1890)
▲トーマス・エジソンがラジオの特許を取得。(1891)
▲東海道線急行列車に食堂車が登場(1901)
▲日露戦争終結で乃木将軍凱旋(1905)
▲孫文、革命政府の臨時大統領に選ばれる(1911)
▲モンゴル(ボグド・ハーン政権)が清からの独立を宣言。(1911)
▲日本がワシントン海軍軍縮条約の破棄を通告。(1934)
▲アイルランド自由国で新憲法が施行。アイルランド(エール)に改称し、英連邦王国から共和国に移行。(1937)
▲日本の出生届の人名を当用漢字に限定。(1947)
▲ベトナムがフランスと独立協定を締結(1949)
▲石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」封切り(1958)
▲韓国でヒュンダイモーターカンパニー設立。(1967)
▲学生紛争により、東京大学と東京教育大学が翌年の入試中止を決定。(1968)
▲イギリス、性差別禁止法施行(1975)
▲東京・銀座のシャンソン喫茶の老舗「銀巴里」が閉店。(1990)
生物の多様性に関する条約が発効。(1993)
▲グアテマラ内戦: グアテマラ政府とグアテマラ国民革命連合(英語版)の間で和平合意が成立し、36年におよぶ内戦が終結。(1996)
サーミ語アッカラ方言の最後の話者が死亡し、死語となる。(2003)

誕生:ポンパドゥール夫人(ルイ15世の愛人1721) 野口雨情(詩人1882) 
   浜田省吾(俳優1952) 早乙女愛(女優1958) 岸本加世子(女優1960) 
   鶴見辰吾(俳優1964) 加勢大周(俳優1969) MINA[MAX](歌手1977)

誕生花:ほおずき (Winter Cherry)    花言葉:自然美


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